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保育園

私がまだ保育園に通っていた頃。体育館の隅にある遊具の周りで、幼馴染の友人K君と二人でおしゃべりをしていたことがあった。そのときどんなことを話していたのかはもう覚えていないけれど、K君の話すことに対して私が何か気の利いたことを付け加えて返答した瞬間があった。そのときK君は大いに笑った。笑ってくれて私は嬉しかった。しかし、ひとしきり笑った後、すぐにK君は私の目の前を立ち去って、皆に向かって大きな声で私が今話したことをさもK君自身が考えたことのように話し始めた。私は驚いた。K君の話したことに、皆が笑っている。でもそれは、本当は私が考えたことだ。私はすぐさまK君の後を追いかけて「それはぼくが言ったことなんだよ!」と皆に叫んだ。私の声は届かなかった。皆は笑っている。K君の周りで笑っている。取り残された私はなんとも言えない気持ちになって、一人ぼっちで体育館を出た。その記憶はいつもそこで終わる。

日常のふとしたときに思い出す記憶は、今までもすでに何度も思い出したことのある記憶である場合が多い。この記憶もその一つで、現状、私が思い出せる範囲で最も初期の頃のなんとも言えない気持ちになった思い出の一つとして胸に刻まれている。私は大人になってからも事あるごとにこの記憶を思い出している。今日もリビングでスマホをイジリながら、そろそろ服を着替えて出掛けるか、と思ったタイミングでふと思い出した。たぶんツイッターを見ていたからかもしれない。よく知らないライターさんがよく知らない会社のよく知らない商品の紹介記事を一本40万円で執筆したらしいという、手に入れたところでどうしようもない情報を見かけてなんとも言えない気持ちになっていたときに、胸の底から染み出すように過去の記憶が蘇ってきた。あのときのなんとも言えなかった気持ちに似てなくもない。しかし、過去と言っても保育園の頃の話だ。K君は、今頃何をしているのだろう。目鼻立ちの整っていたK君は私と違って女の子によくモテた。私の近所に住む友達の中で初めて彼女ができたのもK君だった。中学に入ってからは次第に付き合う友達も変わっていき、高校に入る頃にはほとんど顔を合わせることもなくなった。そんなK君は今、何をしているのだろう。私はブログを書いている。

最近の私はひたすら文章を書いている。文章を書いている間だけは、目の前に広がっている現実をすべて無視して、自分の内側にあるものをいかにして外へ出すかということに集中することができる。他人の気配のしないところで、この世界で自分がたった一人になったような気分に浸りながら、思ったことを思ったように書くことができる。去年の七月頃に、当時付き合っていた彼女と別れて本格的にこのブログに自分の思いの丈を書き散らすようになってから、私の精神は心なしか前よりも少しずつタフになってきているような気がする。本当ならもう少し誰が読んでも面白いと思ってもらえるような洗練された文章が書けたら良いと思うけれど、そういうのを目指し始めた瞬間から私にとっての文章を書く意味みたいなものがブレ始めていくような気もするので、なんとも言えない。

このブログはほとんど独り言のように書いている。でもふつうに生活していて、こんなに長く独り言をすることなんてまずないし、こんなに長く自分の話を聞いてくれる人もいない。誰にどう思われているかは知らないけれど、自分のしたい話をとことんできる場所があるというのは、気持ちの面でかなりラクになる。したい話ができそうになかった精神科の先生たちには、昨日、別れを告げてきた。また気が向いたら会いに行こう。

二人で話をするのと、三・四人で話をするのと、大勢の前で話をするのとでは、それぞれでかなり違う。単純には言えないけれど、聞き手の数が多くなるほど自分が本当にしたい話からはどんどん逸れていくし、人が沢山集まる場所ほど目の前の人からその人自身の根幹に関わるような言葉を聞くことは難しくなる。そこに大勢の人がいたというわけではないけれど、私が精神科の先生とどうしても上手くコミュニケーションが取れなかったと思ったのは、どれだけ話をしても相手の本心みたいなものに触れられないと感じたからだった。彼の頭には、最終的に、私に対して発達障害の人が集中力を高めるために服用する薬を勧めるという選択肢しか持ち合わせていないように思えた(私はいわゆる発達障害というものに合致するわけではないらしいけれど、発達障害の診断基準はすぐに変わるから、その薬も効くかもしれないという話だった。なんだそれ)。臨床心理士の方と昨日は話す機会がなかったけれど、残念ながら彼女とも自分のしたい話ができるようには思えなかった。どちらと話をしていても、叩いても叩いても返事の来ないドアに延々とノックをし続けているような気持ちになった。一対一で話しているようでいて、相手は私を大勢いる患者の中の一人としてしか見ていなかったのだろう。当然だ。医者とはいえ、それほど親しくもない人にブワッと吐き出すように身の上話を聞かせたがる私の方が、異常といえば異常なのだった。だからこそ、昨日診療室を立ち去るときにビジネスライクな挨拶をして部屋を出て行けたのは良かった。

現実世界で自分のしたい話をするためには、自分のしたい話を「聞きたい」と思って受け止めてくれる他者の存在がどうしても必要になる。けれど、そんな都合の良い他者とはふつう巡り合えない。そもそも相手もまた何かしらの悩みを抱えた一人の人間でしかないのだから、結局は相手のしたい話に合わせて自分のしたい話を変形して伝えることしかできない。相手のいる場所で自分のしたい話を100%話せているのだとしたら、それは相手が自分のしたい話を我慢して聴いているか、たまたまそれが相手にとっても聞きたいと思える話だった場合だけなのではないかと思う。だからこそ、本当に自分がしたいと思った話ができる人たちの存在は尊い

世の中の大部分は、本当に自分がしたい話を口にしないことで回っている。マクドナルドに入っても、本心から「いらっしゃいませ」と思って話しかけてくる店員さんはいない。私もまた今会ったばかりですぐ別れることになる店員さんに対して、知人の紹介で会うことになった初対面の人に「はじめまして」と緊張しながら挨拶するように声をかける必要はなくて、少しぶっきらぼうでも「アイスコーヒーと水をください」とだけ言えばいい。そういうものだ。私は会社で働いたことがないからわからないけれど、おそらく仕事をしている人たちも、社内で本当にしたい話をしているかといえばそうではないのだろう。夜道で、腹を空かせた野良猫がか細い鳴き声を上げながら物欲しげに顔を擦り寄せてきたときになんとも言えない寂しさと愛おしさが胸の底からせり上げてきて思わずコンビニで買ったパンをちぎって与えたくなることはあっても、同僚や注文してくるお客さんにそのような感情が湧いてくることはおそらく絶対にない。

自分の本当にしたい話を押し殺して、当たり障りのない話をしながら、決められたことを決められた通りにこなしていくこと。多くの人にとって「働く」という言葉には、多かれ少なかれこのようなイメージがあるのではないかと思う。そういう風にして回っている世界があることを私は否定しない。でも、人が生きている世界はもっと広くて、その広い世界の中にたったいくつかでも自分を十分に解放することのできる場所があるからこそ、人は制限された条件の下でも「働く」ことができるのではないかと思う。人間だから、皆、大なり小なり問題を抱えている。でも、当たり前だけれど、働く現場はそうした問題を受け止めてくれる場所ではない。それぞれが抱えている問題を隠しながら、他の人たちと共にある種の平均的な人間像を演じ続ける場所だ。だから、自分の抱えている問題が他人から見て明らかに外へ漏れ出してしまっているような状態のときに、自分の気持ちを押し殺しながら「働く」ことなんてできない。そもそも、それほど親しくない人に対してまで懇切丁寧に振る舞わなければならないなんて、ある意味異常なことだと思う。そんな異常なことができるのは、心にゆとりのある人だけだ。

だとすれば、今の私にできるのはまず自分を解放させることだ。自分を解放させた先で、その解放の仕方・表現の仕方を磨いて、それを部分的にでも受け止めてくれる他者と出会うこと。そして出会った他者との関わりを足がかりにしながら、他のもっとたくさんの他者との関わり合いのあり方を模索していくことだ。その先にしか道はない。

というわけで、今日も書きたいことを書きたいだけ書いた。

小さな寂しさ

薄く雲がかかっているけれど、今日はよく晴れて良い一日になった。気温もほどほどで過ごしやすい。こういう日にドライブをしたり外で思いっきり体を動かしたりしたら、夕飯を食べた後、さぞ気持ち良い風呂に浸かれるんだろうなあと思いつつなぜか私の脳みそはどんよりと暗く沈んでいる。圧倒的な眠気が重しとなって、私を布団の中に引き留めさせている。せめて外を出歩ける格好に着替えよう。せめて父が帰ってくるまでには玄関から外に出よう(鉢合わせないように)。しかし、そう思いながらも体がまったく動いてくれないので、今日も景気付けに一発ブログを更新してから活動を開始したいと思う。頭の重しは、言語化してインターネットの海に沈めよう。

日々、私は一人で過ごしていることが多い。家族はいるけれど、とくに用事がないのであれば、あまり話をしない。趣味も、関心も、思想も、政治的主張も、詳しく話せばほとんど違うし、私のように意見を戦わせたりするのが好きというわけでもないから、共同生活を行いながらも、互いに間合いを見極めて、デリケートな部分にはあまり踏み込まないようにしている。昔のように、食卓を囲みながら同じテレビ番組を観て笑い合う、なんてことはもうない。今はスマホがあるから、それぞれがそれぞれの観たい映像をそれぞれの媒体で観ている。家族といえど、関係は希薄だ。正面から向かい合い、腹を割って本当にしたい話ができているだろうか。考えるまでもない。

本当のことなんて誰も口にしない。今年で84歳になる祖母は、60年以上連れ添った祖父のことをほぼ間違いなく疎ましく思っているだろうけれど、今さら離れることもできず、直接本人に積年の恨みを伝えることもできず、私や父に愚痴を言うので精一杯だ。おそらく胸の底で、「もうずっとこのまま一緒にいるしかないんだろうな」と諦めていることだろう。祖父母の家に行くと、祖父と祖母の些細なやり取りから、普段、二人の間でどのくらい貧しい関わり合いしかできていないのかがありありと伝わってくる。子どもの頃からそういう姿を見てきた私は、ずっと「私がなんとかしなければ」と無意識に思い込んできたところがあったのだが、最近は意識的に「いやあ、もう無理だわ」と思うようにしている。自分でさえままならないのに、他人の人生の問題に介入する余地なんて、私にはない。たまに祖母と話をすると、おそらく寂しさからだろう、孫である私をあの手この手を使って引き止めようとしてくるのだが、私は後ろ髪を引かれながらもなんとか距離感を確保するよう心掛けている。一昨日の病院に向かう車中でも小耳に挟んだが、最近もまた祖父の認知症は進んで、今は毎日孫の名前を祖母に尋ねてくるまでになったそうだ。記憶を失っていく祖父はどんな気持ちで日々を過ごしているのだろう。そしてそんな祖父を間近で見ている祖母の心境もまたどれほどのものがあるだろう。しかし、真正面からそれに向き合おうとすれば、私もまた無傷ではいられない。本当のことを話さないことでなんとか保たれている世界もまたそこにあるのだ。

誰といても、どこにいても、胸の隅にいつも小さく寂しさが眠っていることを忘れないようにしたい。その寂しさは、何かの折に一瞬消えたように思えることはあっても、どこまでも小さくくすぶり続けていくだけで、本当の意味できれいさっぱり失くなってしまうことはないのだと思う。今日も本当に言いたいことを言えないまま一日が終わっていく。しかしそれは皆、誰だってそうなのだ。いい加減、服を着替えよう。

実家に帰ってくると途端にあらゆる意欲が剥ぎ取られていく。たぶん家の中の居心地が良すぎるからだろう。家にいれば、昼食に何を食べようかと考える前に昼食が出てくるし、ちょっと暇潰しにスマホでもイジリたいなと思う前に惰性でスマホを開いてしまうし、微妙な距離感の人と当たり障りのない話をしなくてもいいし、時間を気にすることなくいつまでも寝ていられるし、洗濯物は洗濯機に放り込んだだけで丁寧に畳まれて手渡しされるし、冷蔵庫には買わなくてもだいたいの食料品が揃っているし、トイレ掃除も風呂掃除も床掃除もしなくてもいい。これではまたすぐ前の私に戻ってしまう。どう考えても環境が私に自堕落な生活をさせようと追い込んできている。いかん。まだ実家に来て2日目なのに、もうこんなにダラダラしちゃうものなのか。

話を変える。一昨日の深夜、姉が無事に男の子を出産した。昨日、父と祖母と私の三人で病院にお見舞いに行くと、まだ少し辛そうにベッドの上に横たわっている姉の隣りに、姉の方を向きながら静かに小さな寝息を立てている男の子がいた。甥だ。私は叔父になったのだった。

叔父としての自覚はまだない。そんなものは一生ないのかもしれない。私は私の叔父さんとセンター試験を控えた高校三年生のときに一回だけ、緊張すると思うけどがんばれ、的なことを言われたきりでほとんど話をした記憶はないけれど、私は私の甥ともう少しくらい話をすることができたらと思う。ていうか、あの生まれたてほやほやの赤ちゃんがこれからどういう風に話せるようになっていくものなのか全く想像がつかない。遠い記憶に、私が最初に覚えた言葉は『ゴリラ』だったと姉か祖母から聞いたことがあったのをなんとなく今思い出した。それはアレか、とりあえずゴリラとかって言っておけば笑うだろうと見越された上での、まだ子どもだった私に対するサービス精神的なものだったんだろうか。どうなんだろう。いや、なんでこんなどうでもいいことしか思いつかないんだろう。おそらく姉にとっては一生涯心に刻まれる一大イベントだったのだろうけど、私には全くと言っていいほど実感がない。これがアレか、男親はほとんど親になったという自覚を持つことがないまま父にならなければならない、と、巷でよく耳にするところのアレなのだろうか。まあ叔父だから、べつにそんなのなくても当然といえば当然なのだけど。やっぱり甥にとっても、いくらまだ何もできないからって近すぎる距離感で介抱されるのも鬱陶しいだろうから、私は叔父として、親族の中でもそれほどしがらみを感じさせない風通しの良い距離感を維持した大人でありたいと思う。

(更新中)

自己紹介

他人との会話において自己紹介がもっとも難しいのではないかと思う。もっとも難しいステップを、もっとも初めにこなさなければならないから、他人との会話は難しい。私の場合、当たり障りのない話をするのが極めてめんどくさい、かつ、しようと思っても上手くできないため、何かの折に強制的に自己紹介をしなければならないような場面に遭遇すると、身体が嫌な緊張感に包まれてしばしば意味不明な言動を発してしまう。

そんな私だから、これは本当に良くないことだけど、あまり精神的に調子がよくないときなどには、自己紹介をそつなくこなせるような世渡り上手風な人のことを視界に入っただけで嫌ってしまいそうになることがある。本当に世渡り上手な人ならまだいい。なぜなら本当に世渡り上手な人は、私のようなタイプの人間がいることくらい百も承知で、私が他人と話すような精神状態でないことを露骨に態度に匂わせていれば、それを察知して私に対して余計な働きかけをしてこないからだ。一番厄介なのは世渡り上手風なだけで、本当はただ場を支配したいだけのタイプの人間と出くわしたときだ。その場にいる人たちの心情に全く気を配らずに自分のしたい話だけを滔々と述べて、かつ、話が全く面白くなく、かつ、そのことについて何の疑いも持っていないようなタイプの人間に出くわしてしまうと、私はそれまで調子が悪くなかったとしても、その場にいるだけで調子が悪くなる。そういうとき、本当なら私も会話に加わって、そのデカイ口を塞いでやりたい。雰囲気が悪くなり始めているのに気付いたら、面倒くさくても相手に一方的に話をさせるのでなく自分なりに会話に参加して、最終的になんとか全体がいい感じになりそうな方向に話を進めていけるようになりたい。でも、今の私にはその技術がない。器がない。だから私よりも全体に気を配ることができて、しかも多くの人にとって受けの良い落とし所を心得ている世渡り上手な人に場を任せることしかできず、結果的に私は複数人で話をするときは隅っこで静かにしているしかない。そうやってまた当たり障りのない話を繰り返していればいい。そうやってまた沈黙が怖いからって大して面白くない話を延々と言い合っていればいい。私は黙って寝たフリでもしているか、自分なりに面白いと思ったタイミングでにやにや笑っていよう。と、こういうことを思いながら、私の胸には何もできなかった自分自身に対する不全感が募っていく。少し大袈裟に書いてるけど。

本当にしたい話は、一対一になったときでないとできない。べつに複数人で話すのが嫌いなわけでも、楽しくないわけでもないけれど、その場にいる人数が多くなるに従って、私が実質的に自分から会話に参加することのできる余地は限定されてくる。今のままの私ではそれが限界だ。調子が良いときは、べつにそれでも構わない。むしろ周囲の視線を気にしすぎている自分もどうかしてるのだから、まあ、どっこいどっこいだよなと思って話を聞いているか、自分なりの楽しみ方を模索していればいい。ただ調子がそれほどよくないとき、自分の割り込む隙のない話を延々と聞かされるのは苦痛だ。

私が露骨につまらなそうにしていれば相手にとっても不快だろうから、そういうときは私の方からその場をスッと離れるのが正解だろう。私は、場違いなところに来てしまった自分自身の直感的な判断力のなさのみを悔いるべきであって、他の人たちをニガテだなんだと言うのはお門違いだ。第一、こういう態度を取っていれば私もまた他の誰かからニガテだと思われているだろうから、お互い様だ。ニガテだと思われることに関しては、自分の身を守るためだから仕方がない。ただし、自分から誰かに対してニガテだというレッテルを貼るのは、その人・その場・その状況に適した振る舞いができていない自分自身を免罪するだけで、今後の自分のコミュニケーション能力を向上させていく可能性を閉ざしてしまうことだと思うから、なるべくならしないようにしようと思っている。全ては私の器が小さすぎるがゆえの問題だ。そもそもその場から私がいなくなりすれば、なんの問題もなくなる。

どれだけの人がそこにいようが、違和感を感じた瞬間に言い得て妙なコメントをパッとその場に放り込む技術さえ私にあれば、自分の中で違和感が募りに募って爆発しそうになることもなく、全体としても「あーたしかに言われてみればそうだね」と、今までとは一段深いところでの共感の輪が広がって、結果的に場が良い感じになってくれるだろう。自分の言いたいことを言いながら、他の人にもそれなりに肯定的に受け止めてもらえるようになれたら、と思う。

流木

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浜辺で靴を脱いで裸足になり、いい感じの流木を枕にして砂に身体を横たわらせていたら、うっかり眠りに落ちてしまった。時刻は午後5時14分。正午頃にこの浜辺に着いたときはまだ日差しが強く、軽く歩いただけで額に汗がにじむほどだったけれど、それも今は少し落ち着いて、長袖のTシャツにセーターを着てちょうどいいくらいの気温になってきた。波も風もおだやかで居心地が良い。夕陽が沈むのを見られそうだから、もうしばらくこの場所にいても良さそうだ。昨日今日と寝不足気味だったから、時間を気にすることなくぐっすりと眠ることができて最高だった。

今日は新潟駅から電車で20分ほどのところにある新潟市西区内野町まで来ている。いつも大変よくお世話になっているK編集長に声をかけて頂いて、内野で新しくお店をオープンされた方への取材の補助として同行させてもらった。もっぱらユーチューブを観るばかりだったおニューのパソコンを久しぶりにビジネスっぽい形で活用できたのは嬉しい。早起きして電車で現地に向かうという経験も「社会人」っぽくてなんだか新鮮だった。ひとしきり小難しい話に花を咲かせた後、批評・思想界隈で先月くらいから話題沸騰中の『ゲンロン0』を拝借したので、帰ったら早速読みたいと思う。

(追記)

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スマホの充電が切れたのでリアルタイムで更新できなかったのだけど、それから水平線に沈む夕陽を見届けて近くにある大学方面まで足を伸ばした。数年前まで通っていたこの大学は、私にとって何も良い思い出がない。この日のようにどこにも行く場所がないときは、一人でよく海へ来て、日が暮れるまでずっと座りこんでいたことを思い出す。少しだけ感傷に浸りながら、部活を終えた学生たちが解散し始めている道を逆向きに歩いて、当時よく通っていた定食屋に向かう。

席に座って注文を取る。唐揚げ定食か肉野菜炒め定食かで迷ったが、もうそうそう来ることはないからと、思い切って両方注文してみることにする。最近はこういう、自分の中で少し負荷の大きい選択肢にあえて踏み込んでみるということを意識的によくするようになった。玄関先の漫画が置かれた棚にスラムダンクを見つけたので久しぶりに読んでみる。花道が、転んだ晴子のスカートからパンツが見えて顔を真っ赤に染めている描写を見かけて、あ、そういえば自分にも女の子のパンツが不意にちらっと見えただけのことで思わず顔を赤らめてしまっていた時代があったなあ、と感慨深く思う。汗ばんだ体に砂が付着して気持ち悪い。電車に乗って帰路に着く。残金は2千円を切った。

ラーメン

午前7時14分。東京駅八重洲南口近くの鍛冶橋駐車場から24時ちょうど発の高速バスに乗って、さきほど新潟駅南口に到着した。このまま実家のある新発田まで電車に乗って帰っても良かったのだけど、昨夜夕食を食べ忘れたのと朝の新潟が意外に肌寒かったのがあいまってさっきからずっとラーメンが食べたいという思いが消えないために、しばらく近くの公園で時間を潰すことにする。店の開店時間までおそらくあと2、3時間。耐えられないほど寒いわけではないけれど、冷たい風が不快で気分が悪い。身体を温めるために買ったカップ麺もほとんど意味を成さず、数十分ほどであきらめて駅構内の待合室まで移動した。けれど、そこでも室内のもわっとした空気が気持ち悪くて長居する気が起きず、また寒さをしのげる場所を探してしばらく周辺のトイレやコンビニをウロついた。ATMで金を下ろして漫画喫茶に入り、フルフラットシートで5時間ほど仮眠をとる。時刻は午後2時6分。そろそろ目当てのラーメン屋に向かいたい。

新潟駅南口から徒歩20分ほどの場所にある店でラーメンを食べる。一週間の関東滞在を終えた今、書くべきことは他に山ほどあるはずなのに、なぜかまったく関係のないラーメンのことについて書いている自分が不思議に思える。過ぎてしまえば、楽しかった思い出も気まずかった記憶も、ほとんど今朝見た夢と変わらない。それは寂しいことだけど、でも、誰とどんな時間を過ごしたかということよりも、その時間があったおかげで、一人になったときの自分がどのように変わっているかということの方がずっと大切なような気がして、たとえ自分の頭の中にある思い出がすべて夢だったとしても、それはそれで別に構わないのかもしれないと考えてみる。午後3時58分、ラーメン屋を出る。

駅に戻ってきた。隣接する大型の書店のベンチに腰掛けて、カウンセラー・高石宏輔さんの『あなたは、なぜ、つながれないのか』を読む。東京滞在中に参加したお世話になっている人のワークショップで、発言する機会があったにも関わらず大したコメントができなかったことを思い出して、今の自分に何かしらのヒントになる参考文献はないかと脳内に検索をかけたところ、真っ先に思い当たったのがこの本だった。ただ、言うほど私は本を読むのが好きではない。すぐに飽きて音楽を聴く。これからどうしよう。パソコンのescキーがなぜか潰れて反応しづらくなっていたから、修理の見積もりを出しに電器屋に行ってもいいけど、図書館まで少し歩いて、コーヒーを飲みながら今読んでいる本を借りられないか調べてもいい。お金があれば買っていたところだったけれど、でも買ってもどうせ読まなかっただろうなあ、いつもみたいに。そうやって、知らず知らずの内にいつもみたいに動こうとしている自分自身に気が付くと、なんとなく、おれは新潟に帰ってきたんだなあ、という気がした。見知らぬ土地ではこういうわけにいかない。音楽を聴きながらトイレまで歩く。午後6時8分。 

(更新中)

近況

祖父母の家を離れてからもう一か月以上が経つ。このブログにも書いて来たように、私は三月上旬から四月下旬にかけて父との二人暮らしに限界を感じて生活の拠点を祖父母の家に移していたのだが、実は数週間前、いろいろなことにケジメをつけないまま、なんとなく父の実家に戻って来てしまっていた。戻って来てからは、一貫した行動が取れていない自分自身に対する後ろめたさもあって、しばらくブログを書こうという意欲が湧かなかった。巷では「自分を変えるためにはまずは思い切って環境を変えるべし!」なんて話をよく耳にするけれど、私に限ってそれはないのではないかと思う。数ヶ月前に啖呵を切って父の家を飛び出した頃は、まだ居場所を変えれば少しは自分も変わるのではないかと思ったりもしていたが、実際はそんなことなかった。祖父母の家での生活も結局は以前の私と変わらないかそれ以下で、さまざまな局面で周囲に反発しながらも、最終的にはいつも庇護される立場に甘んじているばかりだった。

というわけで、今は基本的に父の実家で暮らしているのだが、以前と変わったのは、もうじき出産を控えた姉が家に帰って来ているということだ。おそらく姉がいなければ、私が父の住む家に戻って来ることはなかっただろう。父とは相変わらずほとんど話をしていないが、それでも姉がいることで以前のように頻繁にギクシャクすることはなくなった。姉に子供が生まれれば、さらに状況は変わっていくだろう。父も、姉も、私も、血が繋がっているとはいえ、それぞれがそれぞれの利害で動く完全に別々の人間だ。私と同じように父と姉も昔はよく揉めていたが、結婚し、経済的にも独立したことで、両者に適度な距離感が生まれたのか、今はそれなりに上手くやっているようだ。私が余計な議論を吹っかけたり、今までの諸々のことを混ぜ返したりしなければ、家の中は比較的平穏が保たれるようになった。私自身の状況はまだ何も変わっていないけれど。

話は変わるが、最近はまた脈絡もなく遠出する機会が増えてきた。先月は一週間ほど関東に滞在し、また月末にも再び関東へ向かう機会があった。兼ねてから親交のある人と再会できたのはもちろんのこと、先々で良くしてくれている人たちと会うことができて、とてもありがたかった。何もしていないのに変わりはないけれど、一箇所にとどまっていると様々な場所に顔を出すのとではやはり全く気分が違う。もし仮に今のような付き合いが全くなく、ずっと地元に留まっているだけだったら、状況は悪くなるばかりだっただろう。本当にいろいろな人にお世話になっている。ただ、そろそろ私も誘われるのを待つだけの立場から卒業して、いい加減誘う側に立てたらと思う。

実は今も知人の車に同乗させてもらっている。これから関東まで向かうところだ。今、コンビニでフランクフルトとあんドーナツを買ったところで財布にほとんどお金がなくなり、ATMでお金を下ろしたら、残金は1万2千円ということだった。実家にいると分からないが、かなりギリギリのところまで来ていたようだった。関東滞在中の泊まる場所が奇跡的になんとかなりそうで非常に良かったが、新潟に帰る頃にはいよいよなんとかしなければならない。今までは月末になると知らない間に父が金を振り込んでくれていたおかげでなんとかなってきたけれど、そのせいで働く意欲も湧いて来ず、だらだらとした日々を過ごしていた。正直なところ、金が無くなっていくのは嬉しい。これでやっと人間として当たり前のスタートラインに立てた気がする。

(更新中)