#19

自分で髪を切ったら、左側のもみあげがなくなってしまった。私は自分の顔があんまり好きではないのだが、どちらかというと左半分側の方の顔がまだマシだと思っていたから、これでいよいよ全体的にダメな感じになってしまった。と、思いきや、一通り切り終えてみて、そんなに嫌じゃないと思っている自分がいる。この髪型が良いかどうかは知らないが、伸び放題になっていた今までの髪型よりはマシになっている気がする。

なんでも自分でやってみると、思いの外、気付かされることが沢山ある。いつもは面倒臭くてやらないのだけれど、今日は珍しく合わせ鏡をしっかりと行い、自分の側頭部や後頭部をマジマジと見つめながらバリカンを当てた。

日頃、生きていて、自分の側頭部や後頭部を意識する機会なんてほとんどない。少なくとも私は一切ない。しかし頭の約3/4を占めるそれらの領域を意識するとしないとでは、客観的に頭全体を見たときの印象が大きく変わるようだった。知っているようで知らなかった。そのことを私は今日ようやく腹の底から理解した。

だから、髪の毛を均一の長さでカットしてはいけなかったのだ。いつもは襟足や揉み上げや前髪や後ろ髪やつむじ周辺やサイドの髪の毛をいちいちバリカンの長さを調整しながら切り分けるのが面倒臭くて、途中から、5センチなら5センチで一気に同じ長さで全部刈り上げていたけれど、それではいけなかったのだ。なぜなら頭は完全な球体じゃないから。それぞれの部位に合わせて適切な長さに揃えなければ、全体的に見たときにおかしなバランスになる。今までは髪が長くなると首の後ろの髪の毛が絡まって嫌だなあと思うことが多かったけれど、それも今考えれば当たり前の話だった。前髪と襟足の長さが同じで良い筈がなかった。それもこれも「自分にも他人と同じように側頭部と後頭部がある」ということを忘れていたことが原因だった。自意識が肥大化すると本当に些細なことにさえ気を配る余裕がなくなってしまうから恐ろしい。

今まで自分が全く意識できていなかった部分を他人に見せつけながら生きてきたのだと思うと、恥じ入るしかなかった。しばらく洗面所の鏡の前で心をざわつかせていた。今日は些細だけど重要なことを学んだ。でも、こういうことって他にも沢山あるんだろう。

 

22時7分。新潟駅南口の出入り口付近の壁に背をもたれかけながら通り過ぎていく人たちの襟足についつい目をやってしまう。言われてみれば、男性も女性もほとんどの人が部分ごとに頭髪の毛の長さを変えている。こういうことを「視野が広がった」というのだろう。他の人たちにあるのと同じように、私にも後頭部がある。襟足がある。

自分の後頭部を意識しながら生きることは、車の運転中に、内輪差を意識しながら左折するときの感覚に似ている。「車幅感覚」と呼ばれるものは、最初に言葉で教えられただけでピンと来るものではない。運転を繰り返し練習していくうちに、ある時、ふと「あ!これか!」と分かるようなものだ。その「あ!これか!」が、今日、私の後頭部と側頭部に訪れた。どうでもいい話だった。これから23時40分発のバスで東京へ向かう。