11月23日(水)

今朝5時、新潟からH氏の車に乗せてもらって東京へ向かい、今は神奈川県某所の漫画喫茶でブログを更新しています。こんばんは。いつものように自分でもよくわかっていないのですが、ざっくりまとめると、今回は私とH氏とK氏の三人で「不特定多数の人に向けて自分たちに手伝ってほしいことを募集し、依頼があったら基本0円でそれに応えよう」という企画が28日(月)まで行われることになり、その一環で東京までやって来ることになりました。一昨日佐渡から帰って来たばかりということもあり体調を崩してしまってはいるのですが、とりあえずこれから1週間、連絡のあった方の下へ伺って依頼に応えていくという日々が始まるようです。今日は早速都内で一件目の依頼(と言っても私は会食の場に同席していただけで何もしていないのですが)を終えて、夕飯にカレーうどんを食べた後、今は明日からの依頼に備えるべく身体を休めています。風邪のせいで明らかに身体はダルく、それゆえ気分もかなり落ちていますが、こういうときに限ってなぜか寝れないのでヒマつぶしに書き進めてみます。

 

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11月22日(火)

私の頭の中にはいつも「これ以上調子に乗ったらお前は死ぬしかないよ」とささやきかけてくる別人格の私がいて、そいつが引いているラインを一歩でも越えてしまうと、後からものすごい後悔が襲ってくることになるので毎日ビクビクしながら生活しているのですが、今日は激しく調子に乗ってそのラインを大幅に踏み越えてしまったため、久しぶりに精神が大荒れになっています。

私のような一見自虐的な人間にはありがちな話ですが、私はすでに自分でも受け入れていて誰かにディスられても構わないと腹をくくっている特徴(天パ・デブ・ニート・引きこもり・うんこ・コミュ障・うどの大木など)に関してはいくらでも他者に差し出せるのですが、そうでないところについてはおそらく人一倍プライドが高く、その辺りの繊細な自意識を正確に理解してくれている人でないと、なかなか上手くコミュニケーションが取れないところがあります。

今日は知り合いのお店にて急ごしらえのイベントを行ったのですが、一応企画の段階から話をもらっていたにも関わらず、事前のコミュニケーション不足のせいか、本番になってからまったく納得のいく議論を行うことができず、個人的には散々な内容を世間に放出してしまう形となりました。一度世の中に出してしまったものについて、ここでぐちぐち反省の弁を語るのもダサいかもしれませんが、このブログは私にとって「戦う場所というよりむしろ安らげる場所」「対外的に発信するというよりむしろ自分と対話する場所」「本気で作り込むというよりむしろ何も考えずにとりあえず出してみる場所」になってきているので、自分の精神的なメンテナンス面も考えた上で、ここは思いきりグチグチ言わせてもらいたいと思います。

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最近忙しくて体調も優れないのでメンタルもささくれだっていますが、それ以上に、他者に対して自分が心地よいと思う距離感を守れなかったり、他人にはどうでもいいかもしれないけれど自分には絶対に見過ごせない些細な違和感を感じたときにすぐ口に出せなかったりすると、私は精神がみるみる腐っていきます。とはいえそもそも私にとっては現実世界もフェイスブックツイッターに代表されるネット空間も、有象無象の他者が腹の底では互いに自分自身を認めてほしいと思いながら表面上では出会った人全てにきちんと応対しなければならないという絶対に後から辛くなるに決まってる同調圧力に満ちた空間、という風に見えていることが多いため、自分の居場所を感じることはほとんどありません。しかし新潟県にある私の実家の私の部屋の布団の中とこのブログだけは少し違います。今日のようにメンタルが傾いているときほどその存在が大変ありがたく感じられます。

繰り返しになりますが、私は精神的なケアをするために日記を書いているだけなので、たまたまなんとなく公開しているだけのこの場所で対外的に発信するつもりはありません。なので、まれに「ブログ読んでいますよ」などと誰かに言われると、もちろん嬉しい反面、恥ずかしいというか気まずいというか(不特定多数の人に公開しておきながら)私の安全地帯に土足で入って来られたような気がして微妙な心境になってしまい(だったら公開するなという感じですが)単純に嬉しいとは言えない気持ちになってしまいます(もちろん嬉しくないわけじゃないですよ、この辺りの感受性をなんとなく察してくれる人とだと私と仲良くできるかもしれませんね、というだけのことですよ)。そんな私をコミュ障だなんだといくら馬鹿にされても構いませんが、私はなるべく自分の感受性に背かない形で生きていたいと思っているだけなので、あくまでネタとして言ってもらう面では構わないのですが、もし本気で「コミュ障だから死んだ方がいいよ」などと侮蔑されるようなことがあったら、私も本気で相手を論破しにかかると思います。それにしてもさっきから自分でも何を書いているかわからなくなってきたので一旦休憩しますねごめんなさい。風邪引いてるからか、しなければならないことが久しぶりに舞い込んできているからか、さっきから精神がざわついてしまって落ち着きません。クソみたいな気分です。クソです。

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そう言えば、さっきやったイベントを個人的に納得のいく結果にできなかった、というその反省から今日の日記が出発していることを忘れていました。その言い訳を書くつもりだったのでした。

突然のフリ、しかも、「とりあえずゆるく話そうよ」という当事者もそれほど本気でやっているわけじゃない感を十分にアピールした内容だったことを考慮に入れても今回の内容は無残なほど不十分でした(もちろん私が話した内容に関する部分だけで、他の方々に関してい言うことはなにもありません。私が切り込むところを切り込めず、準備しておけるところを準備せず、誤魔化せるところを誤魔化しきれなかったところが問題だったのでした)。企画してくれたH氏や協力していただいた方々には本当に申し訳ないことをした、と、こうやって謝罪することが余計にお互いにとって良くないことだと十分承知していながらも、どうしても思わざるを得ません。今までは誰かの始めた企画に対してされるがままの形で参加するだけの立ち位置にいることが多かった私ですが、一応今回はホストとしてやるという体になっていたので、自分が本気になってやりたいと思うテーマに対して、十分に自分の感受性を及ぼしきれなかったことがなにより悔やまれます。しかしそのおかげで現時点での私が、何を赦せて何を赦せていないのか、何を大切だと思っていて何をどうでもいいと思っているのか、何を恐れていて何を喜びだと感じるのか、その輪郭がぼんやりとわかってきたような気がします。それだけが良かったところです。

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今回のイベントのテーマは「トランプ現象」についてでした。一応イベント自体は「大学」という打ち出し方でみんなでふわっと話をしながら適当に学んでみようという形でしたが、私としては「トランプ現象」に一年ほど前からずっと熱い関心を抱き続けており、なおかつ個人的にそれなりの意見・批判・思想を抱くようになっていたため、「ふわっと」という企画趣旨に叶うようなトーンではもう話すことができなくなっていました。何かに意見するということは、どれだけ気を配っても必ず誰かの意見を批判するという側面を帯びてきます。私は他人と議論する中で、互いに批判し、批判される関係性を築いていくのはとても楽しいと感じる方ですが、必ずしも全ての人がそう感じるわけではないのが難しい所で、かつ、ただでさえ政治というタブー感溢れる話題に、私だけが批判を恐れず滔々と持論を話していくのもかなり無理がある空気だったので、各方面に気を遣った結果、むにゃむにゃとしたことしか話せませんでした。企画の段階から話をもらっていたにも関わらず、その場のノリと勢いでなんとかできるだろうと思ってしまったこと。これが一つ目の反省点です。

二つ目は単純な知識不足です。「トランプ現象」に関して、一年ほど前から各メディアで報道されるにつけ情報を得ていたと思っていましたが、専門家の話についていくのが精一杯で、細かいところはきちんと理解できていなかったようです。

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11月19日(土)

ライターの雨宮まみさんが亡くなったことを、昨日ツイッターで知りました。軽く見渡しただけでも、生前親交のあった人たちや、彼女の言葉によって励まされた多くの読者の間に大きな衝撃が走っているのを伺えます。私は彼女について多くのことを知っているわけではありませんが、代表作である『女子をこじらせて』という本なら一時期熱心に読んだことがあります。ウェブ上で何度か彼女の連載を読んだこともありました。自分にあまりその必要がなくなったのか、最近は彼女の書いた文章を読むことは少なくなりましたが、それでもちょくちょく発言をフォローしており、また何かで辛くなったときには読むことがあるかもしれないなと、どこかで勝手に彼女の書く文章を信頼していました。というより、していたようでした。彼女が亡くなったと聞いて、無意識に自分が少なからずそう思っていたことに気付きました。

誰にも打ち明けられないような悩みを抱えているときやどうすればいいかはわかっていても自分一人ではとても自分自身を支えることができないとき、誰かの書いた文章が、たとえ自分と何の関係もない誰かであっても、とても大きな力を持つことがあります。彼女が私にとってそういう存在だったかといえば、正確に言えば少し違うのですが、私の知っている範囲では、プロとして文章を書くということの誇りや気概を感じさせる数少ない書き手の一人だと認識していました。とくに『女子をこじらせて』を読んだときはこれほどまでに言葉で自分の内面に迫っていけるものなのか、そしてそれを曝け出せるものなのか、と、心を動かされた記憶があります。私にとって文章を書くということは、どちらかというと現実逃避として、向き合わなければならない自分自身の何かから目を背けるためにやってしまいがちな行為ですが、彼女にとってのそれはまったく違うものだったでしょう。今回の出来事は私にとって、そういうことを考えさせる貴重な機会になりました。

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さて。そんなことを思いながら船に揺られて、今日は佐渡までやって来ました。佐渡の家で、一昨日カンボジアから帰って来たというH氏と大阪からわざわざやって来た女性とともに、ソーメンを茹でて食べたり、お茶を飲んでダラダラしたりしています。下手に家でダラダラすると、夜寝付くのが遅くなったり、罪悪感が溜まって外出するのが億劫になったりしますが、出先でダラダラするとそういうことがあまりなく、本当にダラダラできるのでとても良いです。今、こたつに足を伸ばしつつ、本当にダラダラしながらブログを更新しています。

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話を戻します。雨宮まみさんの訃報に関連して、私は女性の書き手による文章をよく読んでいた時期がありました、という話をしてみたいと思います。それは別に女性だから優れた文章を書けるとか、私自身が「女性的な感性」(そんなものな)に共感するからということではありません。自分に対して鋭く疑いの目を向け、かつ、自分の内面的な問題に真摯に向き合っている(と私が思う)文章の書き手にたまたま女性が多かったというだけのことです。

しかし、これは私の主観ですが、男性は、社会や経済などの主語の大きな文章を書くことはよくしますが、あくまで自分自身の内面的な問題に対して粛々と、かつ赤裸々に自分語りができるような書き手はそれほど多くないという印象があります。今でこそ社会学者・田中俊之さんを初めとする「男性学」という学問分野が一部で注目されるようになり、この社会において男性が男性であるがゆえに抱えてしまう生きづらさ(大学卒業したら定年するまでずっと働き続けてなきゃいけないプレッシャーとか)みたいなことが問われるようになってきていますが、それも「学問」という後ろ盾があっての話です。個人的には私自身も、社会や思想などの主語の大きな話が大好きな部類の人間なのですが、本当ならそれよりも自分の気持ちの変化に敏感でいることや、またそれを言葉として外に出すことの方が、現代日本の男性にはとくに求められているのではないか、と、また主語の大きな話をしてしまいました。とにかく私はそういう理由で、男性であるにもかかわらず(というかそういう人は結構いると思いますが)おそらく現代日本で生きづらい女性向けに書かれたであろうエッセイを読んで、自分の内面的な問題に照らし合わせることがよくありました。雨宮まみさんもそういう文脈で知ったことになります。

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さて、ここからが本題なのですが、

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11月17日(木)

この心のざわめきを一刻も早く言葉にして吐き出したいと思いながら、書いては消すを繰り返してもう何分も経ってしまっている。電池は残り5%しかない。早く書き残しておかないと、これから家に帰るまでずっとこのモヤモヤを抱え続けなければならなくなる。早くしないと。こんな前置きはいいから早くしないと。

さっきまで私は家電量販店にいた。新しく発売になった『MacBookPro』っていうパソコンは一体どれほどの物なんだろうと思って立ち寄ったのだ。展示品の周りをうろつきながらちょこちょこキーボードを触ってみたり、画面の大きさを見比べてみたり、手に持って重さを感じてみたり、パソコンの性能について書かれているパネルの文字をとりあえず目で追ってみたりして、よくわからないなりに品定めをしていたのだった。くそダメだもう1%しかない。寒くて手が動かない。もうだめだ。きっとこの先の展開を書き終える前には電池が切れる。この先が重要なのに、起承転結なんて気にせずに言いたいことだけ先に書いておけばよかった。店員さんとの会話がすごくぎこちなくて死にそうだった、こんな経験久しぶりだった、ってさっさと書いておけばよかった。だめだもう時間がない。寒くて指が動かない。だめだ。

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改めましてこんばんは。それからしばらくしてようやく実家に帰ってきた私です。電車に乗っている間や、最寄り駅から実家に歩いて帰って来る間、あの店員さんとのぎこちないやり取りが何度も頭をよぎり、その度に精神力を削いでいきましたが、今やこうして自分の部屋に閉じこもり、私好みの重めの布団に押しつぶされながらスマホをいじり倒すまでに至っています。男梅サワーやほろよい(冬みかん)を口に流し込みながら、少し奮発して買った300円強のあたりめを噛む。なんて素晴らしい夜でしょうか。店員さんに声をかけられ、パソコンに関する知識がほとんどないくせに「ウィンドウズってあの、キャッシュ?っていうんですか、なんか使っていく内にゴミみたいのが溜まっていくらしくって、何年か前に買ったパソコンなんですけど今すっごく遅くて全然使えないんですよねー…」ととっさに話を繋げてしまった数時間前。店員さんの「はい、そうですね(そんなこと知ってますよ。で、私は何をすればいいんですか?)」という返事とともに送られる視線が、私の知ったかぶりをごっそり暴いているような気がして、なんというか、とても生きた心地がしませんでした。でも今、こうして書いてしまったのだから、一つ片が付きました。そんな気まずい時間ともお別れです。誰かに言うまでもないような些細な違和感や感情の行き違い。それらをあえて言葉にすることで、消化し切れなかった小さなわだかまりは、私の心を離れてインターネットという広大な海の中へと消えていくのです。さようなら。もし買うとしてもネットで直接買うからきっともう店頭には行かないと思います。きっと。

さて。さっきまで図書館で『日本語の作文技術(本多勝一)』という本を読んでいました。そこで

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11月15日(火)

新潟に帰って来て4日目。基本的にまた実家でゴロゴロする生活に戻っているため、早くも精神が停滞しつつあります。さきほどもツイッターでうっかり知り合いの知り合いが楽しそうにプログラミングの練習に打ち込んでいる様子が垣間見えてしまったために、淀みつつある精神がさらに淀もうとしています。二ヶ月ほど前に八王子のシェアハウスにお世話になっていた頃、私は彼と同じそのプログラミングを序盤の序盤だけ勉強したことがありました。今はそのまま放置しており、練習用にアプリだけスマホにダウンロードされているのですが、「勉強しようと思ったのに全然やってない」というかすかな罪悪感みたいなものが呼び起こされ、今、仄暗いメンタルの底からイヤな匂いが発しています。まともに話したことすらないその人のことを危うく嫌いになりそうです。SNSをみていると、往々にしてこういうことが起こりますが、どうして私はすぐにこうなってしまうのでしょうか。ひとまず昨日から今日にかけての自分の動向を振り返ってみます。

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昨日は珍しく外にでも出掛けようかと思い立ち、夕方4時ごろ、まず電車に乗って新潟まで向かいました。新潟に着いてから、しばらく適当に街を歩き、モスバーガーでテリヤキバーガーとモスチキンを食べ、自販機でキリンレモンを買い、ユニクロで冬物の服を物色し、Tジョイ新潟万代で映画『何者』を観て、濱来たラーメンで醤油豚骨ラーメンを食べ、電車に乗って実家まで帰った後は、居間のテーブルに置かれていた夕飯(何だったか忘れた)を食べ、寒いから布団に潜り、ダラダラしているうちに風呂に入る気も失せて寝転びながらカリントウと煎餅をそれぞれ一袋ずつ食べ、スマホでホラーゲームの実況動画を見て、気付いたら寝ていました。目が覚めたのは午前9時。そこから二度寝三度寝を繰り返し、再び目が覚めたのは午後一時。寒さに震えながら居間のテーブルに置かれていた寿司(父はイオンの火曜市に合わせて毎週まとめて食料品を買いに出掛ける。買い物に行った日は昼食が少し豪華になるのが我が家の慣わし)を食べ、デザートにシュークリームといなり寿司を食べ、寒いから一旦布団に潜り、暇つぶしに大富豪と七並べのゲームをスマホにダウンロードして一二時間遊び、ダメだと分かっていながらカルビーのポテトチップスを一瞬で食べ、気付いたら寝てしまっていて、起きたら夕方の6時になっていました。それから夕飯にサラダと焼肉を食べ、湯船に浸かり、スマホで動画を観て、一瞬付けてみたテレビで星野源夏帆が激しい濡れ場を演じている映画を観てしまい少し動揺し、今、ふたたび布団に戻ってブログを更新しています。このような流れになります。

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こうして書いてみると、改めて自分が

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11月13日(日)

今夜はなんか「スーパームーン」とかいう何十年かに一度月がすごく大きくなって見える現象が起きているらしいんですが、結局一日中家の中に居てしまったためにどんなもんなのかまだよくわかってないおれです。こんばんは。もう12時を回ってしまったけど、とりあえず一旦外に出てみようかなどうしよう。

あ、でも今「スーパームーン」って書きながら思い出したことがあったので、散歩に行くならそれを書いてからにしよう。それで、今日はコンビニでほろよいを買ってから寝よう。

何年前のことか忘れたけど、今でも覚えているすごく印象的な夢を見たことがありました。当たり前だけど、その夢を見た直後は今よりももっと鮮明に覚えていて(今書きながら少しずつ思い出しつつありますが)あまりにも素晴らしかったもんだから、目を覚ました後、鳥肌が立ってしまうほどでした。

夢の中で私は、周りに木や草がたくさんある、山か森か林かよくわからない場所を走っていました。時間は夜でした。たぶんその前のストーリーとかもあったんだろうけど、今はもう覚えていません。とりあえずそのまま木と木の間を走っていくと、急に景色の開けた、少し標高の高い場所に着きました。その先は崖みたいになっていて、そこから辺りを見渡せるようになっています。ここからが印象に残っているシーンなんですが、私がその丘みたいな、崖みたいな場所の先に立ち止まると、下からか上からか、とにかくものすごくでかい月の塊みたいなやつが「デーン!」って現れてくるんですね!…うわーー書きながら全然伝わってる気がしない!!その月の光輝く感じとかがまじですごくて、よく見ると、月だけどただの球体というわけじゃなくて、宮殿とか神殿とかが合わさった感じと言いますか、表面がなにかよくわからない意味深な細工で満ち溢れているんですね!例えば天使とか、なんかよくわからないそういう系の像とか…うわーーもどかしい!!たぶん伝わってない!!伝わってる感じがしない!!

で、夢の中の私もその神々しさに思わず見とれてしまって、そのまましばらく呆然と立ち尽くしていると、気がつくと世界には、私とそのよくわからない巨大な月の塊のようなものの二つだけしかいなくなっていました。足場とかが完全になくなって、自分!月!宇宙!みたいな感じになります。で、私はフワフワ浮きながら、なんかすごいなーこれーみたいなことを思っていたんですが、目を凝らすとだんだん自分以外にも色んなモノが宇宙に浮いていることがわかってきます。例えばなんだろう、深海魚とか。土偶みたいな人形とか。得体の知れないものがたくさん浮いていて、しかもそれが全部キラキラ光っていて、360度全部キラキラしたものに囲まれながら宇宙の中を漂っていました。それからしばらくして目が覚めました。

表現できると思って書きはじめたわけじゃないんですけど、あまりにも表現できなすぎたので、もう止めておきます。とりあえず圧倒的な迫力の夢を見て、その日の朝はなんとも言えない感動に包まれながら目を覚ましました。それくらいすごかったんだけど、でもそのすごさが全然表現できないなーどうしよう。あと「スーパームーン」と聞いて思い出すことがもう一つあるんだけど、でもこっちも上手く書けそうにないなー。もう寝よう今日は。うわーでも月どうしよう。散歩もなーどうしようかなー。行くの止めようかなーどうしよう。

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どうしようと思いながら、結局コンビニに行ってベビースターラーメンとほろよい(カシスオレンジ)を買ってきました。呑み終えたので、つづきを書きます。

今、家の鍵を探して、冬物の上着を羽織って、自分の部屋を出て、廊下の照明を点けて、階段を降りて、玄関の照明を点けて、扉の鍵を開けて、扉の鍵を閉めるまで、『借りぐらしのアリエッテイ』のテーマソングを聴いていました。分かる人にだけ分かってもらえればいいのですが、私は何か特別な事情がない限りその場にずっと居続けてしまう性質があるようで、おしっこに行きたくなるか音楽を聞いて無理やり気分を変えるかしないと積極的に部屋から出ようと思わないくらい出不精な人間なのです。それで、いつものように音楽を聴きながら無理やり気分を変えてコンビニまで散歩に出かけたのですが、このくらいの年齢(23歳)になっても深夜に外出するのはまだちょっと怖くて、この怖さって一体なんなんだろう、みたいなことを頭の中でぼんやり考えながら歩いていました。いつもより大きな月を見ながら。大きさもそうですが、空が明るくて驚きました。やっぱり何十年か一度というだけあるわ、と言いたくなる気持ちもわかる気がしました。

さて。そんなことを考えながら思い出していたのは、さっき書こうとして辞めてしまったもう一つの月に関する話でした。上手く書けるかわからないけど、ついでなので書いてみます。

大学受験を控えた高校三年生の冬。私は夕食を済ませると、勉強に集中するために家族みんなで住んでいた家を離れて、その当時まだ誰も住んでいなかった、徒歩10分ほどの場所にあるもう一つの家に通っていました(なんで家二つあんのとかそういう細かい話は置いておきます)。一人になって集中して勉強するためでした。とはいえほとんどはかどっていなかったのですが、夜も更けてそろそろ祖父母の家に帰ろうかというころ

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11月12日(土)

昨日は一日中たっぷり寝て、今朝目が覚めたのは9時でした。朝食に冷凍チャーハンを食べた後、布団に寝転びながら1週間くらい前に借りていた映画でも消化しようかと思っていたのだけどノートパソコンに何度DVDを入れ直してみても一向に再生してくれず、前はパソコンでも観れたはずなのにおかしいなと思いながらウィンドウズメディアプレーヤーを何度もクリックしてみるけどなにもならず、ググってみるとそれはパソコンの設定でDVDの自動再生がオンになってないからということらしくて、なんやねんと思いながら設定をイジってみるけどやっぱりなにもならないのでさらにググると、なんとウィンドウズ10からはDVDが再生できなくなるとのことでした!退化じゃん!1500円でアプリを購入すれば再生できるようになるらしいけどなにそれ!結局パソコンで観ることを諦めた私はいつの間にかそのまま布団の中で眠ってしまい、起きたのは夕方の5時。夕食にマーボー豆腐を食べた後、これだけ寝ていたはずなのになぜか少し頭が痛くなっていることに気づいて、あーあどうなってんおれの体みたいな感じになります。それから、たかがDVDを再生するのに1500円のアプリを買うのはバカらしいと思って調べたサイトでオススメされていた無料でDVDを再生してくれるソフトをダウンロード。チュートリアルの動画がうさんくさくて嫌な予感がするものの、とりあえずDVDを入れてみて正常に動作してくれるかどうか確認したらやっぱり再生せず、午後9時、全てがイヤになったので近所のスーパーにアイスとおでんを買いに出かけます。帰ってきて、いよいよ映画を観ようとリビングのソファーに腰掛けながら借りてきた3本のDVDのうちの一つを再生。これが死ぬほどつまらない。それでも一応最後まで観ようとなんとなくあらすじを追いながら、同時並行でスマホのマインクラフトを起動。うっかりデータを消してしまうも新しくワールドを生成していい感じに石炭を見つけて松明が作れるようになったからさあいよいよ洞窟探検に出かけて鉄を採掘しようと思った矢先にスケルトンに刺されて死亡。過去に何度もこのパターンで死んでいるためイヤになってスマホからマインクラフトをアンインストール。ほどなくして終始つまらなかった映画がよくわからないラストを迎えて、頭がいよいよ痛くなってきた私は布団にもぐりながら、知らぬ間に終わってしまった今日の日のことをブログにしたためています。こんばんは。充電しながら書いていたつもりが電源が付いてなかったみたいでさっき突然スマホの画面が暗くなり、ここまで書いた文章も消えてしまうのかなとヒヤヒヤしていたらそっくりそのまま残っていて少し安堵しているおれです。こんな投稿消えてよかったんだけど!おやすみなさい!