読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

9月11日(日)、12日(月)

死ぬほど寝ていた。シェアハウスの住人からもらったカップ麺を食べ、コンビニで買ったコロッケパンとティラミスを食べ、マックに入ってハンバーガーを食べ、今になってようやく頭が働きつつある。時刻は22時34分。書くべきことなんて何もないけれど、とりあえずいつものように日記を更新してみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日は、知人というか友人というか私の中では『地元の先輩』と勝手に呼ばせてもらった方がなんとなく一番しっくりくる感じのする人たちのトークイベントに参加していた。一応、昨日はそのことについての感想めいたものを日記に書いたんだけど、なんとなく上手いこと言えてるような気がしなくて、下書きに戻してしまった。この感じはなにも昨日に限ったことではない。自分がどのように見えているかはわからないけれど、自分の中にはいつも「彼らの前で下手なことは言えない」という感じがある。そしてそれは、男女かかわらず、私が心の中でこっそり「話してみたいな」「この人面白いな」と思った人に対して度々感じる気持ちであり、よく考えたら、中学生のときに上手く友達を作れなかったり初恋の人にラブレターを渡せなかったりした辺りからずっと引きずっている、ある種の未熟さのようなものなのかもしれない。人間関係全般に苦労している私にとって、友情も恋愛もビジネスライクな人付き合いも、結局はいつも同じ課題にぶち当たる。そしてそれは、自分でハッキリ「こうだ」と言葉にすることができない場所へとすぐに隠れてしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分のことが自分で一番よくわからないのは、きっと誰だって同じだと思う。これを読んでいるあなたが私の文章に対して感じることと同じことを、私が感じているわけではない。私は、自分が感じていることを文章にしながら、知らないところで誰かを傷付けたり、常識外れのことを書いていたり、一般的に見たら「気持ち悪い」と思われることをさも自慢気に話していたり、異常なほど自分のことを気にしすぎていると思われたりしているのかもしれないけれど、そんなことは自分でわからない。

もしも私の考え方が100%「正しい」のだとしたら、私はきっととっくの昔に「幸せ」になっているだろう(「正しい」とは何か「幸せ」とは何かということは置いておいて)。でも現状私はそうでない。ということはきっとどこかに「客観的に見たら明らかな誤りとしか言えないような思考回路」や「わざわざ言う必要のないような配慮に欠けた言動」があったりするのかもしれない。そんなことないと信じたいけれど、繰り返すが、自分では自分のことがわからない。実際に誰かを傷付けたり、誰かに傷付けられたりしなければ、いや、それだけでもきっとわからないかもしれない。私は永久に私がわからない。わからないまま生きていかなくてはいけないし、わからないまま死んでいくのだろう。しかし、なにもそれは私に限った話ではない。誰だってそうなのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

世の中には「他者より自分の方が大きい」人間と「自分より他者の方が大きい」人間の2種類いる、ということをよく感じる。以前の記事(雑記 - 天パ日記)にも似たようなことを書いたけれど、人は二人以上の集団になると、全体の意思決定をまとめるために、必ず誰かが何かを言わなければならない瞬間が訪れる。前者の人間は、自分の頭の中に思い付いたことをそのまま口に出して発言することに抵抗がなく、また、自分の発言に全員の視線を集中させることにも戸惑いがない。後者の人間はその逆だ。思っていることがあってもなかなかそれを口に出すことができず、自分の発言で全体の意思決定の方向性が定まってしまうことに不安を感じる。「自尊心の強さの違い」と言い換えてもいいかもしれない。前者のタイプは自尊心が強く、後者のタイプは自尊心が弱い。

いつものように突然持論を展開することになって申し訳ないが、私の考察によると「自尊心の強さの違い」は以下の4つのタイプに分類して考えると理解しやすい。

タイプA:一匹狼型《自尊心のレベル》強

自分の価値観に従って生きているため、他者からの承認をそれほど必要としないタイプ。

タイプB:上げ底型《自尊心のレベル》強 

多くの人が良しとする価値観を拠り所に、他者から承認されるよう「努力」することによって自尊心を高めているタイプ。

タイプC:付和雷同型《自尊心のレベル》中

多くの人が良しとする価値観に迎合し、集団からはみ出さないようにすることによって自尊心を維持しているタイプ。

タイプD:迷える羊型《自尊心のレベル》弱

多くの人が良しとする価値観から外れているものの、そのことを気に病んで、思うように振る舞えないタイプ。他罰的か自罰的かで2種類に別れる。

子どもの頃から他人の顔色ばかり伺って生きてきたせいで、こういう分類を夜中にこそこそ作っては一人で悦に入ってしまうような23歳に育ってしまった。でも本気で血液型占いとかを信じ込んでしまうくらいなら、この分類で物事を考えた方がスッキリするんじゃないかと我ながら思う。気持ち悪いかもしれないけれど、良かったらもう少し付き合ってください。

この分類は自尊心の強さの変動に合わせて推移する円環構造(B→C→D→A→B→…)になっている。すなわちこれはその人その人の本質的な「性格」を表したものではなく、一人の人間の中で変動する「精神的な状態」を表したものだと考えて欲しい。「その人がどのような人間であるか」ということは、先天的に生まれもった「性格」とか生まれ育った「家庭環境」による後天的な影響とかで決まるものではない、と私は思う。少なくともこの分類では「その人がいま精神的に健康的な状態かどうか(自尊心があるかどうか)」という観点を最重要視して考えていく。

具体的にはこういうことだ。自尊心のあるなしは「自己受容(自分で自分を受け入れているかどうか)」と「他者承認(他者が自分を認めているかどうか)」の二つの要素によって決まる。タイプAは前者が多いため後者が少なくても健やかでいられる。タイプBは前者が少なくても後者が多いため健やかでいられる。どちらも総量として自尊心がある一定の閾値を越えているため「自尊心がある」と言うことができる。対してタイプCは前者が少なく後者もそれほどではないため健やかだとは言えない。タイプDに至れば前者が少なく後者も少ないため、精神的に危機的な状態に陥りやすい。どちらも総量として閾値を越えないため「自尊心がある」とは言えない。

自分で自分にOKを出せている人間(タイプA)は他者から見ても余裕があって魅力的な存在に映るため、結果的に他者からの承認を受ける機会も得やすい。他者から承認されるような魅力を得ようとする人間(タイプB)は自尊心を他者からの評価に依存してしまうため、自分で自分にOKを出す基準が厳しくなる。自分に自分でOKを出せず、他者からの評価も得られなくなってくると集団に同調することで自尊心を保とうとする(タイプC)。それさえできなくなると、自分を責めるか他者を責めるかして精神的に健やかでない状態に陥る(タイプD)。この状態からまた健康的な状態に戻るには二つの道がある。一つは他者から承認されることで自尊心を高めていく道(D→C→B)。一つはそんな自分にさえOKを出すことで自分で自分を受け入れていく道(D→A)。この分類では自分で自分にOKを出せている人間(タイプA)を一つの理想的な状態と考えているので、精神的に危機的な状態に陥っている時こそ、他者からの承認に依存せず、自分で自分の価値観に従って生きていくチャンスだと捉え直してほしい。よって推奨されるのは後者の道(D→A)である。ただし、自分で自分にOKを出せていても(A)、内省を怠るとすぐに他者からの承認に依存して自分にOKを出している状態(B)に移行してしまうため、一箇所のタイプにとどまり続けられるわけではない。以上で上述した円環構造が成立することになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もちろん実際にはこんな風に説明できない部分もたくさんあると思う。一旦このままにして、後で読み返した時にところどころむかつく箇所とかがあったら、また時間のあるときに書き直したい。とりあえず、疲れたからもうやめます。

《つづく》書き途中