#10

21時58分。新発田駅から新潟駅へ向かう列車に乗っている。自宅から駅まで30分ほど歩いてきたので、身体が軽く汗ばんでいる。左斜め前には30代後半の若手社長風の男性が二人が座っていて、なにやら大きな声で「草取りだって社長の仕事ですよ」「やっぱり新卒で入ったのを一から教育しないと。中途採用の人ばっかり採用して、他の会社だったらこうでした、みたいなことを言わせてても仕方がないんすよ」というような話をしている。社長らしく強そうな格好をしていた。

22時27分、新潟駅に到着。これから、新潟駅南口を24時ちょうどに出発する高速バスで東京駅まで向かう。しばらく時間があるので、とりあえず駅構内のベンチに座って時間を潰す。さっきから目の前を20代後半くらいのホスト風の男性が歩き回っていて、電話で愚痴っぽく話をしている。しばらくして電話相手と思われるスーツ姿の男性と合流すると、右側の出口の方へ向かって消えていった。人が来ては、人が去る。なかなか時間が経たない。時刻は22時40分。

 

新潟には、一昨日の深夜に到着した。電車に乗って実家へ直行し、シャワーを浴びて布団にもぐった。そして、そのまま昨日は布団の上で断続的に寝たり寝なかったりしていた。一週間に一度くらいああいう日がないと、おれは死ぬ。それから深夜、気晴らしに外を散歩した。部屋にいるとき、19歳くらいの頃に大好きだった曲の動画をたまたまユーチューブで見つけたので、それを繰り返し聴きながら歩いていた。

Michael Buble and Blake Shelton - Home - YouTube

ちなみにこの曲。郷愁を誘う、という言葉がぴったりの名曲だと思う。

 

自宅から駅へ向かう途中で、少しだけ祖父母の家に顔を出した。祖母と会って話をすると、何気ないやりとりの中に、いつもどこか寂しげな表情を見せる。けれど、私には何もしてやれない。誰かの寂しさに寄り添いすぎると、自分が幸せになろうとすることにさえ罪悪感を感じてしまいそうになる。多かれ少なかれ、それぞれがそれぞれの寂しさに耐えて生きている。安易に言葉をかけたところで、余計に寂しさを募らせるだけなのではないかと思って、会話しながら、流れをあまりポジティブな方向に導くようなことはしなかった。祖父とは、居間から玄関まで向かうすれ違いざまに、4秒ほど言葉を交わした。顔を合わせて2秒くらいで就職やら結婚やらのことを言い出したので4秒がギリギリだった。でも玄関を出る直前、誕生日おめでとう、と直接伝えられたのは良かった。

 

高速バスに乗り込む。24時までは、地面に座り込んで祖母がくれたおかきを食べながら過ごしていた。バスの中はガラガラだった。けれど、乗車してからというもの財布とメモ帳がバックの中にちゃんと入っているか気になって、なんだかずっとソワソワしている。明日到着したら真っ先に確認しよう。あと、普段そんなことを考えたこともないのに、このバスが事故を起こす確率もゼロではないよなあ、となぜか頭によぎって不安になっている。おそらく心配性の祖母と話をしたからだろう。いつかのニュースで、大学生を乗せた高速バスが横転して悲惨な事故を起こしたことがあった。去り際にしつこいほど、気をつけてね、と祖母に言われたときは、そのときはそのときだね、なんて冗談めかして答えたけれど、いざ一人になるとやはり少しは心細くなる。テレビのニュースなんてしばらく見ていないけど、祖母は毎日見てるのだろう。毎日ニュースばかり見ていたらそりゃあ気分も暗くなるだろうに。せめて祖母も、もう少し外の空気を吸う機会でもあれば、多少は気分も変わるんだろうけど。しかし、私にできることはやはり何もなかった。

 

 

7時3分、東京駅鍛冶橋駐車場に到着。バックを開けると、財布とメモ帳はちゃんといつもの場所にあった。胸をなでおろす。電車に乗って知人宅へ向かう。時間はちょうど通勤ラッシュだ。満員電車に揺られながら、つり革に捕まる背広姿の男女一人一人に目をやる。それぞれの人生に想いを馳せると、自分が生きられなかったあり得たかもしれないもう一つの人生を見るようで、悔しいのか寂しいのか分からない、不思議な気持ちになる。

 

(更新中)

#9

19時14分。東京駅から新潟へ向かう高速バスの車中でこの日記を書いている。

一昨日、宿泊していた漫画喫茶にて、数ヶ月前にお世話になっていた方に連絡を送り、近くまで来ているので少しだけ顔を見せに伺うことはできないか、との申し出をした。了承を得て、家主の家に向かったのは昨日の正午頃。結局制限時間ギリギリの12時間近くを滞在し、少ない旅費をさらに消耗してしまった漫画喫茶を後にして、私は数駅隣の家主の家へ向かった。

12時すぎ頃、家に到着。道すがら、こういうときは何か手土産のようなものを持っていくのがセオリーなのではないかと遅ればせながら気が付き、ちょうど通りかかった八百屋の店頭に並んでいる、艶のいいリンゴと柿を購入した。店主の方が気の良い人で、おいしそうなリンゴですねえ、と話をしたら、品種や産地を教えてくれ、ついでにオマケまでしてくれた。手土産に果物っていうのはどうなんだろう、とは思ったが、店主の方と交わした一瞬のやりとりが心地よかったので、なんとなくこれで良いような気にさせてくれた。

到着した頃には家主一人しかいなかった。が、次第に訪問する人は増え、二人の子を連れてきた女性、それからこの近くに住んでいると話す男性と食卓を囲み、一緒に昼食を食べることになった。この家にはあちこちから家主を訪ねに人が集まってくる。私もその一人だった。私は少し家主と話をした後、洗濯機を借りて服を洗い、部屋の掃除を軽く手伝った。それから家主は外へ出掛けた。私は彼と話をして、今夜一泊しても構わない、との了承を得た。

子供たちは遊んでいた。居合わせた大人たち三人は、食休みにのんびりとした時間を過ごす。

突然、話の流れが急転し、「最近これだ!と思った名言を言い合おう」という話題になった。私は何も思い浮かばなかったので、「いやとくにないですよ」と苦笑して逃げたのだが、今になって思えば、そのときせっかくのチャンスを棒に振ってしまったのかもしれなかった。それから女性は、琴線に触れたという「名言」を一つ語ってくれたのだが、私はそれに上手くリアクションを取れず、女性には「まあ、これは苦労した人にでないと分からないですよ…」とうんざりとしたトーンで言わせてしまった。私はどうすれば良かったのだろう。もう少し相手の話を受け止めようという気持ちを持てば、話はどこか良い方向へ転がっていけたのかもしれない。しばらくして、女性は帰った。様子から、二人の子供に手を焼いているのは、そこはかとなく伝わって来てはいた。

男性も、それからしばらくして家を出た。家主と話せないなら仕方がない、と、しきりに苦笑いしていたが、私も私でそれに取り合おうとしなかったのが良くなかったのかもしれない。どちらからいらしたんですか、という初対面同士だったらほとんどの場合で交わすことになる質問をお互いに投げ掛けながら話の糸口を探り合っている段階で、男性はあちこち転居してきた過去や仕事を辞めて実家に帰った話などを漏らしたので、なにやらその辺りのことで、語り出したい何かを抱えているように見えた。けれども私はまともに取り合うことなく、床に残った粘着テープを剥がす作業に没頭した。手持ち無沙汰になった男性は、じゃあおれも、と言って掃除機を探し出して、家中の床を掃除し始めた。掃除が終わると、男性も帰った。何しに来たんだろう、と、男性は終始苦笑いしていた。

それから、はるばる九州から二人の子を連れた女性がやって来たり、テンションを履き違えた旅人二人が来てすぐ帰ったりしたが、このペースで書き進めていたら全く終わりが見えないので割愛する。(というか、この旅程で起きた主要な出来事は、この日記全体の中でほぼ割愛されている。どういう訳か、私は誰かと会って楽しかったことなどをわざわざ文章に書き起こそうという気にあまりならない。現実世界で完結している、と感じるためだろうか。むしろ一人の時間を持て余したときや、世界が灰色に見えているときにこそ書く気が起こる。)ともかく、私はその日一泊お世話になり、今日もまたほぼ半日滞在させてもらった。東京近郊に来てからというもの、宿から宿への移動ばかりで、地に足が付かない日々を過ごしていたが、昨日から今日にかけて屋内でなんでもない時間を過ごせたおかげで、知らない人との複数人での会話に耐えられるだけの落ち着きを、かなり取り戻していったように思う。

思えば、ここ三ヶ月あまりの実家での生活によって、私は他人との話し方がさっぱり分からなくなっていたのだけれど、東京を経巡っている間に会った友人や知人、それから街角で出会った知らない人たちと言葉を交わすことによって(少し大袈裟に言えば)生きていくための基礎になる何か大切なものを取り戻していった気がする。やはり私は一人でいすぎるとダメになる。そこから帰って来られなくなる。

ビジネスライクでなくただの一人の人間として、なんてことのない話を他人と交わすことができる場所は、私の周りにそれほど多くない。私のように友達の少ない者なら尚のこと、どうやって「ふつうの話」をするか、求めようにも手掛かりがないまま、就業や消費というビジネスライクな他者との関わり方の機会だけが目立ち、そこに合わせなければ生きていけないかのように錯覚させられる。もっと人間らしく他人と話がしたい。精神科のカウンセリングにも、ハローワークの窓口にも、職業訓練校の説明会にも、私の求めているものは見つからなかった。

家主の方と相談して、今週水曜日から再び伺うことになった。一週間の期間限定で、家の世話をしながら訪れる人の応対などをさせてもらう。三ヶ月前にも滞在していた身として、もう二度と失敗は許されない。この話を家主から振られたとき、私は、試されている、と思った。今の自分に見えかけているものを家主の用意した場所でどれくらいできるだろう。ただいるだけでは無論済まされない。大きな仕事が舞い込んできた。

(更新中)

#8

胃もたれの原因が分かった。きっとマクドナルドにいたせいだ。昨日も、私はマクドナルドにいた。百円でいつまでも座れて、しかもネットもタダで使えるから、どうしたって私はマックを選んでしまうのだった。水とハンバーガーを注文すると、私は二階へ上がり、電源のある座席でパソコンを開いた。向こうには、放課後にたむろする高校生男女の集団が見える。やっぱり都会の高校生は放課後にファミレスとか行ったりするんだなぁ。漫画とかではこういう光景を見たことあったけれど、おれにはそんな青春なかったぜ。騒がしいBGMと、恋愛の話で盛り上がる高校生の笑い声、それから店内に広がる鬱陶しいポテトの匂いが私を取り巻き、次第に私を内側から蝕んでいった。そしてまた、胃もたれを起こした。

 

どうなることかと思ったが、マクドナルドでの眠れぬ夜を過ごし終えた私は、ガストでの仮眠を経て、多少調子を持ち直していた。私は約束していた駅へ向かい、この日記を読んで「稲村彰人がリアルタイムで東京にいるらしい」ということを知ったらしい初対面の男性の方と顔を合わせた。いい雰囲気の喫茶店を紹介してもらい、そこで話をしながら、ゆっくりとコーヒーを飲む。SNS などで大々的に「誰か会いませんか?」とアピールしたわけでもないのに、こうして声を掛けてもらえるのは有り難かった。生きているとこういうこともある。穏やかな時間が流れた。

マックに入ったのは、その男性と別れてからだ。私は新潟へ向かう高速バスの予約をしなければならなかった。しかし、調べても調べても、最安で5000円台のバスしか見つからず、予約も日曜以降しかできそうにない。こんなことは今までになかった。私は、山崎まさよし八月のクリスマスを繰り返し耳に流して、沈みそうになる自分を支えた。そうこうしている内に、いよいよポテトの匂いに耐え切れなくなる。私は店を出た。外は雨が降っていた。私は、別れ際に教えてもらった漫画喫茶へ向かった。

 

夜が明けた。今、私は漫画喫茶を出て、近くのコンビニのトイレでこの日記を更新している。漫画喫茶に入ると、私はなんだかんだ制限時間いっぱいの12時間近く滞在してしまうので、払うお金はほとんど安いビジネスホテルかカプセルホテルと変わらなくなってしまう。そんなことだったらまだ布団で寝られる宿を予約した方が良かった、と、思わなくもない。けれども昨晩に限って、漫画喫茶に入ったのは正解だった。無限に食べられるソフトクリームと、無限に飲めるお吸い物が、意外にも私の胃の不調を回復させたからだった。それに、たとえマットであろうと十時間近くたっぷりと寝られたことで、私の調子は完全に持ち直していた。これならまだ生きていける。

 

ところで。自分がスマホに書いた文章をパソコンの画面を通して改めて読むと、違和感しか感じない。少なくとも、おおっぴらに他人に見せるものではないと思う。

おおっぴらに他人に見せても恥ずかしくないと思えるだけの文章を書かなければ、この先、自分は広がっていかないと思う。いつまでも舞台裏というか、自分にとって薬となるだけの文章を書いていても始まらない。もちろん「書きたいから書く」という気持ちがなかったら、そもそも書こうとも思わないのだが、書く以上は他者からの視線を意識しなければならない。もし自分が誰かに自分の書いた文章を読んでほしいとすれば、それは誰になるだろう。

(更新中)

 

#7

猛烈な眠気に襲われている。時刻は8時35分。

朝靄が立ち込める中、マクドナルドを出た私は、空腹に耐えきれず結局すき家へ向かった。ひとくち目に口にした牛丼は溶けるように甘かったが、それからは味わおうという気も起きることなく、ものの一分ほどで完食。久しぶりに供給された栄養に胃が驚いたのか、食べたものが胃に入る直前で詰まったかのような気分の悪い状態に陥る。店内に置かれていたお湯を流し込んでみるが大して変化はなくコンビニにて味噌汁を購入。バス停のベンチに腰掛けながら味噌汁をすすると、いくらか気分もほぐれてきた。それから居場所を求めて近くのファミレスへ。もう腹は減っていなかったので迷ったが、トーストセットを注文する。食べ終わったのが8時ごろ。それから、机の上に突っ伏して仮眠を取っていた。眠すぎる。

 

昨日はたっぷり睡眠を取ったために気分がすこぶる良かったが、今はすこぶる悪い。理由は睡眠を取らなかったから。シンプルだ。世の中はいつだってシンプルな原理に支配されている。やはり夜は寝ないとダメですね。夜に寝て、朝に起きる。すべてはそこから始まるのだ。

今の私にはもう睡眠のことしか頭にない。睡眠以外は目に入らない。眠ること以外、価値のあるものは存在しない。寝たい。とにかく。

というわけで、猛烈に実家に帰って爆睡したくなった私は高速バスの料金を調べる。しかし土日だから安くても4300円ほど、と、予約するのに少し躊躇するお値段。どうせ宿の料金も休日価格に上がっているだろう。つらい。昨夜は宿代をケチるためにマクドナルドで徹夜したというのに、それが裏目に出た形になる。平日か休日かなんてどうでもいいんだ、私みたいな人間にとっては。ひとまずこのファミレスにて仮眠させていただこう。

と、思った束の間、レジの付近で揉め事が起きる。どうやら呼び鈴を押しても応対してくれなかったらしいスーツ姿の男性客が、慌ててレジに戻ろうとしている店員さんにキレて帰っていったようだ。さっきから見ているとファミレスのホールはほとんど一人で回しているようだったから、これはいくらなんでも店員さんが気の毒だ。男性は「もういいから!」と、吐き捨てるようにドアを開けて乱暴に外へ出て行ったが、見ず知らずの他人に対してよくあんな風に接することができるなあ。何かによっぽど追い込まれてたんだろう。いやいやまったく都会には色々な人がいる。そういえば、深夜のマクドナルドにも色々な人がいたなあ。意外と年配の人も多かった。三日もいたからなのか、なんとなくこの付近の土地柄も少しずつ分かってきた気がする。

ファミレスで10時まで爆睡。それから郵便局にてなけなしのお金を下ろし、駅へ向かう。今宵はやはり新潟に向かうことにしよう。もろもろ限界だ。しかし、何の工夫もなく実家に帰ると絶対に何もしたくないモードに強制的に入ってしまうから、東京にいるときに感じる、この「自分で動かなかったら本当に何も始まってくれないんだな」という感覚を忘れないようにしたい。そのためにこそ、今の自分が感じていることをしっかりと書き残しておきたい。

(更新中)

 

#6

明日、人と会う約束があるのだが、なぜかヘンなスイッチが入ってしまい、今夜は寝ないことにした。午後8時くらいからひたすら意味もなくマクドナルドで粘っている。現在時刻は午前1時37分。客は私とあと二人しかいない。そして今、そのうちの一人が荷物をまとめて出て行った。残るは私と、客席の隅で数時間前からパソコンにかじりついている男性の二人だけ。どちらが先に脱落するか。まだそこまで眠気は来ていないけれど、こんな夜更けまで店内に居て私は大丈夫なのか。店員さんに怒られたりしないのか心配で、胸が少しサワサワしている。パソコンにかじりついている彼には、できれば私と共に朝まで店内に居てほしい。

連日の移動で、そろそろ泊まる場所を確保するためだけにお金と時間を使いたくないと思っていた。お金は掛けたくないけれど、もっと時間を贅沢に使って、好きなだけ何もしない時間を過ごしたいと思っていた。気が付けばもうこんな時間だ。望みはある意味叶った。来るところまで来てしまったのだから、あとは野となれ山となれ、最後までやり切るしかない。

加えて私は今、もう一つの限界にも挑戦しようとしている。今朝バナナを4本食べてから、コンビニで仕方なく買ったカロリーメイトを除いて、私はほとんど何も食べ物を口にしていない。空腹を通り越すと、意外にも人は腹が鳴ったりしないらしい。代わりに、溶かすものをなくした胃が、分泌した胃液を余らせて逆に胃もたれを起こし始めている。一応胃薬は持っているが、果たしてどこまで耐えられるか。マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになるように、空腹と睡魔が互いに互いを喰い合うことで、気分はどこか高揚しはじめている。

時刻は2時。驚くべきことに、こんな時間にもまだ街は活動していた。窓からは、すき家日高屋、それから1時間1500円と大きく書かれたガールズバーの看板が光って見える。街を歩く人もまだちらほら見かけるし、車やタクシー、自転車やバイクも四方から次々に現れては消えていく。というか、そもそもマクドナルドが24時間営業にしているのだって需要があるからだろう。当たり前だが、人は深夜でも起きていた。窓から見える目の前の道で交通整理をしている警備員の人も、点滅した棒を光らせてさっきからずっと街角に立ち続けている。

 

時間はまだたっぷりとあるので、せっかくだから今の自分にしか書けないことを書いていきたい。最近はなんだかやたらめったら書きすぎて自分でも自分が何をしたいか分からなくなっているのだが、ひとまず日々の生活を書いていくことくらいしか今の自分にできることはないので、つまらなかろうが鬱陶しかろうが、なりふり構わず書き続けていく。書き続けていくことで、「おれってこんなことを考えていたのか!」というような、思ってもなかったような自分自身を引き出してみたい。

私の考えることなんて高が知れていて、巷ではそんな行為を「フリーライティング」と呼んだりするらしい。思ったことを思ったように書いて、構成や体裁は後から整える。大切なのは速度であって、中身ではない。考えてから書くのではなく、書きながら考える。もはや書いてから考える、と言っても過言ではないかもしれない。自分がどう思っているかなんてどうでも良くて、思いついた言葉を思いついた順序でただ書き並べていく。次に何を書くかを考える前に言葉に落とす。書き続けることで見えてくる自分自身に委ねる。

なぜそんなことをするかと言えば、普段の自分では意識できない自分の無意識的な癖を自覚するためだ。意識で無意識を変えるのは難しい。自分で自分の姿を客観的に見るのが難しいように、日々の生活の中で無意識的に繰り返してしまっている自分の習慣を、自分の意識で変えるのはかなり難しい。なぜ難しいか。習慣とは自分そのものだからだ。今までの経験から、どのように振る舞えば自分が心地よいと思うかを知っている。それらをまとめたものが習慣だ。習慣は、知らず知らずのうちに変わっていくことはあっても、自分から変えようと思って変えられるほど生易しいものではない。

 

時刻は午前3時40分。頭の中は良い感じに煮詰まってきている。眠気は不思議と薄いけれど、空腹による胃の不調は激しくて、さきほど我慢ならず一服胃薬を飲んだ。心なしか、軽く頭も痛み出している。おそらく空調のせいだろう。早く店外へ追い出すためか、温度がやや冷たく設定されているような気がする。被害妄想かもしれないが。

 

午前5時29分。予定通り一睡もしてなかったはずだが、あっという間に時が経った。そろそろ「早めの朝」と言っても良いくらいの時間帯になってきた。意外と耐えられているが、今日一日保つかどうか。店内が非常に寒いので、そろそろ外へ出たい気がしている。ワンコインで食べられる海鮮丼屋を見つけたから、そこで昼食を食べるのが今日の目標だ。でも、その前に牛丼を食べてもいいんじゃないかと思っている自分もいる。どうしよう。

 

(更新中)

#5

時刻は10時58分。宿の屋上にて、洗濯機が回り終わるのを待っている。宿のスタッフの方が大変親切で、チェックアウトは11時だというのに、洗濯が終わるまで中で待っていても良いと言ってくれた。ありがたい。布団もフカフカだったし、値段もかなり安かった。たっぷり眠れたおかげで、無事、体調も回復している。最高の宿だった。

明るく日が差し込む屋上で、風に吹かれながら時間を潰す。縁から外を見下ろすと、活動しはじめている庶民的な商店街の姿が見えた。WiFi で音楽を聞きながら、ゆったりとした時間を過ごす。

スマホのカレンダーを開くと今日の日付の欄に「おじいちゃんの誕生日」と書かれてあった。暇だし気分も良かったので、久しぶりに実家(祖父母の家)に電話を掛けてみる。「もしもし」という祖母の懐かしい甲高い声が電話口から聞こえて、私は「もしもし稲村彰人ですけれども」とわざわざよそよそしくあえてフルネームで自己紹介するという、なんとなくいつも自分の中でお決まりになっている遊びをした。それから二十分くらい、祖母と電話で話をする。

祖母によると、私の声は一ヶ月ほど前に実家で話した頃よりも明るくなっているそうだった。84歳になったばかりの祖母も元気そうでなにより。電話では主に、父が膝を痛めて気分が暗くなっているらしい、という話と、88歳になるおじいちゃんはいつものように頓珍漢なことを言っているらしい、という話と、やっぱり笑って生きていたいね、という話と、おばあちゃんはいつもテレビの前で一人で笑っているから元気なのかもね、という話をした。選挙の頃には帰って来るかい、と聞かれたので、たぶん帰ると思うよ、と答えた。

洗濯を終えて、乾いた衣服をバックに詰め込む。ポケットにちり紙が入っていたのか、乾燥機を開けたときに大量の細かい紙くずが発生してしまった。しかも、それらを人工芝がきれいに敷かれた屋上の床にこぼしてしまったので、30分くらいかけて一つ一つつまんで拾うことにした。これだけ良くしてもらったのに、汚して帰るわけにはいかない。

バックを担いでフロントに戻り、ありがとうございました、と、多めに挨拶して外へ出る。近くには肉屋や八百屋が並んでいる。滞在費を削るために、今日一日くらい断食してみようかなと思っていたのだけど、店先に置かれた果物が美味しそうだったので思わず中へ入った。バナナと麦茶を買って、また街を歩く。

近くに小さな公園を見つけたので、ベンチに座ってバナナをほうばる。公園には先客がいて、一匹の猫がニャアニャア言いながら、近ず離れずの距離で私を見つめてきた。腹が減っているのだろうか、と思い、とりあえず手に持っているバナナをひとかけら口でかじって投げてみる。猫は近寄って地面に落ちたバナナの欠片を鼻先でつつく、けれどもやはり口にはしなかった。あらためて辺りを見渡してみると、公園には何匹も猫がいた。皆、心地良さそうに日向ぼっこをしている。

そんな折、近所に住んでいる風のおばさんが自転車に乗ってやって来た。すると、猫たちはのそのそと動き始めておばさんの下へ寄っていく。おばさんは「あれ、今日はしろちゃんが来ないねえ」なんて言いながら、買い物袋で一杯になっている自転車のカゴから、汁気をのある何か美味しそうなサバの味噌煮的な惣菜をパックから取り出し、猫たちに与えていく。反対側に目をやると真っ白い毛の猫が遅れて寄って来ているのが見える。なんとも日が暖かく、気持ちの良い時間が過ぎていく。

バナナの皮を捨てに、コンビニへ入る。レジの前付近にゴミ箱が置いてあるのが見えたので、バナナの皮を持ってゴミ箱に向かう。すると店員さんが、私を何か買いに来た客だと思って、接客の対応をしようと身構えはじめる。しかし私はゴミ箱に用事があっただけなので、目の前を素通りしてスッとゴミ箱へバナナを押し込んだ。すると、明らかに私へ冷たい視線が突き刺さってくるのを感じる。まあ家庭ゴミを持ち込んでいるわけだから、私に非があると言われても仕方がない。「申し訳ないので、さすがにこのまま帰るわけにはいかない」と思い、取り立てて欲しかったものはなかったけれど店内を歩き回り、カロリーメイトを一つだけ手に取る。レジに向かうと、目の前にはおでんが見える。「ご機嫌を取るためにとりあえずおでんでも買っておこう」と思って「あ、すいません、大根をひとつ」と言うと、店員さんは「自分で取ってください」と突き放したように一言。よく見るとたしかにおでんは自分で取ってからレジに持ってくるタイプだったのだが、しかし、明らかに冷たく扱われているのを感じる。私はすぐに「ああ…じゃあ…すいません…やっぱり大丈夫です」と言って、そそくさと店を出た。自分は素のままで話しかけているのに相手にはマニュアルで対応されると、辛いものがある。私はどこでコミュニケーションを失敗したのだろう。やはりコンビニでゴミを捨てようと思った時点で間違いだったのだろうか。

いる場所が変わっても、やることはそれほど変わらない。コンビニから出た私は、ひとまず近くの図書館に向かった。中にはソファが置いてあった。まふっとしていて気持ちが良い。そのまま二時間ほどうたた寝をした。

(更新中)

#4

東京に来て、5日目。そろそろ予算が尽きてきて、都会の目新しさも感じられなくなっている。朝起きたらまた次の宿を確保しなければならないというのは、なかなか大変だ。宿を探すためにはまず、インターネットの使える場所で腰を落ち着かせなければならず、そのためにはまた喫茶店やファミレスに入らなければならない。時間やお金の制約がある中で、日々、決めなければならないことが次々と現れてくる。実家にいると気が付けないけれども、生きるということの本来の姿はこういうものなのかもしれないと思ったりもする。なにもしたくないなあ、と思っても、なにかしら行動しなければ、ただ絶えず路上をうろつき回っているくらいしかできることがない。何もしたくない、という思いをそのまま達成できていた実家での日々の方が、考えてみれば今の世の中では珍しいことだったのかもしれない。

今、私は横浜駅の前のベンチに腰掛けている。向こうには路上生活者の人たちがダンボールを敷いて寝転がっている姿が見えた。広い公園も浜辺もないこの都会で身体を横に倒そうと思えば、家に帰るかホテルか漫画喫茶に入るしかない。そこを彼らは雨風の凌げる所にダンボールを敷くことで可能にしている。いいなあ、おれも寝転がりたい。そろそろ都会にも疲れてきたのか、次の予定を決める手がすぐに鈍るようになってきた。しかし、かといってせっかくここまで足を運んだのに、このまますぐ新潟へ「帰って」しまうのも惜しい気がする。そもそも私にとって新潟は「帰る」場所なのだろうか。どちらかといえばツイッターやユーチューブを見ているときの方が、またはこうして一人で考え事をしているときの方が、「帰ってきた」という感じがする。ああ、ネットを使えるカフェに早く入ってゆっくりしたい。

昨夜は漫画喫茶で夜を明かした。漫画喫茶で起きる朝には、体力が通常の40パーセントくらいの状態で一日をスタートすることになる。おまけに、訳あって二日ほどシャワーを浴びることができなかったので、全身の不潔感がたまらなく気持ち悪い。おまけに夜更けまでパソコンで作業をしていたため、眠りに落ちたのは朝の6時で起きたのは11時。さらに、食費を削るためまともな食事を摂っておらず、いろいろと満身創痍の状態になっている。今日はもうダメになっても仕方のない日だった。考えてみれば、良くやっている方だ。さきほど横浜から東京方面へと向かう電車の中で今晩の宿を最安価格で予約できたことに安心して、目的の駅を乗り過ごしてしまったけれども、まだそれくらいの被害で済んでいるだけマシだったと思わなければなるまい。

満員電車でグロッキーになりながら、目的の駅、板橋へ着いた。徒歩30分ほどの場所にあるゲストハウスへ向かう。無心で歩いていると、いくらか気分が落ち着いてきた。板橋って意外と庶民的な街なんだなあ。古い商店が残っていて、人間の匂いがする。

目的地に到着した。宿泊費は1600円ほど。今日はたっぷり寝よう。二日ぶりのシャワーも楽しみで仕方がない。

(更新中)