1月2日(土)

 

親族が去って、実家は再び静けさに包まれた。

そう遠くない未来、もし私がこの家を継ぐことになったら、年末や正月の行事はどうなるのだろう。何十年もこの土地に住みながら、親族以外の、例えば地域との繋がりのようなものがほとんどない中で生まれ育った私にとっては、日本の伝統的な季節行事は、いつもの家族メンバーで行われるイベントでしかなかった。他の家庭もそうなのだろうか。他の時代もそうだったのだろうか。だとしたら、家族を持たない人間にとって、日本の各行事はどんな意味があるのだろう。

親戚などとの建前の付き合いが、ただ面倒くさいだけで、取り立てて良いものでないことは知っている。でも、最小単位の血族だけで集まるだけの行事にも、どこか行き詰まりというか閉塞感のようなものを感じるのは、私だけだろうか。地元の保守的な雰囲気は、やはり息苦しい。

旧来的な意味での家族と呼べるものは、もうとっくに廃れているんじゃないか。少なくとも従来のようには機能しなくなっているんじゃないのか。もう世の中は変わってしまったのに、いつまでも変わっていないかのように振る舞い続けているだけなんじゃないのか。いろいろな疑問が渦巻くけれど、口に出せない。

 

元日とはいえとくにすることがないので、雪に覆われてすっかり様変わりした街をふらふら歩いていた。歩いている方がいい。自分が考えたことに自分自身が潰されてしまわないためにも、なるべく身体を動かすこと。

いろいろなことを思う。これまでのこと、これからのこと、関わりのあった人たちのこと、自分自身のこと。今もまだ考え続けていることを、文章として書き起こすのは難しい。ただ、頭の中にだけ留めておくのも気持ち悪いから、うまくいかないと分かっていても、また何かを書きたくなる。

 

昨日、「依って立つところは私という個人でありたい」ということを書いた。もちろん、誰かの考えに影響を受けたり他人の意見に流されたりすることはある。というか、そんなことばかりだ。自分にはまだうまくできないからこそ、そうあろうとしている、そういう話なのかも知れない。

群れないこと。長いものに巻かれないこと。自分の違和感を守ること。馴染めそうにないなら無理に馴染もうとしないこと。今ある空気に水を差したり、疑問を投げかけたくなる気持ちを押し殺さないこと。私が心を惹かれるのは、大勢に囲まれて楽しそうにしていたり、肩肘を張って強そうにしている大人じゃない。虚しさに正直な人が、私は好きだ。

でも、そう言いながら、やはり人との関わりを求めてしまう。家族を持ったり、何かの集団に埋め込まれたり、日常的に関わることのできる人がいたり。そういう繋がりが自分にもあれば今の自分よりもずっと豊かに暮らすことができるんじゃないか。そんな気がしてならない。そしてきっと、そうなった分だけここにこうして文章を書く機会も減っていくのだろう。

 

たぶん完全に居心地の良い居場所なんてものはこの世に存在しない。あまり居心地の良くない空間か、そこそこ居心地の良くない空間か、非常に居心地の良くない空間か。人間社会っていうのは、せいぜいこのどれかに収まるのが関の山ってものじゃないか。歩きながら、そんなことを考えていた。

ひとたび人との関わりの網の目の中に置かれたら、そこはもう戦場だ。権力っていうのはなにも政治家とか資本家とかそういう大きな話の中にだけ発生するものじゃない。人と人とが関わる限り、そこには見えない力学が波のように広がって、互いに干渉し合っている。虚しさをどんな形で封じ込めているかは人によって違うから、その違いがあちこちで衝突したり小競り合いを起こしたりするんだろう。

人と人とが完全に分かり合うことなんてあるはずがない。あるはずがないのに、互いに分かり合っているかのように振る舞っている人たちを見ると、こちらまで心が窮屈になっていくのを感じる。だから、つい反抗的になってしまう。それとも、彼らはほんとうに分かり合っているとでも言うのだろうか。だとしたら、自分はただ彼らの単純さに嫉妬しているだけなのかもしれない。

でもきっと私だって、自分が思っているほど複雑な人間じゃないんだろう。彼らと同じ場所に置かれたら、たとえそれがつかの間の幸せだと知っていても、素直に受け入れてしまう。きっと、誰よりも強くその幸せを受け入れる。自分の考えが間違っているなら、それでも構わないと思っているから。

 

 

今日みたいに水分を多く含んだ雪は、軽く握っただけでもすぐに塊になって、簡単に雪玉になる。こういう雪は雪遊びをするにはもってこいだ。かつての通学路の道を歩きながら、いくつか雪玉を作っては近くの電柱や道路標識のポールに向かって投げたりしていた。

路肩には、除雪車が掻き分けた雪の塊が積み重なって、家くらいの高さの小さな雪山のようになっている。幼馴染と、この上で雪玉を投げ合ったり氷塊を蹴り壊したりしていた日々を思い出す。子供の頃、ここは本物の雪山で、そこでしていた遊びも本物の冒険だった。

日が暮れてからも、氷が張った車道の轍をツルツルになるまで磨いたり、その上を走って滑ったり、いくらでも遊んでいた。氷点下でも汗ばむくらい動き回って、寒さなんて全く感じなかった。雪が街灯の灯りを反射して、夜になっても辺りはそれほど暗くならない。吐く息が白く光って、キラキラと宙を漂う。きれいだった。