新潟にて

右目に違和感がある。さっきから何度も目をこすり、コンタクトレンズを外して携帯用のレンズケースに入っている洗浄液に浸してまた目に入れ直したりしているのだが、しばらくするとまたイガイガしてくる。駅前のトイレにある洗面台の鏡で、右目の下瞼の裏側をめくってみると少し赤くなっているのが見えた。とすると、この目の違和感の正体は、異物がどうのこうのとかっていうことではないかもしれない。目に異物が入ったから、もしくはコンタクトレンズに異物が付着していたから目がイガイガするのだと思っていたが、この分だと、もしかするともっと病的な何かの原因で下瞼が炎症を起こしてしまっていたからなのかもしれない。そんなことを思いながら、もう一度、目にレンズをはめてみる。洗浄液に浸されたレンズは冷たく潤っていて、装着してすぐの頃は、何の違和感もなく快適である。しかし、数分も経たないうちに、また、たまらないようになってくる。だめだ。違和感という域をもはや越えている。痛いという程ではないが、私の目がこのレンズを拒絶しているのは明らかだった。やはり原因はこのレンズに違いない。この、二週間で交換することになっているソフトコンタクトレンズ。そうして照明の下で改めて手に取ってみると、直径の三分の一ほどの亀裂が端から走っているのが見えた。ので、親指と人差し指でそれを潰して、道に捨てた。

今回のコンタクトレンズはどのくらい使うことができたのだろうか。大学生の頃に眼鏡からコンタクトに初めて変えたばかりのときは、ちゃんと眼科で検査した後に購入したり、手を洗ってからレンズを触ったりしていたものだが、時が経つに連れてだんだん使い方が乱れ、今はとりあえずネットで安いレンズを買い、違和感があったときは手が汚れていようがなんだろうが目からレンズを外してはめ直し、それでとりあえず目に入れてみて大丈夫だったらオッケーみたいな、そういう野蛮な感じになってしまった。当然、使う期間も適当。耐用回数を越えて使うこともざらにあった。今回はどのくらい使っていたのだろう。覚えていない。そんなどうでもいいことはもう覚えていない。

 

ていうかこ、んな風に今あったものすごくどうでもいいことを適当に書いてみて思ったんだけど、やっぱりこのくらいの力の抜き加減で文章を書いているのが、今の自分にはちょうどいいのかもしれないなあ。なんか今日のハイライトというか、「今日の私はこんな風にいつもと違う特別なことをやりましたよ!」みたいなことを書こうとしてしまう心の働きが、日記を書いているときの私にはあるのだけれど、そんな風に力んでいると文章って全く書けなくなるんだよなあ。それって多分、文章を書くっていう行為自体が「余剰」というか、本質的に、生きていくのに必要のないことだからなのではないかと思ったりするんだけど、そんなことはまあいいや。ともかく、この日記に関してはもっと雑に書いていきたい。上手く書こうとして書かないでいるより、下手でもいいからとりあえず書いてひたすら蓄積する。オチも、伝えたいことも、伝わりやすさも、そういうことは一旦脇に置いて書き続ける。自分の無意識をここに置いてくるような気持ちで、雑に書き続けていきたいと思う。