実家に帰ってくると途端にあらゆる意欲が剥ぎ取られていく。たぶん家の中の居心地が良すぎるからだろう。家にいれば、昼食に何を食べようかと考える前に昼食が出てくるし、ちょっと暇潰しにスマホでもイジリたいなと思う前に惰性でスマホを開いてしまうし、微妙な距離感の人と当たり障りのない話をしなくてもいいし、時間を気にすることなくいつまでも寝ていられるし、洗濯物は洗濯機に放り込んだだけで丁寧に畳まれて手渡しされるし、冷蔵庫には買わなくてもだいたいの食料品が揃っているし、トイレ掃除も風呂掃除も床掃除もしなくてもいい。これではまたすぐ前の私に戻ってしまう。どう考えても環境が私に自堕落な生活をさせようと追い込んできている。いかん。まだ実家に来て2日目なのに、もうこんなにダラダラしちゃうものなのか。

話を変える。一昨日の深夜、姉が無事に男の子を出産した。昨日、父と祖母と私の三人で病院にお見舞いに行くと、まだ少し辛そうにベッドの上に横たわっている姉の隣りに、姉の方を向きながら静かに小さな寝息を立てている男の子がいた。甥だ。私は叔父になったのだった。

叔父としての自覚はまだない。そんなものは一生ないのかもしれない。私は私の叔父さんとセンター試験を控えた高校三年生のときに一回だけ、緊張すると思うけどがんばれ、的なことを言われたきりでほとんど話をした記憶はないけれど、私は私の甥ともう少しくらい話をすることができたらと思う。ていうか、あの生まれたてほやほやの赤ちゃんがこれからどういう風に話せるようになっていくものなのか全く想像がつかない。遠い記憶に、私が最初に覚えた言葉は『ゴリラ』だったと姉か祖母から聞いたことがあったのをなんとなく今思い出した。それはアレか、とりあえずゴリラとかって言っておけば笑うだろうと見越された上での、まだ子どもだった私に対するサービス精神的なものだったんだろうか。どうなんだろう。いや、なんでこんなどうでもいいことしか思いつかないんだろう。おそらく姉にとっては一生涯心に刻まれる一大イベントだったのだろうけど、私には全くと言っていいほど実感がない。これがアレか、男親はほとんど親になったという自覚を持つことがないまま父にならなければならない、と、巷でよく耳にするところのアレなのだろうか。まあ叔父だから、べつにそんなのなくても当然といえば当然なのだけど。やっぱり甥にとっても、いくらまだ何もできないからって近すぎる距離感で介抱されるのも鬱陶しいだろうから、私は叔父として、親族の中でもそれほどしがらみを感じさせない風通しの良い距離感を維持した大人でありたいと思う。

(更新中)

流木

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浜辺で靴を脱いで裸足になり、いい感じの流木を枕にして砂に身体を横たわらせていたら、うっかり眠りに落ちてしまった。時刻は午後5時14分。正午頃にこの浜辺に着いたときはまだ日差しが強く、軽く歩いただけで額に汗がにじむほどだったけれど、それも今は少し落ち着いて、長袖のTシャツにセーターを着てちょうどいいくらいの気温になってきた。波も風もおだやかで居心地が良い。夕陽が沈むのを見られそうだから、もうしばらくこの場所にいても良さそうだ。昨日今日と寝不足気味だったから、時間を気にすることなくぐっすりと眠ることができて最高だった。

今日は新潟駅から電車で20分ほどのところにある新潟市西区内野町まで来ている。いつも大変よくお世話になっているK編集長に声をかけて頂いて、内野で新しくお店をオープンされた方への取材の補助として同行させてもらった。もっぱらユーチューブを観るばかりだったおニューのパソコンを久しぶりにビジネスっぽい形で活用できたのは嬉しい。早起きして電車で現地に向かうという経験も「社会人」っぽくてなんだか新鮮だった。ひとしきり小難しい話に花を咲かせた後、批評・思想界隈で先月くらいから話題沸騰中の『ゲンロン0』を拝借したので、帰ったら早速読みたいと思う。

(追記)

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スマホの充電が切れたのでリアルタイムで更新できなかったのだけど、それから水平線に沈む夕陽を見届けて近くにある大学方面まで足を伸ばした。数年前まで通っていたこの大学は、私にとって何も良い思い出がない。この日のようにどこにも行く場所がないときは、一人でよく海へ来て、日が暮れるまでずっと座りこんでいたことを思い出す。少しだけ感傷に浸りながら、部活を終えた学生たちが解散し始めている道を逆向きに歩いて、当時よく通っていた定食屋に向かう。

席に座って注文を取る。唐揚げ定食か肉野菜炒め定食かで迷ったが、もうそうそう来ることはないからと、思い切って両方注文してみることにする。最近はこういう、自分の中で少し負荷の大きい選択肢にあえて踏み込んでみるということを意識的によくするようになった。玄関先の漫画が置かれた棚にスラムダンクを見つけたので久しぶりに読んでみる。花道が、転んだ晴子のスカートからパンツが見えて顔を真っ赤に染めている描写を見かけて、あ、そういえば自分にも女の子のパンツが不意にちらっと見えただけのことで思わず顔を赤らめてしまっていた時代があったなあ、と感慨深く思う。汗ばんだ体に砂が付着して気持ち悪い。電車に乗って帰路に着く。残金は2千円を切った。

ラーメン

午前7時14分。東京駅八重洲南口近くの鍛冶橋駐車場から24時ちょうど発の高速バスに乗って、さきほど新潟駅南口に到着した。このまま実家のある新発田まで電車に乗って帰っても良かったのだけど、昨夜夕食を食べ忘れたのと朝の新潟が意外に肌寒かったのがあいまってさっきからずっとラーメンが食べたいという思いが消えないために、しばらく近くの公園で時間を潰すことにする。店の開店時間までおそらくあと2、3時間。耐えられないほど寒いわけではないけれど、冷たい風が不快で気分が悪い。身体を温めるために買ったカップ麺もほとんど意味を成さず、数十分ほどであきらめて駅構内の待合室まで移動した。けれど、そこでも室内のもわっとした空気が気持ち悪くて長居する気が起きず、また寒さをしのげる場所を探してしばらく周辺のトイレやコンビニをウロついた。ATMで金を下ろして漫画喫茶に入り、フルフラットシートで5時間ほど仮眠をとる。時刻は午後2時6分。そろそろ目当てのラーメン屋に向かいたい。

新潟駅南口から徒歩20分ほどの場所にある店でラーメンを食べる。一週間の関東滞在を終えた今、書くべきことは他に山ほどあるはずなのに、なぜかまったく関係のないラーメンのことについて書いている自分が不思議に思える。過ぎてしまえば、楽しかった思い出も気まずかった記憶も、ほとんど今朝見た夢と変わらない。それは寂しいことだけど、でも、誰とどんな時間を過ごしたかということよりも、その時間があったおかげで、一人になったときの自分がどのように変わっているかということの方がずっと大切なような気がして、たとえ自分の頭の中にある思い出がすべて夢だったとしても、それはそれで別に構わないのかもしれないと考えてみる。午後3時58分、ラーメン屋を出る。

駅に戻ってきた。隣接する大型の書店のベンチに腰掛けて、カウンセラー・高石宏輔さんの『あなたは、なぜ、つながれないのか』を読む。東京滞在中に参加したお世話になっている人のワークショップで、発言する機会があったにも関わらず大したコメントができなかったことを思い出して、今の自分に何かしらのヒントになる参考文献はないかと脳内に検索をかけたところ、真っ先に思い当たったのがこの本だった。ただ、言うほど私は本を読むのが好きではない。すぐに飽きて音楽を聴く。これからどうしよう。パソコンのescキーがなぜか潰れて反応しづらくなっていたから、修理の見積もりを出しに電器屋に行ってもいいけど、図書館まで少し歩いて、コーヒーを飲みながら今読んでいる本を借りられないか調べてもいい。お金があれば買っていたところだったけれど、でも買ってもどうせ読まなかっただろうなあ、いつもみたいに。そうやって、知らず知らずの内にいつもみたいに動こうとしている自分自身に気が付くと、なんとなく、おれは新潟に帰ってきたんだなあ、という気がした。見知らぬ土地ではこういうわけにいかない。音楽を聴きながらトイレまで歩く。午後6時8分。 

(更新中)

近況

祖父母の家を離れてからもう一か月以上が経つ。このブログにも書いて来たように、私は三月上旬から四月下旬にかけて父との二人暮らしに限界を感じて生活の拠点を祖父母の家に移していたのだが、実は数週間前、いろいろなことにケジメをつけないまま、なんとなく父の実家に戻って来てしまっていた。戻って来てからは、一貫した行動が取れていない自分自身に対する後ろめたさもあって、しばらくブログを書こうという意欲が湧かなかった。巷では「自分を変えるためにはまずは思い切って環境を変えるべし!」なんて話をよく耳にするけれど、私に限ってそれはないのではないかと思う。数ヶ月前に啖呵を切って父の家を飛び出した頃は、まだ居場所を変えれば少しは自分も変わるのではないかと思ったりもしていたが、実際はそんなことなかった。祖父母の家での生活も結局は以前の私と変わらないかそれ以下で、さまざまな局面で周囲に反発しながらも、最終的にはいつも庇護される立場に甘んじているばかりだった。

というわけで、今は基本的に父の実家で暮らしているのだが、以前と変わったのは、もうじき出産を控えた姉が家に帰って来ているということだ。おそらく姉がいなければ、私が父の住む家に戻って来ることはなかっただろう。父とは相変わらずほとんど話をしていないが、それでも姉がいることで以前のように頻繁にギクシャクすることはなくなった。姉に子供が生まれれば、さらに状況は変わっていくだろう。父も、姉も、私も、血が繋がっているとはいえ、それぞれがそれぞれの利害で動く完全に別々の人間だ。私と同じように父と姉も昔はよく揉めていたが、結婚し、経済的にも独立したことで、両者に適度な距離感が生まれたのか、今はそれなりに上手くやっているようだ。私が余計な議論を吹っかけたり、今までの諸々のことを混ぜ返したりしなければ、家の中は比較的平穏が保たれるようになった。私自身の状況はまだ何も変わっていないけれど。

話は変わるが、最近はまた脈絡もなく遠出する機会が増えてきた。先月は一週間ほど関東に滞在し、また月末にも再び関東へ向かう機会があった。兼ねてから親交のある人と再会できたのはもちろんのこと、先々で良くしてくれている人たちと会うことができて、とてもありがたかった。何もしていないのに変わりはないけれど、一箇所にとどまっていると様々な場所に顔を出すのとではやはり全く気分が違う。もし仮に今のような付き合いが全くなく、ずっと地元に留まっているだけだったら、状況は悪くなるばかりだっただろう。本当にいろいろな人にお世話になっている。ただ、そろそろ私も誘われるのを待つだけの立場から卒業して、いい加減誘う側に立てたらと思う。

実は今も知人の車に同乗させてもらっている。これから関東まで向かうところだ。今、コンビニでフランクフルトとあんドーナツを買ったところで財布にほとんどお金がなくなり、ATMでお金を下ろしたら、残金は1万2千円ということだった。実家にいると分からないが、かなりギリギリのところまで来ていたようだった。関東滞在中の泊まる場所が奇跡的になんとかなりそうで非常に良かったが、新潟に帰る頃にはいよいよなんとかしなければならない。今までは月末になると知らない間に父が金を振り込んでくれていたおかげでなんとかなってきたけれど、そのせいで働く意欲も湧いて来ず、だらだらとした日々を過ごしていた。正直なところ、金が無くなっていくのは嬉しい。これでやっと人間として当たり前のスタートラインに立てた気がする。

(更新中)

カウンセリング

ドアをノックする姉の声で目を覚ます。今日はカウンセリングを受ける予定の日だった。リビングに向かい、父の作った料理を食べ、服を着替えて歯を磨く。荷物をリュックサックに詰めたら、父に言われるがまま父の車に乗り、運転席に座って病院に向かう。入り口まで来たら車を止めて、父から診察費を受け取る。受付を済ませて診察を待ち、番号を呼ばれて部屋に入る。

このすべては、自分で決めて自分で選んだことなのだろうか。「どんな仕事が向いているのか」という話に始まり、「そもそも働きたくない」「それ以前にやりたいことがわからない」「もっと言えば何で生きているのかわからない」というような取り止めもないことを1時間ほど臨床心理士の方と話した後、すぐに行かなくなるんだろうなと思いながら、次のカウンセリングの日程を決めた。自分から働きかけなければ、ただなんとなく過ぎていってしまうだけの日々の中に、私は「コレだ!」という確かな手応えのようなものを求めているのかもしれない。これからどうやって生きていけばいいのか。何のために生きているのか。誰も答えを教えてくれない。自分で決めるしかない。でも、自分ってなんだ。

久しぶりに体重を測ると、85㎏を少し越えていた。子どもの頃に見た巨漢の父の体重もたしかそのくらいだったから、さすがに太ったなあと思う。言葉の中に答えを探すと、どこまでも再現なく考え続けられてしまう。太っているのなら太っていればよく、それが恥ずかしいともみっともないとも思わないけれど、全身を包むこの気怠さがもしも身体的な影響によるものなら、もう少し意識的に身体を動かすようにしてみても良いかもしれないと思った。

それにしても眠い。コーヒーでも買おうか。一昨日まったく眠れなかったということもあり、昨日は夕方頃までぐっすり寝させてもらったけれど、案の定というかなんというか、おかげで昨夜は眠れなかった。それに、WiFiが使い放題だからといって一日中家の中でパソコン作業をしていると、さすがにやっぱりダレてくる。

番号を呼ばれ、診察に向かう。次は精神科の先生。「具合はどうか?」という紋切り型の質問から始まり、発達障害の可能性は否定できないという話と、もし困っているようであればお薬でも、という話。先生から「お父さんから聞いたけど、最近パソコンを落っことしたんだって?」と聞かれて、ああ、父はまだこのブログを読んでいるんだなあ、と、なんとも言えない気分になった。父とそんな話をした覚えはない。私が部屋の照明を消さないことだとか、片付けが苦手なこと、きちんとドアを閉めないことなども、父から精神科の先生に不注意症状の疑いとして話が行っていたようだったので、「いや、父も父で過剰に神経質なところがあるのでなんとも言えないですよ」とだけチクっておいた。この意味のない、空虚な時間はなんだろう。こういうとき、私は思わず笑ってしまう。

 

(更新中)

たこ焼き

結局、まったく眠ることなく朝を迎えてしまったため、どうしようもない気分で朝ごはんを食べる会に参加することになった。他人と会うときはそれなりにコンディションを整えておかないと、やはりマズイことになる。会を終えた後、新潟駅に着いてから駅の地下にあるいつもよく行くうどん屋で冷やしたぬきうどんを食べて、しばらくベンチに腰掛けながらぼーっと通り過ぎていく人の群れを眺めていた。眠気のせいか、なにもかもが灰色に見える。我慢しようかな、と思ったけれど、色々なことがやるせなくなってきたので、思わず銀だこでたこ焼きを注文。また同じベンチに腰掛けてぼんやりと時間を潰す。それから電車に乗り、新発田駅へ。今は図書館でブログを更新している。

ベンチでたこ焼きをつまみながら、華やかな服装に身を包んで楽しそうに街へと繰り出す女の子たちを眺めていると、ああ、なんかおれ、何やってるんだろうな、みたいな気分になってくる。眠気のせいで頭がぼんやりと重く、考え事を始めるとどんどん暗い方に思考が流れ込んでいく。いかん。とりあえず、今すぐ横になりたい。

(更新中)

グーグルで軽くエゴサーチをしてみたら、去年書いていたブログの文章とかもう消したはずの昔のツイッターのつぶやきとかがちらほら現れて来て、なんかもう、胸の辺りがえぐり取られるような気分になった。付き合いのある学生時代の友達はもう全くいなくなってしまったけれど、彼らがもし何かの拍子で私を思い出し、検索にでもかけてみたら、果たして今の私を見てどう思うだろうか。もちろん、わかっている。大半の同級生たちは「そんなヤツいたっけ?」みたいな感じで、私のことなんか全然気に留めていないだろうということは。というよりそんな風にいちいちどうでもいいことを気にしてしまう自分自身を克服したくて、わざわざ実名で文章を書いているようなところがあるのだから、その程度の苦痛くらい承知の上なのだ。腹を括らなければ。他者からの冷徹な評価の視線に切り刻まれる覚悟を決めよう。

表現するという行為は、大前提として恥ずかしいものだと思う。恥ずかしいけれど、その恥ずかしさを乗り越えて自分を出すからこそ、その先に待つ、もうそれが大丈夫になった自分自身に変わることができる。街中を歩くときでさえ他人の視線を気にして鼻歌を歌うことすらできなかった私が、今や、である。自分をさらけ出した分だけ、自由に立ち回れる領域が増えていく。どうしたって野暮ったくなるのは仕方がないのだから、今は質より量を出さなければ。

と、いうようなどうでもいいことを書いていたら夜が更けてきた。今日は明日早朝の予定に備えて、新潟市の漫画喫茶にて前泊である。明朝6時、内野駅に向かう。

 

午前3時になった。夕飯に食べた唐揚げが今になって胃もたれを起こし、眠気はあるもののまったく休まることができない。このままグダグダな感じで朝を迎えるのだろうか。ああ。