12月10日(金)

なぜか知らんが、すげー疲れている。なぜだ。明日もなんだかんだ忙しいので早く寝ないといけないのだが、こういうときほど眠くならない。頭がざわざわしている。

 

頭がざわざわしているときに、いきなり静かな場所を置いて自分自身の内面も静かにする、というのはたぶん無理なことで、だからこそ雑に動画を見たり音楽を聴いたりジャンクフードを食べたりしてしまう。しかし、仕方がない。なにかこう自分の中でバグのようなものが生まれていて、ある程度それを顕在化させてやらないと直らないような気がする。

 

グチる相手がいたら、グチりたいと思うのだが、一人である。だからこうして日記を書くことしかできない。ああ。

12月7日(火)

日記を書きたいのだが、いざ書きはじめるとなんだか全てが違うような気がして書けなくなる、という症状に、このところずっと悩まされている。いやしかし、こんなものを悩みなどと言ってはいけないような気もする。なんだ悩まされているってべつに悩まされてなんかいない。おかげさまで何不自由ない生活を送らせてもらっている。

数ヶ月前まで今日食う豚肉を買うのにも躊躇していた私が、いまや最近の物価上昇で普段より100円高い豚肉だろうが、業務用とはいえ天然の腸を使用したソーセージだろうが、「高いけどまあ自分へのご褒美ってことで」という具合に買ってしまえるようになった。豚肉が買えないと悩むのなら分かる。豚肉が買えないと嘆いてそれを文章にして吐き出すのなら分かる。でも豚肉を買った上で、それでも書く文章ってなんだ。おれはこれ以上何を手に入れようとしているんだ。

いや手に入れたいものなら他にもある。新しいiPhone、新しい靴、新しいセーターなど買いたくても買えないものなら山ほどあるが、いやそういった欲望とはぜんぜんべつのところに文章を書きたいという欲望はあったはずだ。何かを手に入れたいとかそういうことは、文章を書きたいという気持ちとまるで関係ない。自分は何を書きたいのか。それが分からない。

 

豚肉すら買うことができない、そういうことを悩みと呼ぶのなら分かる、と、今書いたが、果たしてそれも本当かどうか、よく考えたら分からなくなった。豚肉を食べたいのに食べられない。そういうときはもはや悩まないのではないか。やるべきことが目の前にあって、それを粛々とやるだけ。まさにこの四月五月ごろの私は、そういう状態だった。やるべきことが明白で、それをやるしかないと思っていたから、余計なことをいろいろと思い悩むヒマもなかった。

私が悩んでいたのは、よく考えたらむしろ豚肉をたべることができていたときだ。自分で金を稼いでもないのに豚肉を食べることができていたとき。なにもかも宙ぶらりんだったとき。反抗していた親から仕送りをもらうという矛盾を続けていたとき。私は自分と社会の狭間で悩んでいた。それこそ正しくモラトリアムというものをやっていた。自分がおかしくなっていくと思っていたが、おかしくならなければこの先もっとおかしくなると思っていたから、おかしいと思いながらおかしい生活を続けていた。絡まった糸をほどくには、固まった部分を一旦ほぐして広げなければいけない。部屋の片付けをするときには、押し入れに入っていた物を一旦外に出して広げなければならない。そういうものの一環で文章を書いていた。ような気がする。

 

何を書きたいのか分からないが、中身よりまず書くこと。出来不出来は書いた後に判断する、というか、判断しないほうがいいのかもしれない。書きはじめると、いつも途中で「おれが書きたいことは本当はこんなことじゃないんだ」って気持ちになって、書くこと自体が嫌になってくる。今もそう。他に書くべきことは山ほどあるのに、そういうものに言及できないで終わってしまう。

10月5日(火)

久しぶりに本でも読もうと午前中に駅前の図書館へ向かった。群像という雑誌の昨年七月号だったかに載っていた大澤信亮氏の「非人間」という文章が良かった。時間がなくて途中までしか読めなかったから明日続きを読みに行きたい。

近年世の中を騒がせた殺人事件について、その加害者たちの置かれた状況を読み解きながら現在の日本社会のあり方に問いを投げかける論考。理不尽な境遇によって社会的に疎外され、孤立し、どうしようもなさから最後には暴力へと向かっていく悲惨さ。筆者が執筆の動機として、加害者の暴力性を他人事とは思えないことを挙げ、筆者自身の内面を掘り下げながら書いているのに引き込まれた。

理不尽、報われない気持ち、生きているということのやるせなさ。そういう黒々とした感情が渦巻いて、どうしようもなくなっていたことが私にもあった。それを思い出した。逆に言えば、安穏とした暮らしの中でそうした気持ちを忘れていた。忘れることができていたのだった。

それだけ幸せになったということなのかもしれない。少なくとも暮らしぶりは格段に安定した。心も安定している。一ヶ月後の生活の見通しさえ立たない日々は終わった。社会から疎外される不安や焦り、何もしていない・できないことに対する罪悪感のようなものに心を支配されることもなくなった。しかしそれでいいのだろうか。私の人生はこのまま終わっていくのか。

あのときの気持ちは、ある意味では私の原点のようなものだったと思う。多かれ少なかれ誰しもあるだろうが、私にも十代の終わり頃からずっとこの日本社会というものに対して拭いきれない違和感があった。その違和感の半分は、いま思えば、見知らぬ他者と上手くやっていけるかどうか分からないといったような単なる子供じみた不安で、悩むに値しないようなものだったけれど、しかし少なくともそのもう半分は、批判されるべきことを正しく批判しようとする真っ直ぐな気持ちだったとも思う。社会の外側にいたからこそ、その姿がよく見える。そういう面もあっただろう。

社会で働くということを考えたとき、私のイメージの最初に浮かぶのは、十数年前リーマンショック後の混乱によって生まれた年越し派遣村に通う若者たちの姿だった。若い男たちが寒空の下、炊き出しの豚汁をもらいに列を作っていた。テレビ越しにそれを見ていた十代の私の心にはいやなものが残った。率直に、いやだなあと思った。ああはなりたくないと思った。同じくテレビでは、ワーキングプアや無職や引きこもりやニートが社会の負け組として好奇の目に晒され、嘲笑の的となっていた。私はまた、いやだなあ、ああはなりたくないと思った。しかし数年後、結果的に私はそのすべてになっていくのだった。

世の中がどのようなものなのかは分からない。しかし、ニートや引きこもりなどの社会不適合者を大量に生み出すこの社会は、この社会の方が、仕組みとしてどこか決定的に間違っているのではないか。なにか不平等、理不尽なものが強いられているのではないか。今にして言葉にすれば、そういう思いが当時からあった。というより、そのようにして私の社会というものに対するイメージが出来上がっていったのだった。

しかし、私のいやだなあという漠然とした気持ちの矛先は、人に対して過剰に厳しい社会の制度や風潮というよりむしろ、そこから排除される人たちの方にこそ向いた。彼らのようにだけはならないように、という思いは、親や世間が言外に期待する標準的な生き方から溢れ落ちることへの恐怖に変わり、真面目で凡庸で息苦しいその後の学生生活を送っていく動機になった。しかし破綻し、今に至る。

 

私の人生とはなんだったのか。これからどうやって生きていくつもりなのか。落ち着いた時間を持てるようになった今だからこそ考え直したい。しかし、そのためにはあまりにも私に言葉が足りないと思う。社会を語るための言葉が足りない。

 

というわけで最近になってようやく本を読みたいという気持ちが盛り返している。なんだか最近、自分が二十歳くらいの頃に戻ったような気持ちになることがある。何もかも上手くいかなくなっていったあのときに戻って、いろいろなことをもう一度やり直しているような気分。

10月2日(土)

今朝はまた高校の頃の夢を見た。数学の授業があるからあの分厚い教科書と問題集を学校に持っていかなければならないんだみたいなことを、朝、カバンに荷物を大急ぎで詰め込みながら思っていた。物理や化学だって苦手な単元だらけなのに、おれは受験までにすべて分かるようになるのだろうかと絶望的な気持ちになっていた。

この手の夢を、今でも月に二、三回は見る。もちろん細部は少しずつ違うのだけど、受験に失敗するかもしれないという不安や焦りで胸がいっぱいになるのは変わらない。何がそんなに不安だったのか、今になって考えると不思議な感じがするが、たしかに当時の私にとってはそれが何より気掛かりなことだった。

今までの人生を振り返ったときに、私は十八歳から二十歳くらいまでの時期が一番生きづらかっただろうと思う。大学受験というものを経て、私のアイデンティティは一度完全に壊れた。この時期に負ったダメージからいかに立ち上がるかということだけが二十代のテーマだったと言っても過言ではない。

今もこうして日記を書いているが、思えば日記を書くという行為も、もともとはそのような文脈で始まったのだった。破れた傷口に血小板が集まってかさぶたが作られていくみたいに、ひとり暗い部屋でしこしこ文章を書いて世の中に公開するということを繰り返していた。もう一度他人と関わって生きていくためのリハビリという側面があったと思う。

私にとって日記を書くということは、自分が思っていることを思っていないことにしない練習、感じていることを感じていないことにしない練習だった。実際、「こんな風に思ったって良いじゃないか」と書きながら思っていた記憶がある。それまで誰にも打ち明けたことのなかった悩みや不安、それだけじゃなくて、周囲の人々や世の中に対して抱く疑問とか、日常の中でふと目にした風景とか、あえて言葉にするほどのことでもないちょっとした感覚的なことだとか、なんでも思い付いたことを書いた。

たとえば、瞼を閉じると視界は真っ暗闇になるけれど、子どもの頃から私にはそれが完全な闇には見えず、無数に点在する光の粒が繋がったり集まったりして幾何学的な模様を作っているように見える、とかっていうようなことを書いたりした。

日常を過ごしている中では誰かに話したことだけが言葉になる。でも、心の中ではいつもいろいろな思いが生まれては消えて渦巻いている。誰に伝えたらいいか分からなかったこと、伝えようと思っても伝えられなかったこと、後になってからようやく言葉になったこと、生きているだけでいろいろな言葉が心の中に溜まっていく。そういう内的な言語、みたいなものがある。

そういう内的な言語は、ふつうは誰かと話をしたり気分転換をしたりして自然に消えていくものなのだと思う。でも、当時も今も、それでは間に合わないときというのがあって、そういうときにこそ私は文章へと向かっていく。

9月28日(火)

寝れないので日記を書く。こういうときのためのこの日記である。

 

いきなり抽象的なことを書くが、なににつけても意識と無意識のバランスを取ることが生きていく上で非常に大切だということをしばしば思う。合理性と非合理性、計画性と即興性、理想と現実、理性と感覚、脳と身体、などとも言い換えることができるかもしれない。簡単に言うと「あれこれと頭の中で考えること」と「とりあえず実際にやってみること」の差。この二つの間をどのように取り持っていくかということは、大袈裟に言えば、生きてから死ぬまでの人生全体を貫く一つの大きなテーマだとさえ言うことができるんじゃないか。そんなことを夜更けに一人で考えていた。

 

ところで、その前に私が何を考えていたかと言うと、もし買うとしたらどんなシンセサイザーを買いたいかということだった。ネットで片っ端から商品比較を繰り返していた。

これは今日だけの話ではなく、ここ数ヶ月の間ひたすらネットでキーボード・電子ピアノ・シンセサイザーの類を検索して調べている。なぜかと言えば新しいキーボードが欲しいからで、なぜ欲しいかと言えば鍵盤を弾く練習をしたいからだった。と言っても自宅にキーボードはあるので、やろうと思えばできなくはないのだが、日頃の生活の中でなんとなく身体がそちらに向かわない。気分が乗らない。やる気が出ない。そこで、より高音質でより利便性の高い機材にすれば、練習もはかどるのではないかと思ったのだった。

ところで、そもそもなぜ私は鍵盤の練習をしたいと思っているのだろう。厳密に考えるとよくわからない。数年前にひょんなことがきっかけでピアノの手解きを受けた。できるようになれば楽しいもので、それ以降、これまで日々の隙間に何気なく鼻歌を歌っていたような場面で、簡単な伴奏を付けて歌うことができるようになるなどして、日常の中に楽しみが増えた。子どもの頃から習い事と呼べるようなことをしたことがなかったので、できなかったことができるようになり、できるようになると楽しみが増える、という経験は新鮮に嬉しかった。

あえて理由を挙げるとすれば、そんなところだろうか。だが、なんというか、これは理由のようで理由ではない気もする。理由がはっきりしているのであれば、条件に見合った鍵盤楽器をさっさと見つけて買って早く弾きはじめた方がいい。しかし、そうはならず鍵盤を練習するよりはるかに多くの時間をネット検索に費やしてしまっている。本末転倒も良いところだ。おれは何がしたいのか。

 

ここで冒頭の話に戻る。冷静に考えてみると、私はいま倒錯した状況にいると思う。楽器を弾きたいと言いながら手元にある楽器を弾かず、より良い楽器はどこにあるかとネットでひたすら検索している。これこそがまさしく意識と無意識の、理想と現実の、脳と身体のねじれ。私はいまこれら二つのバランスを逸しているのではないかと思う。意識・理想・脳の方に大きく比重が掛かっている。

 

もう一つ。私は昨晩、冷蔵庫にあった余り物で適当に作った夕飯を食べながらこんなことを考えていた。

私は数ヶ月前から家計簿を付けはじめたのだが、それによると私が最後に食料品の買い出しに出掛けたのは、今月の24日。その日に3749円、スーパーに支払っている。それ以降、買い物はしていない。

ここから何が分かるか。今日は28日。ということは、24日からの五日間で食費は3749円と概算できる。3749を5で割ると、1日あたりの食費は約750円/日。このペースで生活を続けると一ヶ月で23250円/月となる。私は一ヶ月の食費を25000円以内に収めることを目標にしている(余裕があれば日用品費なども含む)ので、食費に関してはこのままのペースで継続していればいい、と、言うことができる。

しかしなんだろうか、この一連の行為に対するなんとも言えない虚しさ。こんな風に食事をしていても、腹は満たせても心は満たすことができないだろう。こんなときはいっそ腹なんか減っていなくても後先考えずに暴飲暴食でもしたいような気持ちになる。そしてこれこそがまた意識と無意識・脳と身体・理性と感覚・計画性と即興性の対立の話に繋がってくる。

 

今の生活が始まって一年になり、暮らしが落ち着いてきたことは、ただただ喜ばしく思う。しかし同時に、先々の見通しがある程度立つことによって、その未来の中に自分が閉じ込められてしまうような息苦しさもまた感じている。だが、かといって場当たり的に生きることをただそれだけで礼賛したいわけでもない。それは今までにもう十分やった。無頼を装って考えられることを考えないのは、結局はそれもまた何かのパターンの中に収まっていたいだけのことに過ぎない。自由なようでいて、閉じ込められているのに変わりない。やはり大切なのは両者のバランスなのだと思う。

今の私は、合理性に傾きすぎて、大切な何かを見失っているような気がする。ということで明日はコンビニでファミチキでも買ってやりたい(だが、宣言した上で買うファミチキはまだ合理性の枠を超えていないのだろう)。

9月22日(水)

今日を乗り切った。明日は休日だ。やったー。

 

昨日今日と日中は夏のように暑かったけれども、夜になるとやっぱり涼しい。涼しいのはいいなあ、最高だ。少し寒いくらいの気温のときに厚い毛布をかぶるのが最高に気持ちいい。外を歩いている時もそう。風が少し冷たいようなときに、コートかジャンパーみたいなのを首まで羽織って外を歩くのが好きだ。

数年前に知人から大きなジャンパーを譲ってもらったのだけど、あれ、好きだなあ。私は無駄に体躯が大きいのだけど、そんな私でもガバッと羽織ってまだ余裕があるくらい大きなジャンパー。オーバーサイズで着るように作られているから、ブカッとしていても変じゃない。

ブカッとしているのが好きなのかもしれない。というか、なにか大きなものを羽織っている状態が好きなのかもしれない。たんに肩から毛布を掛けるのでもいい。そういえば昨冬に家でよく着ていたちゃんちゃんこもガバッと大きくて好きだったなあ。あれをまた着られる季節が来ると思うと、それだけで嬉しいなあ。さすがにまだ気が早いけど。

 

でも、もう九月も終わろうとしている。あっという間だったなあ、九月。結局そんなにぼんやりした時間を過ごしたという実感がないまま終わってしまいそうだ。八月は忙しすぎたから、九月はひたすらぼーっと考え事でもして過ごしていたかったのだけど。

でもまあ予定や計画を立てても、だいたいその一割くらいしかできないものだと思っていると、気がラクだ。計画を立てるときはいろいろと盛り込み過ぎてしまうけど、現実っていうのは本当にちょっとずつしか前に進んでいかない。「おれってこんなこともできないの?」と思ってばかりの毎日。でも、それこそが正常なのであって、なんでもできるような気になっている自分の方が異常なのだ。異常にテンションが盛り上がっているだけなのだ。

この日記にしたって、久しぶりにまた書きはじめた時は「毎日更新だ!」とかって意気込んでいたわけだけど、もうぜんぜん書けてないからなー。でもまあそんなものだ。大切なのは、予定していたようにならなくても止めないことで、ほそぼそとでも続けていくこと。

どうせ書いていたって、大したことは書けない。というか、大したことなんか書かなくてもいいのであって、思ったことを思ったまま書けばいいのだ。

そういう文章を書く場所が、この世界のどこかに一つくらいあったっていいじゃないか。

9月10日(金)

とくに理由が思いつかないのだが、なんか調子の悪い一日だった。睡眠もしっかり取って、休憩も十分だったはずなのに。

今日のことについて「なんであんなことを言ってしまったんだろう」と後悔するような記憶が三つ以上は確実にある。なんとなくいつもより頭が回らないというか、気の利いたことが一切言えないというか、笑顔がぎこちないというか、とりあえず調子が悪いとしか言えない一日だった。

心当たりがないだけに、なんだかいやな気分。明日には治っていると良いのだけど。頬のあたりがこわばってうまく笑えない。

 

自分を取り戻すには、ただ休めばいいってものでもないのだろう。今の生活には何かが足りない。それがなんなのか分からないところが不安だ。