12月4日(日)

深夜4時まで起きていたせいで、目が覚めたのはもう昼の1時過ぎだった。居間に降りると、テーブルにはドライフルーツのかかったヨーグルトと冷凍されたパンが置いてあった。パンをトースターにかけてジャムとバターを塗って食べた。それから何をしていたかは覚えていない。シャワーを浴びたり服を着替えたりなんかしているうちに時計は3時を回っていて、いつもみたいに布団の上に寝転びながら、また部屋の片付けに取り掛かろうとしていた。

昨日の日記にも書いたように、私の部屋は姉が小学生の頃に使っていた学習机が大きな邪魔になっていた。ふいに思い立った私は、まず付属していたパイプ椅子を隣りの使っていない部屋に移して、それから学習机を持ち上げて部屋の入り口まで運んだ。幅がギリギリだったがなんとか外へと運び出した。部屋が広くなった。布団の向きを変えられるようになった。そして、そのタイミングで父が帰宅してきた。父は午後になるとよく祖母の家へと向かう。まだ5時だというのに空はもう夜のように暗くなっていた。

父は廊下に投げ出された机を発見した。そして、私が部屋で片付けの続きをしている間に六角レンチで解体を済ませてくれていた。本当なら部屋の机をどうにかするのは最後まで私がしなければならないことだと分かってはいるのだが、親子というものはどうしてもそういう境界線が曖昧になりがちだ。といっても私は父の決定や父の行動についてほとんど関与していないのだけど、しかしこれに限らず父は何も言わずに多くのものを私にもたらしてくれる。

父は私の口座に現金を振り込んでくれるばかりではなく朝と夕方に私の分の食事を作ってくれる。私が台所に置きっ放しにしている皿を勝手に洗ってくれるし、私が洗濯機に放り込んだままにしている洋服を知らぬ間に干してくれる。干した洋服を畳んで私の部屋まで持ってきてくれるのは父であり、私の留守中に私の部屋を掃除してくれ、燃えるゴミや燃えないゴミを出してくれるのも父である。何も言わずにそうしてくれる。

もちろん私は共同生活を営む一人の人間として分担すべきだった作業を何も言わずに引き受けてくれたということに関して父に感謝すべきなのだろう。しかしなんとなく感謝できない。なんなら「頼んでもいないのに無断で部屋の中に入って欲しくない」とさえ思い、「私は朝食を食べなくてもよいのにテーブルの上に食べ物を置かれるとつい食べてしまうじゃないか」「洗濯なり皿洗いなりも私のタイミングでしたいときにするのだから、私の分までしなくていいのに」と思ってしまう。でも、めんどうくさがりだから最終的には甘える。これはよくない。だから私はやっぱり実家に長くは居られない。実家にいると、なんというか、自分の意思で自分の行動を決定するという感覚がじわじわと失われていくような感じがある。

 

そんな父と今日は珍しくラーメン屋に行った。私が「ラーメン屋に行きたいのだが車を出してくれたりしないだろうか」という目をしながら父に「あそこのラーメン知ってる?」という話を振ると、父も話に乗ってくれたのだった。

今日ラーメン屋に行ったのはとても良かったと思う。私が「行きたい」と思って、頼みを父に伝えて、父もそれを受け入れて、二人でラーメンを食べた。食べたいと思ったラーメンを食べたいと思った瞬間に食べることができたのも素晴らしいが、この順序で物事が完結したというのがもっと素晴らしい。大袈裟なようだが、このようなプロセスを経て自分の欲求が満たされたことは、今までの私の人生でほとんどなかったのではないか。「何も言わずにしてもらう」「何も言わずにしてあげる」という関係性が当たり前になると、長期的に見たときにどうしてもお互いの意思疎通がぎこちなくなってしまうものだけど、今回のように「言ったことだけしてもらう」「言われたことだけでしてあげる」というやり取りができると、なんというか、お互いの意思決定を尊重した、風通しの良い関係性が築けるような気がする。なによりとても気分がいい。ラーメン屋まで車を出してくれたことについては、あと、奢ってくれたことについては素直に父に感謝できる。今日はありがとうございました。

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12月3日(土)

今日、昨日、一昨日とまったく同じ一日を過ごしていたような気がする。唯一違うのは、今こうして近所のうおべいで寿司を食べていることだ。玄関を出る前に「そういえば5日くらい前に寿司を食べたいと思ったことがあったな」ということを思い出して、シャワーを浴びて、服を着替えて、上着を羽織って自転車に乗った。午後5時ごろだった。空はもう真っ暗だけど、近所の保育園の窓にはまだ働いている人たちの影が見えた。他人の気配がする時間帯に外に出たのは久しぶりだった。おそらく家に居れば今日も自動的に夕飯が食卓に並んでいたのだろうけど、もう3日も繰り返してしまったこんな生活に自分なりに少し抵抗したくなって、ひとまず回転寿司を食べに来たのだった。とくに腹が空いているわけでも、どうしても寿司が食いたかったわけでもない。このままだとまた明日もダメにしてしまいそうな気がしたから、こうして寿司屋に来てブログを書いている。

この3日間、私はほとんどの時間を寝て過ごした。4日間だったかもしれない。何日か前に知り合いのお店で久しぶりに会う人たちと顔を合わせたのを最後に、実家に帰ってそのまま延々と眠り続けていた。これは言い訳だけど、私の部屋は、中に入るとどうしても布団の上に寝転がるしか構造的にできないようになっている。面積が狭いため、布団を畳んでおくスペースがない。それからストーブの効き目が弱いため、室内が慢性的に寒い。そして床は板張りのため座り心地が非常に悪く、腰かけるにしても部屋には姉が小学生の頃に使っていた学習机とそれに付いていたパイプ椅子しかない。当然、座り心地はよくない。そうすれば布団の上に寝転がるしかない。そして寝転がれば自然に寝てしまうのが人間というものだ。ちなみにこの学習机は部屋のスペースをかなり圧迫しているためいい加減捨ててしまいたいと思っているのだが、しかし部屋には他にも捨てるべきモノがたくさんある。数年前に買い込んだけど結局ほとんど読まなかった膨大な古本、参考書、学生時代に使っていた教科書、ノート、証明書、日記…

実はこの数日間、私は長い眠りの合間合間に、少しずつこれらの本や書類を片付けていた。実家に帰るたびに片付けようと思うのだが、どうしても気が進まない。これでもかなり減ったほうだ。私の部屋の中には「いつか読むかもしれない」と思って取っておいた教科書やノートが小学生の頃からのものを含めて大量にあり、今はようやくあと一山か二山という具合に減ってきたのだ。しかしその一山が3日かけてもなかなか減らない。「いつか読むかもしれない」と過去の自分が思った理由がとてもよくわかってしまうほど、捨てるに捨てられない書類が凝縮されている。

これは言い訳だけど、物理的に捨てるというだけならある意味簡単なのだ。しかしどういうわけか、これらの書類を前にすると「きちんと自分なりに噛み締めてから捨てたい」という気持ちになってしまうため、なかなか捨てることができない。中身に目を通さなければたしかにすぐ捨てられるかもしれない。でもそれでは自分でも何を捨てたかわからないではないか。自分でも何かわからないものを捨てたというなら、それは本当に何かを「捨てた」と言えるのか。私はただ紙や本を束ねてヒモで縛りたいわけじゃない。それらに書かれている内容ごとヒモで縛って捨ててしまいたいのだ。だから読まなければならない。読んで噛み締めなければならない。

そういう発想になるから私は余計な体力を消耗する。そしてその挙句、疲れて眠ってしまうのだ。布団の上に散らばった書類を避けるように身体を丸めて「今日も一歩も外に出なかったなあ」という罪悪感を胸のどこかに感じながら眠りにつく。そんな数日間だった。

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店内が騒がしくなってきた。後ろを振り返ると入り口に行列ができている。会計を済ませようと、座席に備え付けられたタブレットをタップすると、若い女性の店員さんがやってきて「お店のシステムが変わりまして、こちらをタップしていただいて直接レジに伝票をお持ちになって下さい」と言われた。皿はもう数えないのか。回転寿司チェーンはどこも驚くべきスピードで技術革新している。これでは近い将来ほとんど人の手は要らなくなってしまうだろう。今だって店員さんは、ほとんどシステムの補助をするために働いているようなものだ。すれ違った若い女性の店員同士が「前髪切ったでしょー!」と笑いながら声をかけ合っている。人間らしくていいと思う。たとえそれが愛想笑いだったとしても。

店の入り口にはぞろぞろと人が並んでいる。家族連れが多い。彼らも自動的に運ばれてくる寿司を食べに来ているのだ。そういえば大学に通っていた頃、他人の視線が恐ろしかった私も、回転寿司屋にだけは入ることができた。無機質な空間にやたら音量の大きいBGMが無意味に流れている。手元までは自動的に運ばれてくる寿司を最後は手動で口に運ぶ。私はお茶をすすりながら自分の座席でひたすらスマホをいじっていた。ファミリー席に座っている大学生のグループとは目を合わせないようにして、同じカウンター席に座っている一人ぼっちの高齢者を勝手に自分の味方につけていた。今、そのときの気持ちを思い出す。なんの文化もない、なんの豊かさもない。そういえば父の退職祝いも祖母と父と私と3人で回転寿司で済ませたものだ。私はこの空間の隅から隅まで軽薄だとしか言えないような雰囲気が、なんとなく現代を象徴している気がして嫌いだった。そして不思議と居心地がよかった。

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11月28日(月)

中国に行ったこともないはずの父が中国に対する悪口を楽しそうに会話に織り込んでいるのを耳にすると、なんとなく「ああ…実家に帰ってきたんだなぁ」という気分になる夜を過ごしています。こんばんは。世の中にはいろいろな考え方の人がいて、ほとんどの人は「自分の考え方は本当に正しいのだろうか」なんてわざわざ疑ったりしないから、何か実害を被らないかぎり結局は放っておくしかないんだろうな、と最近は少し考えがマイルドになってきている私です。ちなみに私は国籍で人を好きになったり嫌いになったりしないタイプの人間(少なくともそう思っているつもり)なのですが、父のように国籍で人を好きになったり嫌いになったりするタイプの人間も現に存在しており、60年も生きていればさすがに今さら考え方を変えるのもキツイだろうから、今の私にはとりあえずそっとしておくことくらいしかできないと思っています。父に私の考え方をコントロールできないように、私も父の考え方をコントロールできないので。

すいませんどうでもいい話でした。この辺りの話はまだ自分でも考えがまとまっていないのでまた今度にしたいと思います。お父さん誕生日おめでとう。

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さて。数日前から東京近辺でさまざまな人と会って話をしてきました。私はどうも相手の発言にいちいち突っかかっていくのが癖になっているようで、今回も何か違和感を感じるたびにウズウズしてしまってどうしようもなかったのですが、最近は以前より、真っ向から意見を対立させなくてもその場をストレスなくやり過ごせる技術を身につけ始めた気がします。

いろいろな人がいます。「この人の話はもっと聞いてみたい」と思った人なら別ですが、そうでない人にまでわざわざ自分の感受性を全開にしてぶつかっていく必要はなく、ポイントポイントで会話が少しでも自分の興味の持てそうな方向に変わっていきそうな言葉を投げ込みながら、それでも話が変わらなければ全然違うタイミングで相づちを打ったりしてそれとなく意思表示していれば良いんだな、とだんだん思えるようになってきました。多くの人たちもそうやって時間をやり過ごしているようです。

本当なら会話の中で相手を一切イヤな気分にさせずに自分の気持ちを簡潔に伝えることができたら一番良いんだろうけど、それはまだ自分にはできません。幸いにも、4人以上の空間になると「あーーなに話そうかな今。話すことがないわけじゃないんだけど、たぶん独りよがりになってヘンな空気になるだろうなぁ。どうしよう」と思っているうちに会話がどんどん先に進んでいくことが多いので、とても助かっています。ていうかなんでこんな話になっているんだろう。ふつうに楽しかったはずなのに。ふつうに楽しかったです。

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なにがどう楽しかったのかを整理するために、最近自分がどのような日々を過ごしていたのかいつものように振り返ってみます。

11月23日(水)喉の違和感を感じながら車で新潟から東京方面へ向かう。昼過ぎごろ都内のホテルにて共通の知人を介して連絡のあった女性と面会、会食。成田空港まで送り届けた後、そのまま神奈川方面へ向かい、もうろうとした意識で漫画喫茶に一泊。

翌24日(木)漫画喫茶で起床。喉がヒリヒリと痛み始める。電車で日本橋へ向かい、連絡のあったエアビーを営む女性宅に訪問。部屋の清掃をした後、甘い匂いがするのに全く味が甘くないおいしいコーヒーをいただく。電車で池袋へ向かい、 連絡のあった女性二人と面会、会食。電車で藤沢へ向かい、知人宅に一泊。

翌25日(金)知人宅で起床。喉の痛みはなくなるが、痰の絡んだ咳が出るようになる。車で相模原へ向かい、連絡のあった女性宅に訪問。部屋の清掃をしながら、お話を伺う。昼食にカレーをいただいた後、電車で高円寺へ向かい、街角のおしゃれな洋食店にて連絡のあった女性と面会、会食。私の書いた絵を差し上げる。電車でふたたび藤沢へ向かい、知人宅に一泊。

翌26日(土)知人宅で起床。乾いた咳に変わってくる。車で江の島海岸へ向かい、知人らとともにたき火。その場に居合わせたボーダーコリーと砂浜を全力疾走。「海で火を焚いていいのか(いやダメに決まってる)」という一般人からのクレーム対応。車で東京から新潟方面へ向かう。深夜4時、三条市の漫画喫茶にて体力を使い果たして爆睡。

翌27日(日)漫画喫茶で起床。眠い体を引きずりながら、三条市の公共施設にてミニ四駆大会の運営補助。誰も利用者がいないシャトルバスにスタッフとして同乗。数時間寝る。イベント終了後の片づけ補助。車で新潟駅へ送ってもらい、実家へ帰宅。久しぶりに家で爆睡。

そして今日、11月28日(月)午後3時、起床。筋肉痛で身体は痛むが、咳は徐々に落ち着いてくる。父の作ってくれたサンドイッチを食べた後、パソコンにてブログを開く。少し前からリビングのテレビにクロムキャストと大きなオーディオが装着されたので、ユーチューブで流した音楽が高音質かつ大画面で鑑賞できるようになった。 

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11月23日(水)

今朝5時、新潟からH氏の車に乗せてもらって東京へ向かい、今は神奈川県某所の漫画喫茶でブログを更新しています。こんばんは。いつものように自分でもよくわかっていないのですが、ざっくりまとめると、今回は私とH氏とK氏の三人で「不特定多数の人に向けて自分たちに手伝ってほしいことを募集し、依頼があったら基本0円でそれに応えよう」という企画が28日(月)まで行われることになり、その一環で東京までやって来ることになりました。一昨日佐渡から帰って来たばかりということもあり体調を崩してしまってはいるのですが、とりあえずこれから1週間、連絡のあった方の下へ伺って依頼に応えていくという日々が始まるようです。今日は早速都内で一件目の依頼(と言っても私は会食の場に同席していただけで何もしていないのですが)を終えて、夕飯にカレーうどんを食べた後、今は明日からの依頼に備えるべく身体を休めています。風邪のせいで明らかに身体はダルく、それゆえ気分もかなり落ちていますが、こういうときに限ってなぜか寝れないのでヒマつぶしに書き進めてみます。

 

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11月22日(火)

私の頭の中にはいつも「これ以上調子に乗ったらお前は死ぬしかないよ」とささやきかけてくる別人格の私がいて、そいつが引いているラインを一歩でも越えてしまうと、後からものすごい後悔が襲ってくることになるので毎日ビクビクしながら生活しているのですが、今日は激しく調子に乗ってそのラインを大幅に踏み越えてしまったため、久しぶりに精神が大荒れになっています。

私のような一見自虐的な人間にはありがちな話ですが、私はすでに自分でも受け入れていて誰かにディスられても構わないと腹をくくっている特徴(天パ・デブ・ニート・引きこもり・うんこ・コミュ障・うどの大木など)に関してはいくらでも他者に差し出せるのですが、そうでないところについてはおそらく人一倍プライドが高く、その辺りの繊細な自意識を正確に理解してくれている人でないと、なかなか上手くコミュニケーションが取れないところがあります。

今日は知り合いのお店にて急ごしらえのイベントを行ったのですが、一応企画の段階から話をもらっていたにも関わらず、事前のコミュニケーション不足のせいか、本番になってからまったく納得のいく議論を行うことができず、個人的には散々な内容を世間に放出してしまう形となりました。一度世の中に出してしまったものについて、ここでぐちぐち反省の弁を語るのもダサいかもしれませんが、このブログは私にとって「戦う場所というよりむしろ安らげる場所」「対外的に発信するというよりむしろ自分と対話する場所」「本気で作り込むというよりむしろ何も考えずにとりあえず出してみる場所」になってきているので、自分の精神的なメンテナンス面も考えた上で、ここは思いきりグチグチ言わせてもらいたいと思います。

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最近忙しくて体調も優れないのでメンタルもささくれだっていますが、それ以上に、他者に対して自分が心地よいと思う距離感を守れなかったり、他人にはどうでもいいかもしれないけれど自分には絶対に見過ごせない些細な違和感を感じたときにすぐ口に出せなかったりすると、私は精神がみるみる腐っていきます。とはいえそもそも私にとっては現実世界もフェイスブックツイッターに代表されるネット空間も、有象無象の他者が腹の底では互いに自分自身を認めてほしいと思いながら表面上では出会った人全てにきちんと応対しなければならないという絶対に後から辛くなるに決まってる同調圧力に満ちた空間、という風に見えていることが多いため、自分の居場所を感じることはほとんどありません。しかし新潟県にある私の実家の私の部屋の布団の中とこのブログだけは少し違います。今日のようにメンタルが傾いているときほどその存在が大変ありがたく感じられます。

繰り返しになりますが、私は精神的なケアをするために日記を書いているだけなので、たまたまなんとなく公開しているだけのこの場所で対外的に発信するつもりはありません。なので、まれに「ブログ読んでいますよ」などと誰かに言われると、もちろん嬉しい反面、恥ずかしいというか気まずいというか(不特定多数の人に公開しておきながら)私の安全地帯に土足で入って来られたような気がして微妙な心境になってしまい(だったら公開するなという感じですが)単純に嬉しいとは言えない気持ちになってしまいます(もちろん嬉しくないわけじゃないですよ、この辺りの感受性をなんとなく察してくれる人とだと私と仲良くできるかもしれませんね、というだけのことですよ)。そんな私をコミュ障だなんだといくら馬鹿にされても構いませんが、私はなるべく自分の感受性に背かない形で生きていたいと思っているだけなので、あくまでネタとして言ってもらう面では構わないのですが、もし本気で「コミュ障だから死んだ方がいいよ」などと侮蔑されるようなことがあったら、私も本気で相手を論破しにかかると思います。それにしてもさっきから自分でも何を書いているかわからなくなってきたので一旦休憩しますねごめんなさい。風邪引いてるからか、しなければならないことが久しぶりに舞い込んできているからか、さっきから精神がざわついてしまって落ち着きません。クソみたいな気分です。クソです。

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そう言えば、さっきやったイベントを個人的に納得のいく結果にできなかった、というその反省から今日の日記が出発していることを忘れていました。その言い訳を書くつもりだったのでした。

突然のフリ、しかも、「とりあえずゆるく話そうよ」という当事者もそれほど本気でやっているわけじゃない感を十分にアピールした内容だったことを考慮に入れても今回の内容は無残なほど不十分でした(もちろん私が話した内容に関する部分だけで、他の方々に関してい言うことはなにもありません。私が切り込むところを切り込めず、準備しておけるところを準備せず、誤魔化せるところを誤魔化しきれなかったところが問題だったのでした)。企画してくれたH氏や協力していただいた方々には本当に申し訳ないことをした、と、こうやって謝罪することが余計にお互いにとって良くないことだと十分承知していながらも、どうしても思わざるを得ません。今までは誰かの始めた企画に対してされるがままの形で参加するだけの立ち位置にいることが多かった私ですが、一応今回はホストとしてやるという体になっていたので、自分が本気になってやりたいと思うテーマに対して、十分に自分の感受性を及ぼしきれなかったことがなにより悔やまれます。しかしそのおかげで現時点での私が、何を赦せて何を赦せていないのか、何を大切だと思っていて何をどうでもいいと思っているのか、何を恐れていて何を喜びだと感じるのか、その輪郭がぼんやりとわかってきたような気がします。それだけが良かったところです。

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今回のイベントのテーマは「トランプ現象」についてでした。一応イベント自体は「大学」という打ち出し方でみんなでふわっと話をしながら適当に学んでみようという形でしたが、私としては「トランプ現象」に一年ほど前からずっと熱い関心を抱き続けており、なおかつ個人的にそれなりの意見・批判・思想を抱くようになっていたため、「ふわっと」という企画趣旨に叶うようなトーンではもう話すことができなくなっていました。何かに意見するということは、どれだけ気を配っても必ず誰かの意見を批判するという側面を帯びてきます。私は他人と議論する中で、互いに批判し、批判される関係性を築いていくのはとても楽しいと感じる方ですが、必ずしも全ての人がそう感じるわけではないのが難しい所で、かつ、ただでさえ政治というタブー感溢れる話題に、私だけが批判を恐れず滔々と持論を話していくのもかなり無理がある空気だったので、各方面に気を遣った結果、むにゃむにゃとしたことしか話せませんでした。企画の段階から話をもらっていたにも関わらず、その場のノリと勢いでなんとかできるだろうと思ってしまったこと。これが一つ目の反省点です。

二つ目は単純な知識不足です。「トランプ現象」に関して、一年ほど前から各メディアで報道されるにつけ情報を得ていたと思っていましたが、専門家の話についていくのが精一杯で、細かいところはきちんと理解できていなかったようです。

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11月19日(土)

ライターの雨宮まみさんが亡くなったことを、昨日ツイッターで知りました。軽く見渡しただけでも、生前親交のあった人たちや、彼女の言葉によって励まされた多くの読者の間に大きな衝撃が走っているのを伺えます。私は彼女について多くのことを知っているわけではありませんが、代表作である『女子をこじらせて』という本なら一時期熱心に読んだことがあります。ウェブ上で何度か彼女の連載を読んだこともありました。自分にあまりその必要がなくなったのか、最近は彼女の書いた文章を読むことは少なくなりましたが、それでもちょくちょく発言をフォローしており、また何かで辛くなったときには読むことがあるかもしれないなと、どこかで勝手に彼女の書く文章を信頼していました。というより、していたようでした。彼女が亡くなったと聞いて、無意識に自分が少なからずそう思っていたことに気付きました。

誰にも打ち明けられないような悩みを抱えているときやどうすればいいかはわかっていても自分一人ではとても自分自身を支えることができないとき、誰かの書いた文章が、たとえ自分と何の関係もない誰かであっても、とても大きな力を持つことがあります。彼女が私にとってそういう存在だったかといえば、正確に言えば少し違うのですが、私の知っている範囲では、プロとして文章を書くということの誇りや気概を感じさせる数少ない書き手の一人だと認識していました。とくに『女子をこじらせて』を読んだときはこれほどまでに言葉で自分の内面に迫っていけるものなのか、そしてそれを曝け出せるものなのか、と、心を動かされた記憶があります。私にとって文章を書くということは、どちらかというと現実逃避として、向き合わなければならない自分自身の何かから目を背けるためにやってしまいがちな行為ですが、彼女にとってのそれはまったく違うものだったでしょう。今回の出来事は私にとって、そういうことを考えさせる貴重な機会になりました。

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さて。そんなことを思いながら船に揺られて、今日は佐渡までやって来ました。佐渡の家で、一昨日カンボジアから帰って来たというH氏と大阪からわざわざやって来た女性とともに、ソーメンを茹でて食べたり、お茶を飲んでダラダラしたりしています。下手に家でダラダラすると、夜寝付くのが遅くなったり、罪悪感が溜まって外出するのが億劫になったりしますが、出先でダラダラするとそういうことがあまりなく、本当にダラダラできるのでとても良いです。今、こたつに足を伸ばしつつ、本当にダラダラしながらブログを更新しています。

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話を戻します。雨宮まみさんの訃報に関連して、私は女性の書き手による文章をよく読んでいた時期がありました、という話をしてみたいと思います。それは別に女性だから優れた文章を書けるとか、私自身が「女性的な感性」(そんなものな)に共感するからということではありません。自分に対して鋭く疑いの目を向け、かつ、自分の内面的な問題に真摯に向き合っている(と私が思う)文章の書き手にたまたま女性が多かったというだけのことです。

しかし、これは私の主観ですが、男性は、社会や経済などの主語の大きな文章を書くことはよくしますが、あくまで自分自身の内面的な問題に対して粛々と、かつ赤裸々に自分語りができるような書き手はそれほど多くないという印象があります。今でこそ社会学者・田中俊之さんを初めとする「男性学」という学問分野が一部で注目されるようになり、この社会において男性が男性であるがゆえに抱えてしまう生きづらさ(大学卒業したら定年するまでずっと働き続けてなきゃいけないプレッシャーとか)みたいなことが問われるようになってきていますが、それも「学問」という後ろ盾があっての話です。個人的には私自身も、社会や思想などの主語の大きな話が大好きな部類の人間なのですが、本当ならそれよりも自分の気持ちの変化に敏感でいることや、またそれを言葉として外に出すことの方が、現代日本の男性にはとくに求められているのではないか、と、また主語の大きな話をしてしまいました。とにかく私はそういう理由で、男性であるにもかかわらず(というかそういう人は結構いると思いますが)おそらく現代日本で生きづらい女性向けに書かれたであろうエッセイを読んで、自分の内面的な問題に照らし合わせることがよくありました。雨宮まみさんもそういう文脈で知ったことになります。

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さて、ここからが本題なのですが、

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11月17日(木)

この心のざわめきを一刻も早く言葉にして吐き出したいと思いながら、書いては消すを繰り返してもう何分も経ってしまっている。電池は残り5%しかない。早く書き残しておかないと、これから家に帰るまでずっとこのモヤモヤを抱え続けなければならなくなる。早くしないと。こんな前置きはいいから早くしないと。

さっきまで私は家電量販店にいた。新しく発売になった『MacBookPro』っていうパソコンは一体どれほどの物なんだろうと思って立ち寄ったのだ。展示品の周りをうろつきながらちょこちょこキーボードを触ってみたり、画面の大きさを見比べてみたり、手に持って重さを感じてみたり、パソコンの性能について書かれているパネルの文字をとりあえず目で追ってみたりして、よくわからないなりに品定めをしていたのだった。くそダメだもう1%しかない。寒くて手が動かない。もうだめだ。きっとこの先の展開を書き終える前には電池が切れる。この先が重要なのに、起承転結なんて気にせずに言いたいことだけ先に書いておけばよかった。店員さんとの会話がすごくぎこちなくて死にそうだった、こんな経験久しぶりだった、ってさっさと書いておけばよかった。だめだもう時間がない。寒くて指が動かない。だめだ。

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改めましてこんばんは。それからしばらくしてようやく実家に帰ってきた私です。電車に乗っている間や、最寄り駅から実家に歩いて帰って来る間、あの店員さんとのぎこちないやり取りが何度も頭をよぎり、その度に精神力を削いでいきましたが、今やこうして自分の部屋に閉じこもり、私好みの重めの布団に押しつぶされながらスマホをいじり倒すまでに至っています。男梅サワーやほろよい(冬みかん)を口に流し込みながら、少し奮発して買った300円強のあたりめを噛む。なんて素晴らしい夜でしょうか。店員さんに声をかけられ、パソコンに関する知識がほとんどないくせに「ウィンドウズってあの、キャッシュ?っていうんですか、なんか使っていく内にゴミみたいのが溜まっていくらしくって、何年か前に買ったパソコンなんですけど今すっごく遅くて全然使えないんですよねー…」ととっさに話を繋げてしまった数時間前。店員さんの「はい、そうですね(そんなこと知ってますよ。で、私は何をすればいいんですか?)」という返事とともに送られる視線が、私の知ったかぶりをごっそり暴いているような気がして、なんというか、とても生きた心地がしませんでした。でも今、こうして書いてしまったのだから、一つ片が付きました。そんな気まずい時間ともお別れです。誰かに言うまでもないような些細な違和感や感情の行き違い。それらをあえて言葉にすることで、消化し切れなかった小さなわだかまりは、私の心を離れてインターネットという広大な海の中へと消えていくのです。さようなら。もし買うとしてもネットで直接買うからきっともう店頭には行かないと思います。きっと。

さて。さっきまで図書館で『日本語の作文技術(本多勝一)』という本を読んでいました。そこで

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