鹿児島にて

鹿児島空港にて

二泊三日の旅行を終え、鹿児島空港で一人になった。激動だった鹿児島旅行の全貌についてはまた今度別の場所にしっかり書くとして、とにかく今はこれからどうやって帰るのかを考えなければならない。が、飛行機の発着時刻やら空港の締め切り時間やらバスの時刻表やらでこんがらがって頭がまったく働かないし、胸がそわそわして体を動かす気にもならない。ということで、ひとまず適当なベンチに座って日記を書きながら自分の心を落ち着かせるのに専念することにした。窓口のお姉さんによると、鹿児島空港は22時くらいで完全に閉鎖するらしいので、今夜は、往路での成田空港のように空港内のベンチで夜を明かす訳にもいかない。本来であれば、これから鹿児島空港発の高速バスで福岡へ向かうつもりだったのだが、モタモタしている内に今日のバスがなくなってしまったので、今夜は鹿児島のどこかに滞在するしかない。空港付近にはおそらく何もないので、きっと鹿児島市内に行った方がいいのだがさてどうすれば…

 

と、ここまで書いたところでちょうど目の前を「鹿児島中央駅行き」と書かれたバスが通り過ぎていった。慌ててバス乗り場まで走り、一瞬でチケットを買ってそのバスに乗る。料金は1250円と、それなりに高い。しかし心を落ち着けるには、まずゆっくりできる時間と場所が必要だ。市内に戻って24時間営業のマクドナルドで夜を明かそう。全てはそこからだ。

経済的なことを優先して考えれば、往路と同様七千円弱の航空チケットを買って、ジェットスターで成田空港まで向かうという選択が一番合理的だった。でも、今日はもうチケットの予約をできないし、今すぐ帰らなければならない予定があるわけでもないのに来た道と同じ手段で帰るのはどうなんだろう、という気持ちもある。なにより今回は福岡で知人と会う予定がある。どうすればいいのか。ダメだ、全く頭が働かない。今はもう何も考えられない。ひとまず心を落ち着けるしかない。

鹿児島市マクドナルドにて

バスの車中では音楽を聴いたり、外の景色を眺めたりして、先のことは何も考えないことにした。鹿児島中央駅から少し歩いたところに24時間営業のマクドナルドを見つけたので、ハンバーガーと水を購入。ひとまず今日はこちらで夜を明かすことにした。朝まで持ち堪えられれば、明日の午前はそこらの公園で昼寝でもなんでもできるだろう。まずは寝よう。

〈更新中〉

成田空港にて

保安検査場付近にある休憩スペースのような場所で、ぼんやりとした時間を過ごす。空調が少し暑くて、着ているセーターの腕をたくし上げながら、スマホの画面のキーボードを打っている。日記を書くのは久しぶりだ。きっとこんな風にぼんやりとした時間を過ごすのが、久しぶりだからなのだろうと思う。

周りでは、いろいろな国籍のいろいろな年代の人たちがイスに座ったりソファに寝転んだりスマホを覗き込んだり一緒にいる人と話したりしている。寝転がることができるソファや、充電ができるスペースの数には限りがあるから、そろそろ私もどちらかの場所に移動した方がいいはずだよなあと思いつつ、面倒臭くてこのテーブル席の椅子から離れることができない。

この椅子には、さっき近くのファミリーマートで買った唐揚げ弁当を食べるために座った。その前にコンビニでパンを買い食いしていたから、べつにあの唐揚げ弁当は食べなくてよかったなあと食べながら思った。でも、そのファミリーマートは店員さんたちの雰囲気がなんだか柔らかくて、それを垣間見れたのは良かった気がした。

レジで、私の会計を担当してくれた女性の店員さんが、他のもう一人の女性店員さんが後ろを通るときに邪魔にならないよう少し前方に身体をずらしながら、小さな声で「ごめんね」とつぶやいていたのが聞こえてきた。あの時の「ごめんね」には、焦りや緊張した感じがほとんど含まれていなかったような気がして、あの二人はきっと「ごめんね」なんてわざわざ言わなくても許し合えるくらい親しい間柄なのだろうと勝手に想像した。そういえば一緒に働いていた外国人の男性店員も随分と人の良さそうな顔をしていた。穏やかで控えめな笑みを浮かべながら、カラになった何かのケースを三個くらい重ねて運んでいた。

 

さっきから向こうでいびき声が聞こえる。どんな場所で聞いてもやっぱりいびきの音は嫌いだなあ。私が私である限り私はこの音を永遠に嫌い続けるのではないかと思う。私が自分自身の趣味の好悪に関することで、これほどきっぱり断言できることはそんなに多くない。どうして私はいびきが嫌いなのだろう。いびきの音それ自体が嫌いなのか。それとも、いびきにまつわる思い出が嫌いなのか。いびきにまつわる思い出と言えば、幼い頃、隣で眠っている父があまりにも大きな音でいびきをかいて寝るに寝られなかったから、起こさないよう注意を払いながら力加減を工夫して、父の横っ腹を蹴ったり叩いたりしていたことがあったのを今思い出した。たしかにあれは嫌な思い出だった。眠れない夜は昼の何倍も長く感じられた。瞼を閉じても開いても目の前には真っ暗闇の世界が広がっていて、不快で異様な低音が、どこからともなく、規則的なのか不規則なのかよく分からない間隔で聞こえ続けていた。隣りに横たわる父は異音を発する不気味な塊だった。他の誰もが眠りの中にいて、私だけがじっと独りでその音を聞いていた。世界の中に自分がたった一人で取り残されたみたいで、なんだかそれがとても恐ろしいことのように思えたのだった。

ところでせっかく成田空港まで来て、久しぶりに日記を更新しているのに、「どうしてそうなった」とか「これからどうする」だとか肝心なことに触れず、さっきからずっとどうでもいいことを考えては書き続けている自分ってどうなんだろうと、ふと思う。でも、こういう風に何の作為もなくただ思い付いたことをそのまま書くのってラクだし気分が良い。自分のつまらない話を最後まで遮らずに聞いてくれる、どこまでも器の広い親友と話しているような気持ちになる。その親友がちょうどいいタイミングで刻んでくれる相槌のリズムに合わせて、「今日はこんなことがあって…」とか「今こんなことを考えていて…」とか「最近はこんなことが気になっているんだけど…」とか、取り留めもない話を思い付いた順に話し続ける。もちろん、日頃それなりに気に掛けている体裁だとか見栄だとか礼儀だとか人間関係におけるアレコレだとかといったものは一切考えない。その親友は嫌な顔一つせずただうんうんとうなづいて、私の発する言葉の一つ一つを丁寧に拾い上げながら呑み込んでくれる。私のイガイガした感情は少しずつ均されていく。そんな風に文章を書いていけたらいい。

でも今ちょっと思ったのだけれど、そんな風にただ話を聞いてくれるだけの人って、果たして本当に親友と呼べるのだろうか。親友、というより、ただの都合のいい人なのではないだろうか。自分のしたい話をしたいだけして満足できるなら、きっと相手が誰であっても構わないだろう。相手が誰であっても構わないような話を一方的に聞かされつづけるのは普通に考えたら苦痛なはずなのに、それでも相手が黙って自分の話を聞いてくれているとすれば、その人の心にはなんらかの負担が掛かっていることになりはしないだろうか。

急に不安になってきた。この文章も大丈夫だろうか。久しぶりに書くからなのか、いまいち要領が掴めないまま取り留めもない話を延々と書き進めてしまっている。とりあえず今日はこの辺りにして今夜はここで夜を明かしたい。明日は9時15分発の便で鹿児島まで向かう。

 

 

起きた。髪と顔がギトギトして気持ち悪い。時間的に出発までまだかなりあるのだけれど、ソワソワして早く飛行機に乗ってしまいたい気分になっている。空港は午前4時を過ぎたくらいから、定刻通りに搭乗ゲートを通過するよう注意を喚起したり、荷物の再検査が必要な誰かの名前を呼んだり、日本語やら英語やらの早口のアナウンスが続々と流れるようになった。緊張している人の声を聞いていると、こちらまで緊張してくるから心臓に良くない。休憩スペースに集まる人も増えて、辺りは一挙に騒がしくなってきた。ビニール袋の擦れる音やらお盆をテーブルに置く音やら皿を重ねる音やらキッチンタイマーの鳴る音やらいろいろな人の話し声やら、人間の発する無数の音が雑多に混ざり合って、空間全体が慌ただしくなっている。搭乗時刻まであと二時間ほどあるのだが、私はもう保安検査場に入ってしまっても構わないだろうか。さっさとこの場を離れたくて仕方がない。飛行機が久しぶりということもあるだろうけれど、こんなに不安な気持ちになるなら、もしかしたら俺ってそんなに旅行が好きではないのかもしれないと思い始めている。

 

居ても立っても居られなくなったので、出発までまだ一時間半くらいあるけれど保安検査場を通過することにした。皆がコートを脱いでカゴに入れたりスマホと財布は別のカゴに入れたりしていたから、よくわからないけどとりあえず同じことしたら、入れた。いやあああよかったよかったあああああ!!!!!!!!もうあと乗るだけだからかなり楽。
(更新中)

スーパーにて

午後6時10分。いつもよく行くスーパーの、いつもよく行くフリースペースで、何をするでもなくただ紙コップに入れた無料のお茶を啜っている。安上がりな人間だなあ、と、自分で思う。やりたいことも、行きたい場所も、ほとんど頭に浮かばない。私はこれから何をするのだろう。このスーパーでいつもよく買うバナナかリンゴかうどんか焼きそばを今日も買って、帰り道にある銭湯で汗を流し、家までの坂道をイヤホンで音楽を聴きながら歩く夜を過ごすのだろうか。途中でコンビニに立ち寄って焼き鳥を買ったりするかもしれない。駅前の喫茶店でパソコンをいじったりするかもしれない。少し足を伸ばして、三十分くらい歩いた場所にあるファミレスで漫然と絵を描くか、バックに入っている読みかけの本の続きを読んだりするかもしれない。でも、今の自分に思い付くのはそれくらいだ。そしてきっとそれくらいのことで自分はそれなりに満足してしまえるのだろう。安上がりな人間だなあ、と自分で思う。

ありがたいことに、今、私はまた横浜にある知人の家に滞在させてもらっている。今日の昼頃、知人は北海道に旅立って、これから私はまた一人で知人宅の留守番を任されることになった。ゴミを出し、家の掃除をして、庭の雑草を抜き、草花に水をやり、玄関先の落ち葉を掃いて、洗濯をして、皿を洗って、お世話になった人へお礼状を書く。訪ねて来る人がいれば、お茶を出す。なにか話をしたそうな様子を見せれば、相手をする。誰も遊びに来なければ、昨年から継続しているビリーズブートキャンプでもやって身体を絞るか、本を読んだり、絵を描いたりする。坂を登った先にある、静かで落ち着いた雰囲気の一軒家だ。ほんとうに、恵まれた日々を過ごさせてもらっていると思う。

いろいろな人がこの家を訪れる。この半年だけで、もうかなりの人と会っただろう。すごいことだ。おかげで随分と初対面の人に対する免疫が付いたと思う。今でも付き合いがある人もいれば、きっと一期一会になるのだろうなという人もいる。ずっと一緒にいるだけが、他人じゃない。一度でも関わったことのある人はだいたい頭の中に入っていて、一人で過ごしているときにそれぞれの顔を思い出しながら、「あのときはどうしてああいう風に接したのだろう」とか「もっとこういう風に話せば良かった」とか、いろいろなことを考える材料になっている。私も誰かの材料になっているだろうか。誰かの頭の中にいる私は、どんな姿で映っているだろう。

そういえば、他人と接する機会が増えるに従って、他人からの視線を無闇に気にしなくなっているような気がする。ある程度、満たされてしまっているのだろうか。自分の力で何かを成し遂げたという訳でもないのに、なんとなく穏やかな気持ちで日々を過ごせてしまっているのは、もしかしたら、私がただ今の状態に慢心しているだけなのかもしれない。私は今の私自身を支えている幸運をきちんと自覚できているだろうか。他人の長話を聞き流せるようになったり、通り一辺倒の敬語でメールの文章を書けるようになった私は、どうやって生きたらいいか分からないと呻きながら四方八方に唾を吐きつけていた頃の自分が持っていた真剣さを、まだ抱けているだろうか。

 

 

それから私は値引きされていた焼き鳥の五本セットを買って、フリースペースにあった電子レンジで温めて食べた。銭湯に行こうかとも考えたが、少し気分を変えたくなって、あえて都会の方までぷらぷらと足を伸ばすことにした。知人の家に滞在していると、あまりの静けさに自分が都会にいるということを忘れる。ほんの少し歩けば、夜でもたくさんの人が溢れている場所に行くことができる。それが私にとっての都会だった。コートを着込んだ女性たちの群れが、私の傍らを通り過ぎていった。

実家にて

午後6時頃、今日の分の日記を二千字以上は書いていたのに、手元が狂って全部消去してしまった。一回くらいは下書き保存をしておくんだった。ダメだもう。ダメだもう今日は書く気がしない。一部しか選択してないはずだったのに、なんで一気に選択範囲が文章全体まで広がったんだろう。それに初めてじゃないぞこの現象は。一体どうなってるんだはてなブログは。と、しばらく部屋でうめき声を上げていた。別にいつものように大した内容を書いていた訳ではなかったけれども、それでもせっかく書いた文章が消えてしまうのは辛いものなんだなあと思った。そうして私は今日の分の日記を書き残しておくのは諦めて、部屋を出て、リビングの椅子に腰を下ろし、テレビを点け、ゴッホの特集が組んであったNHKの美術番組を観ながら台所にあった豚汁の残りをすべて飲み干すなどした。

時刻は12時を過ぎた。それから私は布団の上で寝転がり、ユーチューブでいつものゲーム実況の動画を小一時間ほど観ていると、知らぬ間に眠りに落ちていた。目が醒めると、もうこの時間だった。カラカラに乾いた喉をオレンジジュースで潤して、台所でそのままになっていた洗い物を片付ける。冷蔵庫を開けると、小瓶に詰められたニンニクの味噌漬けが目に付いた。半分ヤケクソになりながら、二粒ほど手に取って口の中へと放り込む。昨日と今日で軽く十粒以上は食べているけれど、はたして私の身体は大丈夫なのだろうか。子供の頃に「ニンニクの食べ過ぎはあんまり身体に良くないから、子供は一日二粒までにしなさい」とよく祖母に言われたものだが、大人は何粒までなら大丈夫なのか教えてくれなかった。誰も何も教えてくれない。大人になるということはそういうことなのかもしれない。

 

部屋掃除をする

東京から新潟に到着したのは一昨日。昨日は疲れて泥のように眠っていたが、今日は10時頃に起床して、自室の掃除に黙々と取り掛かっていた。横浜の知人の家で生活していたときの感覚がまだ身体の中に残っているうちに取り組まなければならないことだった。

知人宅は一軒家だった。古い家で、ところどころ壁の塗装が剥げたり修繕が必要な箇所があったりはするが、家の中は整然としていて、余計なモノが一切置かれておらず、家自体が持つ静かで落ち着いた雰囲気に合うよう家具や小物や生け花が丁寧にしつらえてあった。品の良い家だった。

人間は自分の意志に従って生きているようでいて、実は環境からかなり多くの影響を受けている。掃除の行き届いた部屋に入ると、自然と背筋が伸びる。その場所を大切に扱っている人の気配を感じるからなのか、なんとなく「しっかりしなきゃ」という気分になる。逆に、ほこりまみれの空間にいると「まあ人間ってこんなもんだよね」という気分になる。横浜で生活していた頃、知人宅から歩いて十数分ほどのところにある図書館によく通っていたのだが、まさにあそこはどんよりと空気が沈んでいて、だからこそ私にとっては変に居心地の良い空間だった。暖房が点けっぱなしのまま何時間も換気をしていない部屋の、少し呼吸しづらく感じるあの感じ。平日の昼間に図書館に来るのはだいたいが高齢者か、まあいかにも働いてないんだろうなという感じの人たちで、髪の寝癖をそのままにしている人もいれば、部屋着のまま外に出てきたんじゃないかという人もいた。どちらかと言えば私も彼らと同じような部類だから、馴染んではいたと思う。鼻から息を吸い込むと、隣りに座っている人の皮脂の匂いがふんわりと漂ってくるような、そんな感じの場所だった。

私がお世話になっていた知人の家は、そこと正反対の雰囲気だった。というか、そうなってしまわないために私が家の管理を任されていたのだった(と、自分では解釈している)。平日の昼の図書館に居心地の良さを感じてしまうような私が、その仕事をどれくらいきちんとこなせたのかは分からない。しかし、私の人生においては非常に重要な意味を持つ経験になった。

ただ、経験したことをすぐに言葉にしようとすると、学校で書かされた感想文みたいに、どうしてもありきたりな表現になってしまう。だからそこで感じたことを、今の時点でこれ以上は書けない。経験がちゃんと身体に染み付いていれば、日常のふとした瞬間に思い出すだろう。きっとこれから、また何度でも思い出したり考え直したりしていくと思う。ともかく私は今日、横浜の家を掃除していたときのような気分で、自分の部屋を掃除したのだった。

 

ほとんどがゴミ

部屋は綺麗になった。知人宅で掃除をしていたときの感覚を思い出しながら自分の部屋を掃除すると、部屋にあるほとんどのモノはゴミだった。大学の実習で使っていた白衣や、一度も袖を通していない雨合羽、サイズの合わない手袋、高校の名前が刻まれたジャージ…タンスには山ほど要らない服があった。

大学の頃に着ていた服は、当時の暗い気持ちを思い出して今更もう着る気が全く起こらないから、ほとんど捨てることにした。あの頃はユニクロへ買い物に行くのにさえ緊張して、何を買ったらいいのか分からないまま試着室を何十回と往復したりしていた。すべてが嫌だったなあ。

そういえば、私は二十歳を超えるくらいまで、自分で自分の服を買うということをほとんどしたことがなかったのだった。自分の感覚で服を選ぶということが、恥ずかしくてどうしてもできなかった。たまに服を買いに行くことはあっても、自分が「カッコいい」と思っている服が他人からは「ダサい」と思われているのかもしれないと思うと、途端に自分の感性を信じられなくなった。服屋へ行くと、どうすればいいか分からなくなる。だから怖くて行けなかった。

他人から「ダサい」と思われないようにしたい。そう思えば思うほど、何を着たらいいか分からなくなる。似合ってもないくせに格好付けているクラスメートが、なによりも嫌いだった。自分を格好良いと勘違いしている馬鹿にだけはなりたくなかった。けれども明確なのはそこだけで、自分が何を「イイ」と思い、自分が自分をどういう風にしていきたいのかは全く分からなかった。

 

 

タンスを漁りながら、過去の自分を思い出す。この服はどこでどうやって手に入れたもので、その時の自分はどんな気持ちだったのか。いろいろなことを思い出す。良いことも、悪いことも。手に取ってはどんどん捨てた。気の向くままに放り込んだら、満杯のゴミ袋が6袋できた。部屋のほとんどがゴミだった。私はきっとシンプルなのが好きなのだ。自分の部屋を、ほとんど何も置かれていないシンプルな部屋にしてみたい。まずはそこから始めていきたいと思った。

#20

実家のタンスから引っ張り出してきたスヌードゥが伸び切っていたために、二重巻きにすると首元がダルダルになり、三重巻きにするとムチウチになったみたいになる。どうしたもんだかな、と思いつつもひとまず三重巻きにして、ああ、首が苦しいなあ、と思いながらモゾモゾしているうちに列車は東京駅へ到着した。バスが発車するまでの数時間を、駅構内のマクドナルドで過ごす。

狭いフロアに、人が入って来ては去る。隣りの座席にはアジア系の外国人の女性が座っていて、しばらくするとその彼氏と見られる男性がやって来た。二人が席を立つと、空いた座席にスーツ姿の男性二人が座る。おそらく同じ会社の上司と部下なのだろう。上司がどうでもいいような冗談を言うと、部下は仕方なさそうにそれに反応してボソボソと言葉を返す。油っぽい匂いのする揚げ物を口に運びながら、二人の会話は途切れることなく続いていく。聴きたくなくても聞こえてくる上司の大きな声に次第に嫌気が差してきて、私はイヤホンを耳にはめて自分の内側に意識を集中することにした。例によってカーペンターズを流す。曲が流れ始めると店内のざわめきが消えて、さっきまで騒々しいばかりだった目の前の風景が一気に感傷的なムードに包まれていく。コーヒーをすすりながら、ぼんやりと宙を見つめる。およそ二ヶ月に渡った横浜での日々は、今日を以って一旦の区切りが付く。これから24時ちょうど発の高速バスに乗って新潟へ向かう。

 

もうじき今年も終わる。今年は、お世話になっている方からありがたいお話を頂いたことで、沢山の素敵な人との出会いに恵まれた素晴らしい一年になった。半年前には、こんな風になるなんて思ってもみなかった。そういえば今年の春頃、私はどういう訳か精神科の病棟に連れて行かれていたのだった。大学を中退してから一年が経ってもずっと実家で惰眠を貪り続けていた私は、ついに親族から「コイツはどこかが悪いのではないか」と疑われて病院に行くことを勧められた。あれがちょうど半年前。とにかくすることがなかったので、とりあえず連れられるがままに病院へ行ってIQテストのようなものを受診した、その辺りまでは楽しめた気がする。でも、医者は私を発達障害ということにして薬を出そうとしていたみたいだけれど、私は最初からそんなつもりじゃなかったし、診断結果もそうじゃなかった。なんというか、発達障害だろうがなんだろうがどうでもいい話でしかなかった。これは私の生き方の問題で、病院でなんとかできる話ではなかった。ハローワークに行かないと病院に連れていかれるのかよと思った。もう随分と昔の話に思える。長いようであっという間の一年だった。

考え事をしながら、ふと、「人の間に立つことで初めて人は〈人間〉になる」という言葉が頭をよぎった。駄洒落みたいでなんだか胡散臭いけれど、もしかしたら本当にその通りかもしれないと思った。ただ生きているだけでは人間になれない。誰とも会わず、誰とも話さない。そんな日々が長く続くと、自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなる。他人に囲まれて初めて人間になれる。部屋の中でユーチューブを見ているときの私は冗談抜きで人間じゃなくなっているような気がする。放っておくと一人ぼっちになってしまう私にとって、自分から声を掛けなくても自然にさまざまな人との関わりが生まれる環境にいたこの数ヶ月は、本当に貴重な時間だった。稀有な経験だった。

 

自分以外の誰かの人生に想いを馳せると、今まで散々見つめ続けてきたはずの自分の人生が少し変わって見えてくる。頭に思い浮かぶ誰も彼もが、あのまま一人で実家に閉じこもっているだけでは決して出会うことがなかった。自分がそんな恵まれた環境に居られたことを、本当に有り難いことだと思う。

他人と会って、なんてことのない話をする。それがどれほど人の心を救うか。相変わらず私は定職に就かずぷらぷらしているが、そんな私でも相手と関わることができた。何者でもない私のままでも他人と関わることができたという経験は、何者かでないと家族からさえも冷たい視線を浴びせられるこの世界で、得ようと思っても得られない自信になる。他人と関わるにはコツがいる。そのコツが少しずつわかりかけているような気がする。

 

今日、久しぶりに会った人に「なんとなく明るくなったね」なんて柄にもないことを言われてしまった。自分としては、自分がどのように変化しているのか全く実感がない。明るかろうが暗かろうが、私は私を私だとしか思わないけれど、一般的に「明るい」と思われた方がきっと健康的なんだろうし、関わりやすい気持ちにもさせるのだろう。嬉しかった。この世界に、自分がラクに息を吸える場所が少しずつ増え始めていると思った。

#19

自分で髪を切ったら、左側のもみあげがなくなってしまった。私は自分の顔があんまり好きではないのだが、どちらかというと左半分側の方の顔がまだマシだと思っていたから、これでいよいよ全体的にダメな感じになってしまった。と、思いきや、一通り切り終えてみて、そんなに嫌じゃないと思っている自分がいる。この髪型が良いかどうかは知らないが、伸び放題になっていた今までの髪型よりはマシになっている気がする。

なんでも自分でやってみると、思いの外、気付かされることが沢山ある。いつもは面倒臭くてやらないのだけれど、今日は珍しく合わせ鏡をしっかりと行い、自分の側頭部や後頭部をマジマジと見つめながらバリカンを当てた。

日頃、生きていて、自分の側頭部や後頭部を意識する機会なんてほとんどない。少なくとも私は一切ない。しかし頭の約3/4を占めるそれらの領域を意識するとしないとでは、客観的に頭全体を見たときの印象が大きく変わるようだった。知っているようで知らなかった。そのことを私は今日ようやく腹の底から理解した。

だから、髪の毛を均一の長さでカットしてはいけなかったのだ。いつもは襟足や揉み上げや前髪や後ろ髪やつむじ周辺やサイドの髪の毛をいちいちバリカンの長さを調整しながら切り分けるのが面倒臭くて、途中から、5センチなら5センチで一気に同じ長さで全部刈り上げていたけれど、それではいけなかったのだ。なぜなら頭は完全な球体じゃないから。それぞれの部位に合わせて適切な長さに揃えなければ、全体的に見たときにおかしなバランスになる。今までは髪が長くなると首の後ろの髪の毛が絡まって嫌だなあと思うことが多かったけれど、それも今考えれば当たり前の話だった。前髪と襟足の長さが同じで良い筈がなかった。それもこれも「自分にも他人と同じように側頭部と後頭部がある」ということを忘れていたことが原因だった。自意識が肥大化すると本当に些細なことにさえ気を配る余裕がなくなってしまうから恐ろしい。

今まで自分が全く意識できていなかった部分を他人に見せつけながら生きてきたのだと思うと、恥じ入るしかなかった。しばらく洗面所の鏡の前で心をざわつかせていた。今日は些細だけど重要なことを学んだ。でも、こういうことって他にも沢山あるんだろう。

 

22時7分。新潟駅南口の出入り口付近の壁に背をもたれかけながら通り過ぎていく人たちの襟足についつい目をやってしまう。言われてみれば、男性も女性もほとんどの人が部分ごとに頭髪の毛の長さを変えている。こういうことを「視野が広がった」というのだろう。他の人たちにあるのと同じように、私にも後頭部がある。襟足がある。

自分の後頭部を意識しながら生きることは、車の運転中に、内輪差を意識しながら左折するときの感覚に似ている。「車幅感覚」と呼ばれるものは、最初に言葉で教えられただけでピンと来るものではない。運転を繰り返し練習していくうちに、ある時、ふと「あ!これか!」と分かるようなものだ。その「あ!これか!」が、今日、私の後頭部と側頭部に訪れた。どうでもいい話だった。これから23時40分発のバスで東京へ向かう。

#18

梅干しを思い浮かべると唾液が出てくるみたいに、高速バスに乗るといつもカーペンターズを聴きたくなる。24時11分。これから、東京駅八重洲口鍛冶橋駐車場発の高速バスに乗って新潟へ向かう。新潟には二日しか滞在しない予定だ。明日はお世話になっている人のイベントにお邪魔して、明後日は実家にあるバリカンで自力の散髪をする。それからすぐ、その日の深夜の高速バスでまた横浜まで戻っていくつもりだ。結局、美容院には行かなかった。行かなくたっていいと思う。この際だからいっそ美容院縛りの人生を生きよう。高速バスが往復で6千円くらいだったから、ヘアカットを4千円と見積もって、2千円で横浜〜新潟間を行き来できたと考えることにしよう。こういうよく分からない計算を、たまに私はやったりする。

比較的元気が残っているうちに、切なくなったり寂しくなったりしたときの心の準備をしておくのはいいかもしれない。私にとって「切なくなったらカーペンターズを聴く」というのは、もはや一つのおまじないのようなものになっている。切ないから聴いているのか、聴いているから切なくなるのか、切なさに酔っているだけで本当は切なくなんかないのか、だんだんだんだん聴いているうちに分からなくなるおまじないだ。夜行バスに乗り込んだら、ブランケットを膝に掛ける。イヤホンを耳にはめて、スマホから『雨の日と月曜日は』を流す。車窓を流れていく深夜の高速道路の風景と、眠れぬ夜を過ごしている知らない誰かのつぶやきが流れるツイッター。その二つを交互に眺めながら、センチメンタルな気分に浸っている自分に酔う。

曲は、原曲よりもよく分からないピアノの上手な誰かが弾いているカバーの方が好きだ。Apple Musicに入っている『美しきピアノ集〜カーペンターズ編〜』みたいな安っぽいタイトルのアルバムをよく流す。他の曲に比べてなぜか極端に音質が悪いのだけど、その辺りも、ラジオかカセットを聴いているような懐かしさがあって、むしろ好きだ。高音質だからいいってもんじゃない。こもったように響く割れた高音は、ささくれ立った独りぼっちの心にちょうどいい。

 

6時51分。さきほど新潟に到着し、これから始発の電車で目的地へ向かう。寒い。早朝の新潟はこんなにも寒いのか。水風呂にでも入っているかのような寒さだ。ここ1カ月くらい、風邪が治ってはまた風邪を引き、を繰り返している。コンビニで肉まんとお茶とコロッケパンを購入し、電車に乗って目的地へ移動する。早朝の電車にはまばらな人。垢抜けなさが丁度いいと言ったら失礼か、都会から帰ってきたばかりのせいか、どうしてもそういう目線で見てしまう。列車を取り囲んでいる山の一角から朝日が昇りはじめるのが見えた。

いつもお世話になっている方に車で集合場所まで送ってもらい、現地に到着。囲炉裏を囲みながら皆で朝ご飯を食べる会に参加する。初対面の人もいれば、会ったことのある人もいる。「普段は何をされているのですか?」という類の質問には未だに上手く答えられず、素性を明かしすぎて少し不審に思われた感じもあったけれど、致命的なミスは犯さなかったように思う。横浜にいた数ヶ月、様々な人との出会いに恵まれたおかげで、多少は人並みの社交性のようなものを身に付けられたのかもしれない。どうでもいい話をどうでもよくなさそうに話すには、それなりの技術が必要だ。ぎこちない笑顔を浮かべながらキッチンで白菜を浅漬けにしたり、囲炉裏の火をぼうっと眺めたり、餅を食べたり、薪を運んだりする朝を過ごす。

 

実家の近くに住んでいる参加者の方に、車で家まで送ってもらい、そのまま自室の布団に倒れ込んで寝た。さきほど起きて、テーブルの上に置かれてあったカレーを食べる。現在の時刻は22時51分。自分ではまだ分からないが、こうしている今も、実家ないし地元の空気感が確実に自分へと染み込んでいるのだろう。危ない。出発する日を決めていて良かった。油断すると沼にはまって動けなくなる。

 

賭けるものがないと、勝負には出られない。と、かつて陸上競技で名を馳せた著名なアスリートが発言していたのをふいに思い出す。何も持たないこの私に、賭けられるものなんてあるのだろうか。生き様、なんて言えるほど、きっと私はかっこよく生きてはいけないだろう。