12月13日(火)

自分自身と良い関係を築くのは難しい。昨日の夜、一昨日辞めたばかりのはずのツイッターをこっそりブラウザ上から覗いてみたら、いつもお世話になっている素敵な雰囲気を醸し出しているK編集長からわざわざ言及があり、私のブログまで紹介してくれていた。これは私も反応しないわけにはいかないと、反射的に自分のツイッターにログインし、一度捨てたはずの自分のアカウントを取り戻してしまった。「た、ただいま。。照」と返信してみたけれど、これが正解だったのかわからないからしばらくドキドキしながら画面を見つめる。すると、それに「かわいい!」と言及してくださる方がどこからともなく登場して、私は「ああ、ツイッターやってて良かったな」と思った。「こういうこともあるんだな」と。

それから日頃お世話になっている素敵な雰囲気を醸し出しているHプロデューサーから連絡があり、「明日の早朝、関東方面に車で向かおうと思っているけど良かったら乗らないかい?」とのお誘いを受ける。外力によってしか自分を駆動できない私は、新潟の冬にやられてメンタルを損ないがちな毎日から少しでも距離を置きたいと思って、「私をぜひ暖かい関東へ連れて行ってくださいお誘いありがとうございます」と返答したけれどそれと同時にイヤな予感がした。左のこめかみ辺りから頭痛がし始めていたのだ。おそらく風邪を引きはじめている。そしてその夜はなぜか床に就いても全く寝付けず、深夜5時になっても眠れなかった私はさらにメンタルが絶不調になっていく。そして気が付いたら約束の6時。ということで今回はドタキャンさせていただく形になったわけだが、H氏には大変申し訳ないことをしてしまった。

自分自身と良い関係を築くのは難しい。自分自身と良い関係を築くことができないと、その先にいる現実の他者とも良い関係を築くことができない。コミュニケーション全般において、私は基本的に自分を相手より低く見積もるところから出発して実際に話をする中で後から修正を図っていこうとするタイプの人間なのだが、それがヘンな暴走の仕方をして周囲に迷惑をかけることもしばしばある。自分で自分を卑下していると、卑下した分だけ後からヘンな揺り戻しが起こったりする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ツイッターのアカウントを消そうと思ったとき、私は心の中で一つの懐かしい記憶を思い出していた。それは私がまだ5歳か6歳の頃。家族みんなで服屋さんか何かに買い物に出掛けたとき、私はわざと家族の輪から外れて遠くの方まで一人で店内をうろつき回っていたことがあった。私にはそうする目的があった。私は家族に自分が迷子になったと思わせて、自分を探させたいと思っていたのだ。私を心配してほしい、私がいなくなったらどんなに不安かを感じてほしいと思っていた。そういえば、海水浴に出かけたときなんかもそうだ。私は家族が遊んでいる付近からわざわざ遠くの方へと泳ぎに行った。浮き輪で波に揺られながら、小さく見える父や姉が私を探し出すのをジッと楽しみに待っていた。「もうそろそろ帰るよ」なんて言われてすぐに合流してしまってはつまらないと思っていた。それから、夜、布団の中に入って「今夜はどんな夢を見ようか」と考えたりするときなんかには「自分の葬式の夢を見てみたい、自分が死んだときに皆がどのような反応をするかを知りたい」と思ったりしていた。他の人がどうなのか知らないけれど、私にはそういうところがある。

それでいて私は、自分が家族の誰にも気付かれることなく置いていかれてしまうことをなによりも恐れていた。今でもたまに見る夢がある。そこでは明日家族みんなで温泉旅行に行こうということになっているのだけど、でもなぜか私一人だけ荷作りなんかをしているうちに彼らに置いてけぼりにされてしまうのだ。実際にそんなことがあったわけではないけれど、似たようなことならあった。家族で夏祭りに出掛けたとき、私と姉が出店でいつまでもオモチャをねだっていると、それに怒った父が私たちを置いていってしまったのだ。夏の夜にオレンジ色の出店の灯りがポツポツと光っている様子と、知らない人たちがざわざわと自分の周りを取り囲んでいる不安とが混ざり合った、独特の風景が今でも心に残っている。

それにしても、この置いていかれるということの恐怖はどこからやってくるのだろう。こうして思い出してみると、私が子どもの頃に感じていた恐怖のほとんどは、自分が一人ぼっちになってしまうこと、そしてそのことにすら誰も気が付いてくれないことにあったような気がする。去年辺りからずっとそうだけど、私は子どもの頃の記憶をよく思い出すようになった。恋人がいたときなんかはとくに、自分がその当時の自分に戻ってしまっているようにも感じた。今でもそうだ。私は自分のことをどこかで未だに子どもだと思っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〈更新中〉

12月12日(月)

最近、もう何年も前に作られた中学生の頃の同級生たちのLINEグループに久しぶりの連絡があって、都合が付けば正月休みに再会しようか、などという話が巻き起こっている。私は大学を中退したけれど、彼らは大学を卒業しただろう。私は働いていないけれど、彼らは仕事に就いているだろう。私は恋人がいないけれど、彼らには恋人がいるかもしれない。私は親から仕送りをもらっているけれど、彼らは自分で金を稼いで経済的に自立しているだろう。ありのままの自分を肯定したい、なんてクサいことを言っても始まらない。私と彼らが顔を合わせれば、そこにはきっと微妙な空気の摩擦のようなものが起こり、お互いにとってあまり良い時間にはならないだろう。私は彼らと連絡を取ることができない。彼らの前で平然と「いやあ、いろいろあったから今は何もしていないんだよね」などと笑って答えられる自信なんて、今の私にはない。

私は今のような状態になっても、金銭的にそれほど不自由なく生活することができているという点で恵まれている。それは実家(=父)が健在で、私が生活するだけの経済力なら担保できるからだ。確認したことはないけれど、おそらくそうだろう。父がどう思っているのかは知らないけれど、彼はなんだかんだ言っても私に毎月生活費を振り込んでくれ、私もなんだかんだ言ってもそれを当てにして生活してしまっている。今までもそうだったが、このような構造があるおかげで、私は本来なら引き受けざるを得ないであろう現実社会との関わりやそれに伴う痛みから逃れることができている。変わりたいと思いながら、変われない。

働きに出ない理由なんて挙げようと思えばいくらでも挙げることができる。でも、本当のことを言えば自分でもよくわからない。なんでもそうだけど、自分で思い付くことなんてのは所詮、要するに変われない自分を認めてほしいというような欲望の派生でしかなくて、本当の意味で自分をまるっきり変えてしまうような決定的な現実は自分で自分に突きつけることができないものなのだ。私は自分が本当に変わりたいのかどうかわからない。問題を問題だと思っているうちは問題を解決できないという、そういう身も蓋もない話なのかもしれない。結果は自分で思い知るしかない。

シャワーを浴びて、髪を乾かす。今日一日だけでも気分よく過ごすということを目標にしたらどうなるだろう、と、シャンプーを泡立てながら考えていた。さきほど昼食を食べながら読んだ本の中に「人は一人では変わることができない。でも誰かに寄り添われながら、互いに互いを変え合うことならできる」というような言葉があった。私は幸運にも男女問わず素敵な雰囲気を醸し出している人たちと多く出会えたことによって、一人でいるときにでも「もしあの人だったらどう振る舞うだろうか」などと考えて真似をしてみることがあった。そうでなくても、後から気が付いたら、彼らが私に話した言葉をあたかも自分が考えた言葉のように誰かに話していたこともあった。私は彼らと同じようにはなれないけれど、自分の無意識のどこかに、彼らがどんな場面でどんな振る舞いをしていたかという記憶が蓄積しているのだと思うと、自分が前よりも少しだけ頼もしく感じられるような気がした。

自分が本当に思っていることなら、きっとそれを信じて誰かに投げかけてもかまわないのだろう。私がそれを本当に思っていれば、そのことだけは伝わるはずだし、もしそれが間違っていたとしても、その先のどこかに私自身を変えていく機会が開かれているはずだ。本当に思ってないことを話しては、書いてはだめだ。しかし、それをときどき私はしてしまう。偉そうなことを話してしまうときはたいてい、自分の中に燻っている小さな不安や劣等感を忘れようとして、他者を否定するか、自分を否定するかしてその場を乗り切ろうとしているのだ。あらかじめ用意した言葉で自分の心のやわらかい部分を包み隠し、言葉の篭城を築き上げて閉じこもる。そんなことをしていてはだめだ。そこには現実の他者がいない。他者と触れ合うことなしに、自分を変えていく痛みも自分が変わっていく喜びもない。自分から離れられない。

こんなことを書いている時間があったら、さっさと服を着て髪を乾かして出かけよう。昨日から目が疲れて痛みもあるから、緑を見に公園でも行こう。帰り際に目薬でも買おう。

〈更新中〉

12月11日(日)

自分が始めたいと思ったわけでもないのに、人生は勝手に始まってしまっている。「これからどうやって生きていこう」とか「自分は何者なんだろう」みたいなことを考えるときはいつも、すでに始まっているこの人生というものに対して一歩引いた場所からものを考えようとしてしまっているけれど、でも、本当はどこにもそんな場所なんてないのだ。私は人生から逃れられない。どんなに考えを巡らせていても、身体はいつも人生の内側にいて、それを外側から加工したり設計したり修正したりすることはできない。私は勝手に始まってしまったこの人生に否が応でも参加しなければならない。いや、そう思うよりも前に参加させられてしまっている。

部屋の中にいても文字を打つ指が震えてしまうくらい空気が冷たくなってきた。布団から出られないでいるうちに、時計は夕方の6時を回った。ここ最近は、日頃お世話になっている方と数日前にファミレスで会食したこと以外は、わざわざ日記に書くまでもないほど自堕落な生活を送ってしまった。後から振り返って自分で自分に失望するくらい時間を台無しにすると、さすがにブログを書く気も失せてしまう。

1時間ほど前、そんなダラダラとした生活に変化を起こそうと、後先考えず唐突に数年使っていたツイッターのアカウントを消した。思い付いたときは「本当にこんなことをして大丈夫なのだろうか」と思ったけれど、いざ消すときは呆気なかった。今はまだあまり実感が湧かないけれど、やはり後から不便さを感じるのだろうか。まだわからない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3年ほど前に初めて登録してから、私はヒマさえあればスマホツイッターをながめるようになっていた。移動中の電車の中や寝る前の布団の中はもちろんのこと、当時からヒマの多い毎日を過ごしていた私は、一日のあらゆる時間帯にツイッターを開いていた。私にとってネットと言えばほとんどツイッターのことを意味する。そのくらい入れ込んでいた。世の中の動きも主にツイッターを通して知った気になった。著名人をフォローして彼らのシェアするニュースの記事を読んだり、実際に面識のある人をフォローしてその人の近況を知ったり、アートやイラストの作品を紹介するアカウントをフォローしてその画像を眺めてみたり、とにかくさまざまな情報を雑多に掻き集めていた。

ツイッターの使い方には個性が出る。私は誰かを「おもしろい」と思う手前の「おもしろいと後で思うかもしれない」と思った段階で気安くフォローしていたため、先月まで私のフォロー数は2000を越えていた。タイムラインには毎秒ごとに新しい投稿が流れる。私は共感したものや「おもしろい」と思ったものを次々とお気に入りにした。ツイッターを使い始めた当初は、自分の発言も似たような感覚で好き勝手に投稿していた。どのように見られているかなんて考えなかった。いま考えると鳥肌が立つけれど、当時は人生に対する不安や迷いが今よりもっと切実で、画面越しの誰かに対してまで気を払う余裕がなかったのだ。笑えないほど暗い投稿を繰り返し、おそらくかなり近寄りがたい雰囲気を漂わせていただろう。2年ほど前にそうした自分の姿のあまりの痛々しさに耐え切れなくなって、一度過去のつぶやきを全て削除した。

それ以降、自分ではあまりつぶやかなくなった。たまに声をかけられたとき以外は、誰かと交流するわけでもない。最近は自分でも何をつぶやいたらいいのか本当にわからなくなっていたのだけど、それは、前よりも少しはマシなくらいには自然と他人の視線を気にできるようになってきたからだろう。しかしそれと同時に、おそらく自分と他人ではツイッターの使い方が大きく違うのではないかという想いがごまかせないほど強くなってきた。私の関心があることや私が考えているようなことは、知り合い同士で楽しく何気ないやり取りを交わしている他人様のタイムラインにはきっとそぐわないに違いない。それにフォローしてくれている人にもいろんなタイプの人がいる。自分の思っていることをそのまま表現しながら全ての人に当たり障りないような形に、しかも140字以内にまとめあげるなんて芸当は、私にはできなかった。なにより直接話したことのある人に、直接話すことができない場所で嫌われたくなかった。いろいろな人がいろいろなことを言う場所で、それでも静かに堂々と振る舞うことが自分にはできなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのような理由で、このままツイッターをダラダラと使い続けるのはどうなんだろう、と長いこと思っていたのだった。私のように対外的な他人との関わり方の固まっていない人間が何の後ろ盾もなくそのまま世の中(=ツイッター)に打って出るのは、心理的にかなり厳しい。情報収集しづらくなるのは不便だけど、しかしそれもはたして本当に有意義な行いだったのかはわからない。とりあえず今は日記をほそぼそと書き続けながら、引き続き自分と世の中との接点を模索していきたいと思う。

ツイッターのアカウントを消すときに一番恐ろしかったのは、たとえネット上の仮初めの繋がりであっても親交のあった人たちから受けたフォローを失ってしまうことだった。思えばツイッターを始めたのは、3年ほど前のこじらせ方がピークに達していた大学生の頃だ。私がツイッターを利用していた時期は、現実にもネットにも心を通わす相手が一人もいなかった状態から、少しずつ自分を奮い立たせて他人の前に立っていった、その時期に重なる。まともな状態でなかった私は「フォローしてくれているということはたぶん自分を嫌ってはいないはずだ…!」なんていちいち考えながら恐る恐る生きていたものだが、おかげさまで今はもうそんなことを考える必要はなくなった。と、たぶん思う。またどうでもいい長文を書いてしまった。ドシッとしていればいいのだ。目が疲れたから今日はもうこの辺で終わろう。

12月5日(月)

昼夜逆転のサイクルに呑み込まれつつある。昨夜ユーチューブでウォッチドッグス2のゲーム実況の動画を見つけてしまったため、就寝が遅れに遅れてまたも午前4時くらいになってしまった。うなされながら起きたのは、午後1時過ぎ。近所に住んでいた保育園の頃からの幼馴染のKくんが夢に出てきた。

大人になったKくんは「おれも今はパソコンでようやくまともに仕事ができるようになったけど、それまでは大変だったんだよ。お前だってきっと何か見つかるさ」という現実的なアドバイスを私にくれた。私は「いやお前はそれで上手くいったかもしれないけど、おれが同じようにやって上手くいくとは限らないだろ」と思った、そのタイミングで目が覚めた。激しく降る雨の音が部屋に響き渡っていた。

学習机が片付けられたはずなのに、なぜか昨日よりも散らかっているように見える部屋を見渡しながら、布団にくるまってユーチューブを開く。布団から出たのは午後2時過ぎ。居間に降りてパンを一枚トースターに入れた後、いちごジャムとバターを塗って食べた。テーブルに置いてあった目玉焼きを食べて、隣に並んでいたソーセージはラップに包んで冷蔵庫に入れた。その頃にはもう午後3時になっていた。

シャワーを浴びて、服を着替えて、部屋にあった燃えるゴミの袋から十数冊のノートを取り出してリュックに入れ、玄関を出た。父が昨日知らぬ間にゴミ袋に入れていたらしいが、これらはまだ捨てられない。まだ噛みしめていない。私は雨の中リュックを担いで図書館に向かった。歩きながら音楽を聴く。青葉市子さんの『yura yura』という曲がなんとなく雨に似合っていて、少し自分に酔いながら街を歩いた。少しではなかったかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして今、図書館にいる。コンビニで買ったタラタラしてんじゃねーよを2つ平らげて、午後の紅茶(あたたかいミルクティー)を一気に飲み干して、むせて、施設の中にある飲料水で喉のむかつきを和らげてから座席に腰を落ち着かせている。脚の筋肉が落ちているためか、歩いているとときどき膝がカクンと折れる。それに腹と胸にたまった贅肉も邪魔だ。顔も膨れていて横から見ると自分が自分でないような気がする。そういえば洋服を買おうと思いながらもう何日も経っているけれど、気が進まないのはなにも、朝起きられなくて日が出ているうちに外出できない、という理由だけではないだろう。自分に服を選ぶセンスがないということや、そもそもどんな服を着ようが不恰好になるほど太ってしまったことに直面したくないのではないか。と、放っておくとこんな風に頭は勝手にいろんなことを考えてしまう。最初は記憶を頼りに書いていたはずの文章が、こうして文章を書いている現在の自分自身に追いつこうとしているのだ。もうこれ以上書くべきではないのだろう。午後6時半を回った。そろそろ図書館に来てしようと思ったことをやろう。

と、そんなことを思ってブログから手を離した私はしばらくスケッチブックに絵を書いていた。しかしそれにも飽きたので、いつものようにツイッターを開く。そして興味深い記事が目に止まる。

男同士で傷を舐め合ってもいいじゃないか! 「男らしくない男たちの当事者研究」始めます。 - messy|メッシー

最近個人的に読もうと思って読んでいない本1位の『非モテの品格』の著者で評論家の杉田俊介さんと、ツイッターでそのつぶやきをたびたびお目にかかる度に問題意識が自分と近いと勝手に感じているまくねがおさんの対談がメッシーで連載されるらしい。この日記のどこかでも書いていると思うが、私は自分自身の中にいわゆる男らしさ的な感性がそれほど備わっていないがゆえに、社交上の付き合いなどで男の子的な会話(例:「女の子にモテたい」「誰々ちゃんが可愛い」「あいつはホモだ」など)の流れになると違和感を感じて突っかかりたくなる(例:「モテることで本当に満たされるのか?」「人間を容姿で判断してもよいのか?(お前が他人のこと言えるのか?)」「同性愛の何が悪いのか?」など)ことがたびたびあった。かといって私は、今までもこれからもおそらく女性に対して恋愛感情を抱く異性愛者であって同性愛者ではないだろうから、このモヤっとした感じは一体なんなんだろうなあと思っていたところに、男性学を始めとするこれらの「男らしくない男でも別にいいじゃないか」系の言説と出会って、なんとなく自分の内面的な問題意識に重なるような気がしていたのだった。と、また大袈裟に書いてしまった。つまり私は、自分と同じように「男のくせに」ウジウジしていて現実に上手く乗り出せない人(というか、そんな私に共感してくれそうな人)の匂いを嗅ぎつけて、そういう人たちがどのように世の中と折り合いを付けているのかを知りたいと常々思っているのだった。というわけで今回も読んでみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

結果、非常に共感する内容でした。とくに杉田さんが笑いながら話した

そうだよね、男は「愚痴」は言えるけど、心からの「弱音」はなかなか吐けないんだよね。

という一言がとても胸に沁みました。非常によくわかります。私は割と年がら年中「弱音」を吐いているような節がありますが、この文のニュアンスではおそらくそれも自分に対する「愚痴」であって、心からの「弱音」ではないかもしれません。

とにかく、非常に更新が楽しみな連載が始まりました。私はとても嬉しいです。

〈更新中〉

12月4日(日)

深夜4時まで起きていたせいで、目が覚めたのはもう昼の1時過ぎだった。居間に降りると、テーブルにはドライフルーツのかかったヨーグルトと冷凍されたパンが置いてあった。パンをトースターにかけてジャムとバターを塗って食べた。それから何をしていたかは覚えていない。シャワーを浴びたり服を着替えたりなんかしているうちに時計は3時を回っていて、いつもみたいに布団の上に寝転びながら、また部屋の片付けに取り掛かろうとしていた。

昨日の日記にも書いたように、私の部屋は姉が小学生の頃に使っていた学習机が大きな邪魔になっていた。ふいに思い立った私は、まず付属していたパイプ椅子を隣りの使っていない部屋に移して、それから学習机を持ち上げて部屋の入り口まで運んだ。幅がギリギリだったがなんとか外へと運び出した。部屋が広くなった。布団の向きを変えられるようになった。そして、そのタイミングで父が帰宅してきた。父は午後になるとよく祖母の家へと向かう。まだ5時だというのに空はもう夜のように暗くなっていた。

父は廊下に投げ出された机を発見した。そして、私が部屋で片付けの続きをしている間に六角レンチで解体を済ませてくれていた。本当なら部屋の机をどうにかするのは最後まで私がしなければならないことだと分かってはいるのだが、親子というものはどうしてもそういう境界線が曖昧になりがちだ。といっても私は父の決定や父の行動についてほとんど関与していないのだけど、しかしこれに限らず父は何も言わずに多くのものを私にもたらしてくれる。

父は私の口座に現金を振り込んでくれるばかりではなく朝と夕方に私の分の食事を作ってくれる。私が台所に置きっ放しにしている皿を勝手に洗ってくれるし、私が洗濯機に放り込んだままにしている洋服を知らぬ間に干してくれる。干した洋服を畳んで私の部屋まで持ってきてくれるのは父であり、私の留守中に私の部屋を掃除してくれ、燃えるゴミや燃えないゴミを出してくれるのも父である。何も言わずにそうしてくれる。

もちろん私は共同生活を営む一人の人間として分担すべきだった作業を何も言わずに引き受けてくれたということに関して父に感謝すべきなのだろう。しかしなんとなく感謝できない。なんなら「頼んでもいないのに無断で部屋の中に入って欲しくない」とさえ思い、「私は朝食を食べなくてもよいのにテーブルの上に食べ物を置かれるとつい食べてしまうじゃないか」「洗濯なり皿洗いなりも私のタイミングでしたいときにするのだから、私の分までしなくていいのに」と思ってしまう。でも、めんどうくさがりだから最終的には甘える。これはよくない。だから私はやっぱり実家に長くは居られない。実家にいると、なんというか、自分の意思で自分の行動を決定するという感覚がじわじわと失われていくような感じがある。

 

そんな父と今日は珍しくラーメン屋に行った。私が「ラーメン屋に行きたいのだが車を出してくれたりしないだろうか」という目をしながら父に「あそこのラーメン知ってる?」という話を振ると、父も話に乗ってくれたのだった。

今日ラーメン屋に行ったのはとても良かったと思う。私が「行きたい」と思って、頼みを父に伝えて、父もそれを受け入れて、二人でラーメンを食べた。食べたいと思ったラーメンを食べたいと思った瞬間に食べることができたのも素晴らしいが、この順序で物事が完結したというのがもっと素晴らしい。大袈裟なようだが、このようなプロセスを経て自分の欲求が満たされたことは、今までの私の人生でほとんどなかったのではないか。「何も言わずにしてもらう」「何も言わずにしてあげる」という関係性が当たり前になると、長期的に見たときにどうしてもお互いの意思疎通がぎこちなくなってしまうものだけど、今回のように「言ったことだけしてもらう」「言われたことだけでしてあげる」というやり取りができると、なんというか、お互いの意思決定を尊重した、風通しの良い関係性が築けるような気がする。なによりとても気分がいい。ラーメン屋まで車を出してくれたことについては、あと、奢ってくれたことについては素直に父に感謝できる。今日はありがとうございました。

〈更新中〉

12月3日(土)

今日、昨日、一昨日とまったく同じ一日を過ごしていたような気がする。唯一違うのは、今こうして近所のうおべいで寿司を食べていることだ。玄関を出る前に「そういえば5日くらい前に寿司を食べたいと思ったことがあったな」ということを思い出して、シャワーを浴びて、服を着替えて、上着を羽織って自転車に乗った。午後5時ごろだった。空はもう真っ暗だけど、近所の保育園の窓にはまだ働いている人たちの影が見えた。他人の気配がする時間帯に外に出たのは久しぶりだった。おそらく家に居れば今日も自動的に夕飯が食卓に並んでいたのだろうけど、もう3日も繰り返してしまったこんな生活に自分なりに少し抵抗したくなって、ひとまず回転寿司を食べに来たのだった。とくに腹が空いているわけでも、どうしても寿司が食いたかったわけでもない。このままだとまた明日もダメにしてしまいそうな気がしたから、こうして寿司屋に来てブログを書いている。

この3日間、私はほとんどの時間を寝て過ごした。4日間だったかもしれない。何日か前に知り合いのお店で久しぶりに会う人たちと顔を合わせたのを最後に、実家に帰ってそのまま延々と眠り続けていた。これは言い訳だけど、私の部屋は、中に入るとどうしても布団の上に寝転がるしか構造的にできないようになっている。面積が狭いため、布団を畳んでおくスペースがない。それからストーブの効き目が弱いため、室内が慢性的に寒い。そして床は板張りのため座り心地が非常に悪く、腰かけるにしても部屋には姉が小学生の頃に使っていた学習机とそれに付いていたパイプ椅子しかない。当然、座り心地はよくない。そうすれば布団の上に寝転がるしかない。そして寝転がれば自然に寝てしまうのが人間というものだ。ちなみにこの学習机は部屋のスペースをかなり圧迫しているためいい加減捨ててしまいたいと思っているのだが、しかし部屋には他にも捨てるべきモノがたくさんある。数年前に買い込んだけど結局ほとんど読まなかった膨大な古本、参考書、学生時代に使っていた教科書、ノート、証明書、日記…

実はこの数日間、私は長い眠りの合間合間に、少しずつこれらの本や書類を片付けていた。実家に帰るたびに片付けようと思うのだが、どうしても気が進まない。これでもかなり減ったほうだ。私の部屋の中には「いつか読むかもしれない」と思って取っておいた教科書やノートが小学生の頃からのものを含めて大量にあり、今はようやくあと一山か二山という具合に減ってきたのだ。しかしその一山が3日かけてもなかなか減らない。「いつか読むかもしれない」と過去の自分が思った理由がとてもよくわかってしまうほど、捨てるに捨てられない書類が凝縮されている。

これは言い訳だけど、物理的に捨てるというだけならある意味簡単なのだ。しかしどういうわけか、これらの書類を前にすると「きちんと自分なりに噛み締めてから捨てたい」という気持ちになってしまうため、なかなか捨てることができない。中身に目を通さなければたしかにすぐ捨てられるかもしれない。でもそれでは自分でも何を捨てたかわからないではないか。自分でも何かわからないものを捨てたというなら、それは本当に何かを「捨てた」と言えるのか。私はただ紙や本を束ねてヒモで縛りたいわけじゃない。それらに書かれている内容ごとヒモで縛って捨ててしまいたいのだ。だから読まなければならない。読んで噛み締めなければならない。

そういう発想になるから私は余計な体力を消耗する。そしてその挙句、疲れて眠ってしまうのだ。布団の上に散らばった書類を避けるように身体を丸めて「今日も一歩も外に出なかったなあ」という罪悪感を胸のどこかに感じながら眠りにつく。そんな数日間だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

店内が騒がしくなってきた。後ろを振り返ると入り口に行列ができている。会計を済ませようと、座席に備え付けられたタブレットをタップすると、若い女性の店員さんがやってきて「お店のシステムが変わりまして、こちらをタップしていただいて直接レジに伝票をお持ちになって下さい」と言われた。皿はもう数えないのか。回転寿司チェーンはどこも驚くべきスピードで技術革新している。これでは近い将来ほとんど人の手は要らなくなってしまうだろう。今だって店員さんは、ほとんどシステムの補助をするために働いているようなものだ。すれ違った若い女性の店員同士が「前髪切ったでしょー!」と笑いながら声をかけ合っている。人間らしくていいと思う。たとえそれが愛想笑いだったとしても。

店の入り口にはぞろぞろと人が並んでいる。家族連れが多い。彼らも自動的に運ばれてくる寿司を食べに来ているのだ。そういえば大学に通っていた頃、他人の視線が恐ろしかった私も、回転寿司屋にだけは入ることができた。無機質な空間にやたら音量の大きいBGMが無意味に流れている。手元までは自動的に運ばれてくる寿司を最後は手動で口に運ぶ。私はお茶をすすりながら自分の座席でひたすらスマホをいじっていた。ファミリー席に座っている大学生のグループとは目を合わせないようにして、同じカウンター席に座っている一人ぼっちの高齢者を勝手に自分の味方につけていた。今、そのときの気持ちを思い出す。なんの文化もない、なんの豊かさもない。そういえば父の退職祝いも祖母と父と私と3人で回転寿司で済ませたものだ。私はこの空間の隅から隅まで軽薄だとしか言えないような雰囲気が、なんとなく現代を象徴している気がして嫌いだった。そして不思議と居心地がよかった。

〈更新中〉

11月28日(月)

中国に行ったこともないはずの父が中国に対する悪口を楽しそうに会話に織り込んでいるのを耳にすると、なんとなく「ああ…実家に帰ってきたんだなぁ」という気分になる夜を過ごしています。こんばんは。世の中にはいろいろな考え方の人がいて、ほとんどの人は「自分の考え方は本当に正しいのだろうか」なんてわざわざ疑ったりしないから、何か実害を被らないかぎり結局は放っておくしかないんだろうな、と最近は少し考えがマイルドになってきている私です。ちなみに私は国籍で人を好きになったり嫌いになったりしないタイプの人間(少なくともそう思っているつもり)なのですが、父のように国籍で人を好きになったり嫌いになったりするタイプの人間も現に存在しており、60年も生きていればさすがに今さら考え方を変えるのもキツイだろうから、今の私にはとりあえずそっとしておくことくらいしかできないと思っています。父に私の考え方をコントロールできないように、私も父の考え方をコントロールできないので。

すいませんどうでもいい話でした。この辺りの話はまだ自分でも考えがまとまっていないのでまた今度にしたいと思います。お父さん誕生日おめでとう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて。数日前から東京近辺でさまざまな人と会って話をしてきました。私はどうも相手の発言にいちいち突っかかっていくのが癖になっているようで、今回も何か違和感を感じるたびにウズウズしてしまってどうしようもなかったのですが、最近は以前より、真っ向から意見を対立させなくてもその場をストレスなくやり過ごせる技術を身につけ始めた気がします。

いろいろな人がいます。「この人の話はもっと聞いてみたい」と思った人なら別ですが、そうでない人にまでわざわざ自分の感受性を全開にしてぶつかっていく必要はなく、ポイントポイントで会話が少しでも自分の興味の持てそうな方向に変わっていきそうな言葉を投げ込みながら、それでも話が変わらなければ全然違うタイミングで相づちを打ったりしてそれとなく意思表示していれば良いんだな、とだんだん思えるようになってきました。多くの人たちもそうやって時間をやり過ごしているようです。

本当なら会話の中で相手を一切イヤな気分にさせずに自分の気持ちを簡潔に伝えることができたら一番良いんだろうけど、それはまだ自分にはできません。幸いにも、4人以上の空間になると「あーーなに話そうかな今。話すことがないわけじゃないんだけど、たぶん独りよがりになってヘンな空気になるだろうなぁ。どうしよう」と思っているうちに会話がどんどん先に進んでいくことが多いので、とても助かっています。ていうかなんでこんな話になっているんだろう。ふつうに楽しかったはずなのに。ふつうに楽しかったです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なにがどう楽しかったのかを整理するために、最近自分がどのような日々を過ごしていたのかいつものように振り返ってみます。

11月23日(水)喉の違和感を感じながら車で新潟から東京方面へ向かう。昼過ぎごろ都内のホテルにて共通の知人を介して連絡のあった女性と面会、会食。成田空港まで送り届けた後、そのまま神奈川方面へ向かい、もうろうとした意識で漫画喫茶に一泊。

翌24日(木)漫画喫茶で起床。喉がヒリヒリと痛み始める。電車で日本橋へ向かい、連絡のあったエアビーを営む女性宅に訪問。部屋の清掃をした後、甘い匂いがするのに全く味が甘くないおいしいコーヒーをいただく。電車で池袋へ向かい、 連絡のあった女性二人と面会、会食。電車で藤沢へ向かい、知人宅に一泊。

翌25日(金)知人宅で起床。喉の痛みはなくなるが、痰の絡んだ咳が出るようになる。車で相模原へ向かい、連絡のあった女性宅に訪問。部屋の清掃をしながら、お話を伺う。昼食にカレーをいただいた後、電車で高円寺へ向かい、街角のおしゃれな洋食店にて連絡のあった女性と面会、会食。私の書いた絵を差し上げる。電車でふたたび藤沢へ向かい、知人宅に一泊。

翌26日(土)知人宅で起床。乾いた咳に変わってくる。車で江の島海岸へ向かい、知人らとともにたき火。その場に居合わせたボーダーコリーと砂浜を全力疾走。「海で火を焚いていいのか(いやダメに決まってる)」という一般人からのクレーム対応。車で東京から新潟方面へ向かう。深夜4時、三条市の漫画喫茶にて体力を使い果たして爆睡。

翌27日(日)漫画喫茶で起床。眠い体を引きずりながら、三条市の公共施設にてミニ四駆大会の運営補助。誰も利用者がいないシャトルバスにスタッフとして同乗。数時間寝る。イベント終了後の片づけ補助。車で新潟駅へ送ってもらい、実家へ帰宅。久しぶりに家で爆睡。

そして今日、11月28日(月)午後3時、起床。筋肉痛で身体は痛むが、咳は徐々に落ち着いてくる。父の作ってくれたサンドイッチを食べた後、パソコンにてブログを開く。少し前からリビングのテレビにクロムキャストと大きなオーディオが装着されたので、ユーチューブで流した音楽が高音質かつ大画面で鑑賞できるようになった。 

〈更新中〉