コンビニ

本当に幸せな人なんているのだろうか。それはただ「幸せ」だと思い込もうとしているだけなのではないだろうか。あるときある瞬間、「これはたしかに幸せだ…」と感じる一瞬があったとしても、その瞬間が過ぎてしまえば、また、今まで何度となく付き合ってきたはずの悩みと再び隣り合わせになってしまうのが、人間というものではないのだろうか。私に本当のことはわからない。自分のことしかわからない。自分のことさえ、本当はわからないのかもしれない。けれど、もし私のこの気持ちが本当に私一人にとってだけのものだとしたら、それはあまりに寂しすぎる。「幸せだよね!」とうなづき合うことよりも、「寂しくなるね…」とつぶやき合えたときの方が、今の私にとってはよっぽど幸せなことのように思えるのだ。

私がそうでないから、他の人にも「本当に幸せなんですか?」なんて問いかけたくなるだけかもしれない。けれど、私はどうしても、自分のことを「このままで幸せなんだ」と言い切ろうとする人を前にすると、何かを誤魔化されているような気持ちになってしまう。あるはずのない根拠を盾に、自分にとって都合の良いウソを思い込もうとしているだけなのではないかと疑ってしまう。人は思い込みの中でしか生きられない。どうせそうするしかないのなら、たとえウソでも死ぬまで自分を騙し続けていられた方が幸せなのかもしれない。けれど、そのやり方は人を選ぶ。少なくとも今の私には、自分で自分をまるっと騙し切ってしまえるほど強く自分の思い込みを信じることはできない。

…というようなことを考えながら、電車に乗って新潟駅南口に到着した。時刻は22時13分。これから23時40分発の高速バスに乗って再び東京へ向かう。きっと今夜も眠れないだろう。小腹がすいたので、コンビニで何かを買うか迷うところだ。

 

数日前、実家には、産まれてまだほんの十日ほどしか経っていない甥を連れて、姉が病院から帰ってきた。甥は2、3時間ごとに眠りから覚め、排泄をし、泣き声を上げ、オムツを替えてもらい、腹を空かせ、乳を吸い、また眠るというサイクルを繰り返している。目を覚ましたときは、同じ人間とは思えないほど小さな手をくねらせながらぎこちなく伸びをして、時折その小さな目の小さな小さな瞳をこちらに向けてくる。姉が言うには、視力はまだ0.01くらいしかないそうで、色彩も白か黒かしか見分けられていないらしい。生後十日に満たない赤ちゃんは一体どんな風に世界を見ているのだろう。ミニチュアサイズの布団の上に寝そべりながら、なんとも言えないキョトンとした表情で目をぱちぱちさせているのを見ていたら、私も思わず笑みがこぼれた。

姉が出産を迎えるとき、私は向井秀徳という歌手の『自問自答』という曲を思い出していた。何もかもが嘘くさく思えて、自分や世の中に対してどこにもぶつけようのない(今思えばありがちな)憤りを抱えていた大学生の頃、私はアパートに引きこもりながらユーチューブでひたすら動画という動画を漁り続けていた。これはそのときに出会ったものの一つで、当時の私はこの曲を聴きながら、人知れずどうすることもできない自分の孤独を慰めていたのだった。それはある意味、酔っていた、と言った方が近いかもしれない。そのときの動画はもう消されてしまったようだけれど、似たような動画を見つけたので一応以下に載せておく。

向井秀徳 - 自問自答 - YouTube

人間の汚さや世の中の不条理を何も知らされることのないまま、子どもは勝手に産まれてくる。まだ物心なんて当分付くことのない今という時間が、これから歩むことになるこの子の人生の中で決定的に特別な意味を持つ時期になるのだと思うと、何にでも影響を受けて変化してしまいそうな甥はあまりにか弱くて、私が彼を抱っこするにはまだ何十年も早いような気がした。昼間からバイオハザードのゲーム実況動画をユーチューブで観ているような私が。

(更新中)