#17

‪メールの末尾。「お体を大切に」と「風邪には気を付けて」が混じって「お身体には気を付けて」と書いて送ってしまった。お身体に気を付ける、とは何のことを言っているのだろう。相手は何をどうやって気を付ければいいのだろう。ギリギリ意味は伝わるにしても、なんというか、もやっとした感じは拭いきれない文面になってしまった。要件を伝えた後に、最後に一言、気を利かせて相手の健康を気遣う言葉を添えたつもりだったが、これでは逆効果だったかもしれない。迂闊だった。これだからメールは難しい。

もし送り直せるとしたら「お体をたいせつに」と書き直したかったなあ、とふと思う。「大切に」をあえて「たいせつに」と書くことによって、どこか自然な柔らかさを醸し出せるようにしたかった。どうだろうか。少しあざといだろうか。冷静になって考えると、なんだかあざとい、というか少しサムいような感じがしてきた。なんとなくワザとらしくて、むしろ嫌な感じさえする。どうすれば良かったのだろう。やっぱりここはふつうに「大切に」と書けば、それで良かったのかもしれない。というか別に「お身体には気を付けて」でも問題ないような気がしてきた。なにより、こうやってグチグチと細かいことを気にしている方がよっぽど良くない。語れば語るほど墓穴を掘っているような気がする。問題はそういうことじゃない。気持ちが込もっていればなんだっていいじゃないか。

なにはともあれ、メールを書くのは難しい。奥が深い、と言った方が適切かもしれない。他人と面と向かって話すときは、相手の目付きや表情や声色や態度から相手と自分がちゃんと噛み合って話しているかどうかをなんとなく察することができたつもりになれるけれど、手紙やメールの場合はノーヒントだ。暗闇の中に自分を投げ込んでいくような気分になる。なれなれしくもなく、よそよそしくもない、その絶妙なラインを見つけ出すのが難しい。対面のときでさえ難しいのに、顔が見えないともっと難しくなる。間合いを間違えると、どこかで必ずしっぺ返しを食らう。自分の知らない所で審判が下され、自分の知らない所で自分の株が下落していく。生きるというのはいつだって孤独との戦いだ。そこを見誤るとかえって余計な苦労が増える。

どんなに長く、どれほど親密に同じ時間を過ごしたことのある人でも、一人で過ごしているときに何を思い、どんなことが考えているかまでは分からない。他者が他者であるということはどこかに必ず自分では絶対に窺い知れない部分を持っているということだ、と何かの本で読んだことがある。分からないものに触れるのは怖い。怖いから、分かったつもりになろうとする。目の前に相手がいるときは、醸し出す雰囲気を通じてなんとなく相手を分かったような気になる。けれど、本質的に他者は暗闇だと思う。メールや手紙を書くときにこそ、その暗闇の片鱗に触れるような感じがある。何を考えているか分からない。どんな気持ちになっているか分からない。そんなよく分からない存在に対して、自分からアプローチを取っていく。

 

話は変わるけれど、数日前の夜、布団にもぐって天井を見上げていたら、ふと「もしこの天井一面に大きく人間の顔が描かれていたら、さぞかし怖いだろうな」と思った。きっとその表情は、怒っているのでも悲しんでいるのでもなく、何を考えているか分からない無表情に近い顔をしていた方が怖い、ような気がする。もしも私が絵が上手かったら、何を考えているか分からない不気味な人間の顔を、巨大な紙にものすごく写実的に生々しく描いてみたかったなと思う。「誰かに見られているかもしれない」という気配を感じると、急に背筋がゾッと寒くなる。そんな絵が天井にあったら、気味が悪くて眠れないだろうなと思う。

 

そういえば、子どもの頃、夜九時以降も居間でテレビを観ていると、祖父がしつこく怒鳴り続けてくる、ということがあった。私と姉が居間でテレビを観ていると、廊下の方から「トントントン」と祖父が階段を降りてくる音が聞こえてくる。しばらくすると勢いよくドアが開いて、なんとも言えない表情をした祖父が「今日は勉強したのか」といきなり訊いてくる。「してないよ」と答えると途端に不服そうな顔になり、即座にドアを閉め、今来た道を戻っていく。その一連の行動が、私たちが居間を出るまで何度も繰り返された。

回数を重ねる度に祖父の顔は歪んで、口数は少なくなっていった。いきなりドアが開いたかと思うと、すぐに無言でドアが閉まる。開いたドアの隙間から、一瞬、睨みを効かせた祖父の表情が垣間見える。そのときどんな顔をしていたか、今はもう思い出せない。

「癇癪を起こす」ということを地元の方言では「ごっしやける」と言う。祖父はよくごっしやける男だった。そうやって祖父を無視し続けていると、次第に祖父はごっしやけて、階段をトップスピードで降りて来ては、ドアを猛烈な勢いで開けたり閉めたりするようになる。叩き付けるようにドアを閉めて、怒鳴り散らしながら廊下を走り去っていく祖父に「そんなに勢いよく閉めたらドアが壊れるでしょうが!」と、姉と二人で半分茶化しながら噛み付いていたことを思い出す。私はあのとき、怖かったのだろうか。たしかに怖かった気もするけれど、それ以上に不気味さみたいなものを感じていたかもしれない。自分とは全く違うように生きている人間に触れたときに感じる不気味さ。どうしてそんなに怒れるのか、子どもながらに不思議だった。今でもまだ分からない。人はあんな風に怒れるものなのだろうか。言いたいことがあるのなら、言葉で説明してくれたらいいのに。祖父は、それができない男だった。

とにかく祖父はヘンな男だった。しかし、ふとしたときに思い出す。社会的には成功した男だったようだが、幸せとは程遠い所に生きていただろうと思う。けれど、それも本当のところは分からない。祖父には祖父にしか見つけられない幸せがあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。祖父はどんな世界に住んでいたのだろう。とはいえまだ存命なので、訊こうと思ったら訊けるのだが。