八王子

午後8時18分。銭湯から上がり、店のすぐ目の前に見つけたベンチで身体を休めている。これからどうしようか。温まった身体が夜風で少しずつ冷えていく。今くらいの季節になると、日が落ちてからのほうがむしろ過ごしやすい。

地面に投げ出したリュックサックには、洗濯してからまだ一度も身に付けていない服と、既に着てもう汗臭くなってしまった服とが乱雑に混じり詰め込まれている。下着の替えがなくなったから、そろそろ近くのドンキホーテにでも買いに出掛けようか。と、さっきから何度もそう思いながら、しかし、なかなかこのベンチを離れることができない。車や自転車が私の脇を次々と通り過ぎていく。道を歩いている人たちとチラチラ目が合い、気まずくなっては視線を逸らす。こんな場所にいるからなのか、風呂に入ったばかりのはずなのに妙に心が落ち着かない。すれ違う人の目を思わず見つめてしまうのは、昔からの私の悪い癖だ。

ベンチに腰を掛けていたら、さっき自転車に乗った若者ともおじさんとも言えない風貌の男性が、いきなり「おつかれさまです!!」と野太い声を上げながら勢いよく私の目の前で自転車を停め、歩道を歩いていた少し年配の男性に猛スピードで駆け寄っていくとすかさずお辞儀をした。知り合いと顔を合わせたらしいその男性は背筋をピンと伸ばして直立しながら、相手の発する一言一言に「はい!!」「はい!!」と大袈裟なまでに大きな声で相槌を打つ。一通り話が終わると今度は「ありがとうございます!!」と声を張り上げて、相手がその場を立ち去ってからもじっと姿勢を崩さない。姿が遠く見えなくなってようやく、彼は振り返った。すれ違い様に見た彼の目はまっすぐと前を向き、私と視線が合うことはなかった。

私がそのベンチを発ったのは午後9時を過ぎた辺りだった。それから少し外を歩き、パンツを3着買って皿うどんを食べた。そろそろ今夜の宿を探さなければ。

 

二日前から漫画喫茶で寝泊まりしている。いろいろあって、先月から過ごしていた横浜にある知人の家には居られなくなった。「居られなくなった」とついつい受動態で書いてしまうあたりが、私の主体性の無さや責任感の薄弱さを表しているのかもしれないけれど、それも今の私の正直な気持ちなのだから仕方ない。「居たい」と思うだけで居られる場所でなかったのは事実だった。気合いを入れてその場所に居たはずだったけれど、結果に対して責任を取るということは案外こういうことなのかもしれない。自分で自分の責任を負うことさえ覚悟していれば、世界はどこまでも広がっていく。その覚悟が私にはまだ足りてなかったということだろう。

八王子には昨年の秋に1ヶ月ほど暮らしていたことがあった。川崎で働いていたバイト先を辞めて、今よりももっと漠然とこれからどうやって生きていこうかと迷っていた頃だった。勢いで東京に来てみたはいいものの、働く気にも遊ぶ気にもなれず、知人のシェアハウスでひたすら昼夜逆転した生活を繰り返していた。頼んでもないのに振り込まれて来る(振り込んでくれる)父からの仕送りだけが唯一の生活の糧で、生きているのか死んでいるのかわからない幽霊のような毎日を過ごしていた。

久しぶりに知人を訪れると、そのシェアハウスで運営されていた趣味の同好会が、規模を拡大してカフェ兼イベントスペースになっていた。当時の私はそんな状態だったのでシェアメイトともほとんど交流らしい交流をした覚えはなかったのだけれど、実際に足を運んでその場を目の当たりにすると、こういう風に物事は変わっていくんだな、変えていけるんだなと、なんとなく勇気付けられた気がした。

 

それから駅前の漫画喫茶で一泊した。『パンティストッキングのような空の下』という漫画が面白かった。

(更新中)

横浜

先月末から横浜にある知人の家にお邪魔している。詳細は省くけれど、この家はふつうの家と違って(関係者の皆様には大変恐縮ですが便宜上ものすごく簡単にまとめさせていただくと)ネット上で広く「誰でも遊びに来られる場所」として開放されているため、全国各地から趣旨に賛同した人や興味を惹かれた人が訪れてくる。その場所で、私はここ二週間ほど訪問される方たちの応対や屋内の掃除・庭の整備などをしていた。また同時に(これも説明し出すと長くなるので詳細は省くけれど)フェイスブック上に自分の連絡先を公開して手伝いや頼み事の依頼があった場所に身一つで飛んでいくという関連企画に参加・自主的に敢行していたため、連絡をくれた方たちと話をしたり荷物を運んだり掃除をしたり庭の草木を刈ったりしていた。久しぶりに忙しい毎日だった。

私のような何の社会的な肩書きも持たない人間が、仕事として労働力を差し出すのでも、個人的な趣味を通じて関わりを持つのでも、何かのイベントに参加して顔を合わせるのでもなく、ただの一人の人間としていきなり見知らぬ人と会って話をするというのは、しようと思ってもなかなか経験できることではない。

人と会うたびに、何かが鍛えられているような感覚になる。家の掃除や依頼主のお手伝いで実際に身体を動かす中で経験できたことももちろん価値があったけれど、最も学ぶことが多かったのは実際に相手を目の前にして話をしているときだった。知人の家にいる間は「留守番を頼まれている者」として、手伝いに向かう時は「企画に参加している者」として、自分がどのような存在なのかを示す文句みたいなものは一応はあるにしても、自分でただそう名乗っているだけだから、そんなものはほとんどないに等しい。紋切り型の説明ができない分、そのときどきで行うアドリブ的なやりとりだけが頼りになる。目を合わせた瞬間に「この人にはそれほど熱心に説明しなくても大丈夫そうだな」と思う人もいれば、どれだけ話をしても近付き難い距離を感じる人もいる。相手とよりコミュニケーションを取るために、最近の私は、人とよく目を合わせて話をするようになった気がする。

今回、私がこのような機会を得たのは、お世話になっている方たちのお膳立てがあってこそのもので、私個人の力ではない。自分の力だけで何もないところから一人で始めたという訳では決してないから、自分自身がどのような人間なのかを説明するときに、お世話になっている人たちの存在を抜きにして語ることはできない。そのことをありがたいと思う反面、やはり自分はまだまだだなとも思う。私は自分の足で立つためにこの場所に来ている。そのことを忘れてはならない。

どのような形であれ、他人と関わろうと思うと、そこには必ず繊細に感じ取らなければならない様々な注意点が現れてくる。その場で言っていいことと言っていけないことの峻別とか、誰と誰がどのような関係にあるのかとか、どのようなパワーバランスで会話が進んでいるのかとか。学生時代は、そういった人間関係の微妙な空気の揺らぎみたいなものをいちいち読み取らなければならないのがめんどくさすぎて知らず知らずの内にストレスを抱え込んだりしていたけれど、今は少しだけ大人になって、以前よりかはそれなりに上手く肩の力を抜けるようになった気がする。ただ、やっていること自体は昔も今も変わらない。他人との関わりの中で生きていくということは結局そういうことなんだろう。

口に出している言葉と胸の底に渦巻いている気持ちとが噛み合っていないと、相手の目を見て話すことができなくなる。他人と上手くいっているフリをするのもそれなりに大変で価値のあることだと思うけれど、ここぞと言う場面では相手の目を見てまっすぐに自分の意志を伝えられるようになりたい。

コンビニ

本当に幸せな人なんているのだろうか。それはただ「幸せ」だと思い込もうとしているだけなのではないだろうか。あるときある瞬間、「これはたしかに幸せだ…」と感じる一瞬があったとしても、その瞬間が過ぎてしまえば、また、今まで何度となく付き合ってきたはずの悩みと再び隣り合わせになってしまうのが、人間というものではないのだろうか。私に本当のことはわからない。自分のことしかわからない。自分のことさえ、本当はわからないのかもしれない。けれど、もし私のこの気持ちが本当に私一人にとってだけのものだとしたら、それはあまりに寂しすぎる。「幸せだよね!」とうなづき合うことよりも、「寂しくなるね…」とつぶやき合えたときの方が、今の私にとってはよっぽど幸せなことのように思えるのだ。

私がそうでないから、他の人にも「本当に幸せなんですか?」なんて問いかけたくなるだけかもしれない。けれど、私はどうしても、自分のことを「このままで幸せなんだ」と言い切ろうとする人を前にすると、何かを誤魔化されているような気持ちになってしまう。あるはずのない根拠を盾に、自分にとって都合の良いウソを思い込もうとしているだけなのではないかと疑ってしまう。人は思い込みの中でしか生きられない。どうせそうするしかないのなら、たとえウソでも死ぬまで自分を騙し続けていられた方が幸せなのかもしれない。けれど、そのやり方は人を選ぶ。少なくとも今の私には、自分で自分をまるっと騙し切ってしまえるほど強く自分の思い込みを信じることはできない。

…というようなことを考えながら、電車に乗って新潟駅南口に到着した。時刻は22時13分。これから23時40分発の高速バスに乗って再び東京へ向かう。きっと今夜も眠れないだろう。小腹がすいたので、コンビニで何かを買うか迷うところだ。

 

数日前、実家には、産まれてまだほんの十日ほどしか経っていない甥を連れて、姉が病院から帰ってきた。甥は2、3時間ごとに眠りから覚め、排泄をし、泣き声を上げ、オムツを替えてもらい、腹を空かせ、乳を吸い、また眠るというサイクルを繰り返している。目を覚ましたときは、同じ人間とは思えないほど小さな手をくねらせながらぎこちなく伸びをして、時折その小さな目の小さな小さな瞳をこちらに向けてくる。姉が言うには、視力はまだ0.01くらいしかないそうで、色彩も白か黒かしか見分けられていないらしい。生後十日に満たない赤ちゃんは一体どんな風に世界を見ているのだろう。ミニチュアサイズの布団の上に寝そべりながら、なんとも言えないキョトンとした表情で目をぱちぱちさせているのを見ていたら、私も思わず笑みがこぼれた。

姉が出産を迎えるとき、私は向井秀徳という歌手の『自問自答』という曲を思い出していた。何もかもが嘘くさく思えて、自分や世の中に対してどこにもぶつけようのない(今思えばありがちな)憤りを抱えていた大学生の頃、私はアパートに引きこもりながらユーチューブでひたすら動画という動画を漁り続けていた。これはそのときに出会ったものの一つで、当時の私はこの曲を聴きながら、人知れずどうすることもできない自分の孤独を慰めていたのだった。それはある意味、酔っていた、と言った方が近いかもしれない。そのときの動画はもう消されてしまったようだけれど、似たような動画を見つけたので一応以下に載せておく。

向井秀徳 - 自問自答 - YouTube

人間の汚さや世の中の不条理を何も知らされることのないまま、子どもは勝手に産まれてくる。まだ物心なんて当分付くことのない今という時間が、これから歩むことになるこの子の人生の中で決定的に特別な意味を持つ時期になるのだと思うと、何にでも影響を受けて変化してしまいそうな甥はあまりにか弱くて、私が彼を抱っこするにはまだ何十年も早いような気がした。昼間からバイオハザードのゲーム実況動画をユーチューブで観ているような私が。

(更新中)

保育園

私がまだ保育園に通っていた頃。体育館の隅にある遊具の周りで、幼馴染の友人K君と二人でおしゃべりをしていたことがあった。そのときどんなことを話していたのかはもう覚えていないけれど、K君の話すことに対して私が何か気の利いたことを付け加えて返答した瞬間があった。そのときK君は大いに笑った。笑ってくれて私は嬉しかった。しかし、ひとしきり笑った後、すぐにK君は私の目の前を立ち去って、皆に向かって大きな声で私が今話したことをさもK君自身が考えたことのように話し始めた。私は驚いた。K君の話したことに、皆が笑っている。でもそれは、本当は私が考えたことだ。私はすぐさまK君の後を追いかけて「それはぼくが言ったことなんだよ!」と皆に叫んだ。私の声は届かなかった。皆は笑っている。K君の周りで笑っている。取り残された私はなんとも言えない気持ちになって、一人ぼっちで体育館を出た。その記憶はいつもそこで終わる。

日常のふとしたときに思い出す記憶は、今までもすでに何度も思い出したことのある記憶である場合が多い。この記憶もその一つで、現状、私が思い出せる範囲で最も初期の頃のなんとも言えない気持ちになった思い出の一つとして胸に刻まれている。私は大人になってからも事あるごとにこの記憶を思い出している。今日もリビングでスマホをイジリながら、そろそろ服を着替えて出掛けるか、と思ったタイミングでふと思い出した。たぶんツイッターを見ていたからかもしれない。よく知らないライターさんがよく知らない会社のよく知らない商品の紹介記事を一本40万円で執筆したらしいという、手に入れたところでどうしようもない情報を見かけてなんとも言えない気持ちになっていたときに、胸の底から染み出すように過去の記憶が蘇ってきた。あのときのなんとも言えなかった気持ちに似てなくもない。しかし、過去と言っても保育園の頃の話だ。K君は、今頃何をしているのだろう。目鼻立ちの整っていたK君は私と違って女の子によくモテた。私の近所に住む友達の中で初めて彼女ができたのもK君だった。中学に入ってからは次第に付き合う友達も変わっていき、高校に入る頃にはほとんど顔を合わせることもなくなった。そんなK君は今、何をしているのだろう。私はブログを書いている。

最近の私はひたすら文章を書いている。文章を書いている間だけは、目の前に広がっている現実をすべて無視して、自分の内側にあるものをいかにして外へ出すかということに集中することができる。他人の気配のしないところで、この世界で自分がたった一人になったような気分に浸りながら、思ったことを思ったように書くことができる。去年の七月頃に、当時付き合っていた彼女と別れて本格的にこのブログに自分の思いの丈を書き散らすようになってから、私の精神は心なしか前よりも少しずつタフになってきているような気がする。本当ならもう少し誰が読んでも面白いと思ってもらえるような洗練された文章が書けたら良いと思うけれど、そういうのを目指し始めた瞬間から私にとっての文章を書く意味みたいなものがブレ始めていくような気もするので、なんとも言えない。

このブログはほとんど独り言のように書いている。でもふつうに生活していて、こんなに長く独り言をすることなんてまずないし、こんなに長く自分の話を聞いてくれる人もいない。誰にどう思われているかは知らないけれど、自分のしたい話をとことんできる場所があるというのは、気持ちの面でかなりラクになる。したい話ができそうになかった精神科の先生たちには、昨日、別れを告げてきた。また気が向いたら会いに行こう。

二人で話をするのと、三・四人で話をするのと、大勢の前で話をするのとでは、それぞれでかなり違う。単純には言えないけれど、聞き手の数が多くなるほど自分が本当にしたい話からはどんどん逸れていくし、人が沢山集まる場所ほど目の前の人からその人自身の根幹に関わるような言葉を聞くことは難しくなる。そこに大勢の人がいたというわけではないけれど、私が精神科の先生とどうしても上手くコミュニケーションが取れなかったと思ったのは、どれだけ話をしても相手の本心みたいなものに触れられないと感じたからだった。彼の頭には、最終的に、私に対して発達障害の人が集中力を高めるために服用する薬を勧めるという選択肢しか持ち合わせていないように思えた(私はいわゆる発達障害というものに合致するわけではないらしいけれど、発達障害の診断基準はすぐに変わるから、その薬も効くかもしれないという話だった。なんだそれ)。臨床心理士の方と昨日は話す機会がなかったけれど、残念ながら彼女とも自分のしたい話ができるようには思えなかった。どちらと話をしていても、叩いても叩いても返事の来ないドアに延々とノックをし続けているような気持ちになった。一対一で話しているようでいて、相手は私を大勢いる患者の中の一人としてしか見ていなかったのだろう。当然だ。医者とはいえ、それほど親しくもない人にブワッと吐き出すように身の上話を聞かせたがる私の方が、異常といえば異常なのだった。だからこそ、昨日診療室を立ち去るときにビジネスライクな挨拶をして部屋を出て行けたのは良かった。

現実世界で自分のしたい話をするためには、自分のしたい話を「聞きたい」と思って受け止めてくれる他者の存在がどうしても必要になる。けれど、そんな都合の良い他者とはふつう巡り合えない。そもそも相手もまた何かしらの悩みを抱えた一人の人間でしかないのだから、結局は相手のしたい話に合わせて自分のしたい話を変形して伝えることしかできない。相手のいる場所で自分のしたい話を100%話せているのだとしたら、それは相手が自分のしたい話を我慢して聴いているか、たまたまそれが相手にとっても聞きたいと思える話だった場合だけなのではないかと思う。だからこそ、本当に自分がしたいと思った話ができる人たちの存在は尊い

世の中の大部分は、本当に自分がしたい話を口にしないことで回っている。マクドナルドに入っても、本心から「いらっしゃいませ」と思って話しかけてくる店員さんはいない。私もまた今会ったばかりですぐ別れることになる店員さんに対して、知人の紹介で会うことになった初対面の人に「はじめまして」と緊張しながら挨拶するように声をかける必要はなくて、少しぶっきらぼうでも「アイスコーヒーと水をください」とだけ言えばいい。そういうものだ。私は会社で働いたことがないからわからないけれど、おそらく仕事をしている人たちも、社内で本当にしたい話をしているかといえばそうではないのだろう。夜道、腹を空かせた野良猫がか細い鳴き声を上げながら物欲しげに顔を擦り寄せてきたときになんとも言えないいじらしさと愛おしさが胸の底からせり上げてきて、思わずコンビニで買ったパンをちぎって与えたくなることはあっても、同僚や注文してくるお客さんにそのような感情が湧いてくることはおそらく絶対にない。

自分の本当にしたい話を押し殺して、当たり障りのない話をしながら、決められたことを決められた通りにこなしていくこと。多くの人にとって「働く」という言葉には、多かれ少なかれこのようなイメージがあるのではないかと思う。そういう風にして回っている世界があることを私は否定しない。でも、人が生きている世界はもっと広くて、その広い世界の中にたったいくつかでも自分を十分に解放することのできる場所があるからこそ、人は制限された条件の下でも「働く」ことができるのではないかと思う。人間だから、皆、大なり小なり問題を抱えている。でも、当たり前だけれど、働く現場はそうした問題を受け止めてくれる場所ではない。それぞれが抱えている問題を隠しながら、他の人たちと共にある種の平均的な人間像を演じ続ける場所だ。だから、自分の抱えている問題が他人から見て明らかに外へ漏れ出してしまっているような状態のときに、自分の気持ちを押し殺しながら「働く」ことなんてできない。そもそも、それほど親しくない人に対してまで懇切丁寧に振る舞わなければならないなんて、ある意味異常なことだと思う。そんな異常なことができるのは、心にゆとりのある人だけだ。

だとすれば、今の私にできるのはまず自分を解放させることだ。自分を解放させた先で、その解放の仕方・表現の仕方を磨いて、それを部分的にでも受け止めてくれる他者と出会うこと。そして出会った他者との関わりを足がかりにしながら、他のもっとたくさんの他者との関わり合いのあり方を模索していくことだ。その先にしか道はない。

というわけで、今日も書きたいことを書きたいだけ書いた。

小さな寂しさ

薄く雲がかかっているけれど、今日はよく晴れて良い一日になった。気温もほどほどで過ごしやすい。こういう日にドライブをしたり外で思いっきり体を動かしたりしたら、夕飯を食べた後、さぞ気持ち良い風呂に浸かれるんだろうなあと思いつつなぜか私の脳みそはどんよりと暗く沈んでいる。圧倒的な眠気が重しとなって、私を布団の中に引き留めさせている。せめて外を出歩ける格好に着替えよう。せめて父が帰ってくるまでには玄関から外に出よう(鉢合わせないように)。しかし、そう思いながらも体がまったく動いてくれないので、今日も景気付けに一発ブログを更新してから活動を開始したいと思う。頭の重しは、言語化してインターネットの海に沈めよう。

日々、私は一人で過ごしていることが多い。家族はいるけれど、とくに用事がないのであれば、あまり話をしない。趣味も、関心も、思想も、政治的主張も、詳しく話せばほとんど違うし、私のように意見を戦わせたりするのが好きというわけでもないから、共同生活を行いながらも、互いに間合いを見極めて、デリケートな部分にはあまり踏み込まないようにしている。昔のように、食卓を囲みながら同じテレビ番組を観て笑い合う、なんてことはもうない。今はスマホがあるから、それぞれがそれぞれの観たい映像をそれぞれの媒体で観ている。家族といえど、関係は希薄だ。正面から向かい合い、腹を割って本当にしたい話ができているだろうか。考えるまでもない。

本当のことなんて誰も口にしない。今年で84歳になる祖母は、60年以上連れ添った祖父のことをほぼ間違いなく疎ましく思っているだろうけれど、今さら離れることもできず、直接本人に積年の恨みを伝えることもできず、私や父に愚痴を言うので精一杯だ。おそらく胸の底で、「もうずっとこのまま一緒にいるしかないんだろうな」と諦めていることだろう。祖父母の家に行くと、祖父と祖母の些細なやり取りから、普段、二人の間でどのくらい貧しい関わり合いしかできていないのかがありありと伝わってくる。子どもの頃からそういう姿を見てきた私は、ずっと「私がなんとかしなければ」と無意識に思い込んできたところがあったのだが、最近は意識的に「いやあ、もう無理だわ」と思うようにしている。自分でさえままならないのに、他人の人生の問題に介入する余地なんて、私にはない。たまに祖母と話をすると、おそらく寂しさからだろう、孫である私をあの手この手を使って引き止めようとしてくるのだが、私は後ろ髪を引かれながらもなんとか距離感を確保するよう心掛けている。一昨日の病院に向かう車中でも小耳に挟んだが、最近もまた祖父の認知症は進んで、今は毎日孫の名前を祖母に尋ねてくるまでになったそうだ。記憶を失っていく祖父はどんな気持ちで日々を過ごしているのだろう。そしてそんな祖父を間近で見ている祖母の心境もまたどれほどのものがあるだろう。しかし、真正面からそれに向き合おうとすれば、私もまた無傷ではいられない。本当のことを話さないことでなんとか保たれている世界もまたそこにあるのだ。

誰といても、どこにいても、胸の隅にいつも小さく寂しさが眠っていることを忘れないようにしたい。その寂しさは、何かの折に一瞬消えたように思えることはあっても、どこまでも小さくくすぶり続けていくだけで、本当の意味できれいさっぱり失くなってしまうことはないのだと思う。今日も本当に言いたいことを言えないまま一日が終わっていく。しかしそれは皆、誰だってそうなのだ。いい加減、服を着替えよう。

実家に帰ってくると途端にあらゆる意欲が剥ぎ取られていく。たぶん家の中の居心地が良すぎるからだろう。家にいれば、昼食に何を食べようかと考える前に昼食が出てくるし、ちょっと暇潰しにスマホでもイジリたいなと思う前に惰性でスマホを開いてしまうし、微妙な距離感の人と当たり障りのない話をしなくてもいいし、時間を気にすることなくいつまでも寝ていられるし、洗濯物は洗濯機に放り込んだだけで丁寧に畳まれて手渡しされるし、冷蔵庫には買わなくてもだいたいの食料品が揃っているし、トイレ掃除も風呂掃除も床掃除もしなくてもいい。これではまたすぐ前の私に戻ってしまう。どう考えても環境が私に自堕落な生活をさせようと追い込んできている。いかん。まだ実家に来て2日目なのに、もうこんなにダラダラしちゃうものなのか。

話を変える。一昨日の深夜、姉が無事に男の子を出産した。昨日、父と祖母と私の三人で病院にお見舞いに行くと、まだ少し辛そうにベッドの上に横たわっている姉の隣りに、姉の方を向きながら静かに小さな寝息を立てている男の子がいた。甥だ。私は叔父になったのだった。

叔父としての自覚はまだない。そんなものは一生ないのかもしれない。私は私の叔父さんとセンター試験を控えた高校三年生のときに一回だけ、緊張すると思うけどがんばれ、的なことを言われたきりでほとんど話をした記憶はないけれど、私は私の甥ともう少しくらい話をすることができたらと思う。ていうか、あの生まれたてほやほやの赤ちゃんがこれからどういう風に話せるようになっていくものなのか全く想像がつかない。遠い記憶に、私が最初に覚えた言葉は『ゴリラ』だったと姉か祖母から聞いたことがあったのをなんとなく今思い出した。それはアレか、とりあえずゴリラとかって言っておけば笑うだろうと見越された上での、まだ子どもだった私に対するサービス精神的なものだったんだろうか。どうなんだろう。いや、なんでこんなどうでもいいことしか思いつかないんだろう。おそらく姉にとっては一生涯心に刻まれる一大イベントだったのだろうけど、私には全くと言っていいほど実感がない。これがアレか、男親はほとんど親になったという自覚を持つことがないまま父にならなければならない、と、巷でよく耳にするところのアレなのだろうか。まあ叔父だから、べつにそんなのなくても当然といえば当然なのだけど。やっぱり甥にとっても、いくらまだ何もできないからって近すぎる距離感で介抱されるのも鬱陶しいだろうから、私は叔父として、親族の中でもそれほどしがらみを感じさせない風通しの良い距離感を維持した大人でありたいと思う。

(更新中)

流木

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浜辺で靴を脱いで裸足になり、いい感じの流木を枕にして砂に身体を横たわらせていたら、うっかり眠りに落ちてしまった。時刻は午後5時14分。正午頃にこの浜辺に着いたときはまだ日差しが強く、軽く歩いただけで額に汗がにじむほどだったけれど、それも今は少し落ち着いて、長袖のTシャツにセーターを着てちょうどいいくらいの気温になってきた。波も風もおだやかで居心地が良い。夕陽が沈むのを見られそうだから、もうしばらくこの場所にいても良さそうだ。昨日今日と寝不足気味だったから、時間を気にすることなくぐっすりと眠ることができて最高だった。

今日は新潟駅から電車で20分ほどのところにある新潟市西区内野町まで来ている。いつも大変よくお世話になっているK編集長に声をかけて頂いて、内野で新しくお店をオープンされた方への取材の補助として同行させてもらった。もっぱらユーチューブを観るばかりだったおニューのパソコンを久しぶりにビジネスっぽい形で活用できたのは嬉しい。早起きして電車で現地に向かうという経験も「社会人」っぽくてなんだか新鮮だった。ひとしきり小難しい話に花を咲かせた後、批評・思想界隈で先月くらいから話題沸騰中の『ゲンロン0』を拝借したので、帰ったら早速読みたいと思う。

(追記)

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スマホの充電が切れたのでリアルタイムで更新できなかったのだけど、それから水平線に沈む夕陽を見届けて近くにある大学方面まで足を伸ばした。数年前まで通っていたこの大学は、私にとって何も良い思い出がない。この日のようにどこにも行く場所がないときは、一人でよく海へ来て、日が暮れるまでずっと座りこんでいたことを思い出す。少しだけ感傷に浸りながら、部活を終えた学生たちが解散し始めている道を逆向きに歩いて、当時よく通っていた定食屋に向かう。

席に座って注文を取る。唐揚げ定食か肉野菜炒め定食かで迷ったが、もうそうそう来ることはないからと、思い切って両方注文してみることにする。最近はこういう、自分の中で少し負荷の大きい選択肢にあえて踏み込んでみるということを意識的によくするようになった。玄関先の漫画が置かれた棚にスラムダンクを見つけたので久しぶりに読んでみる。花道が、転んだ晴子のスカートからパンツが見えて顔を真っ赤に染めている描写を見かけて、あ、そういえば自分にも女の子のパンツが不意にちらっと見えただけのことで思わず顔を赤らめてしまっていた時代があったなあ、と感慨深く思う。汗ばんだ体に砂が付着して気持ち悪い。電車に乗って帰路に着く。残金は2千円を切った。