7月13日(火)

テレビが付かなくなった。先日の雷雨と風雨でやられた可能性がある。今週のどこか時間のあるときに、アンテナの向きを調整したりケーブルの具合をチェックしたりしてみよう。テレビがないと、やはりもの寂しい。

こんなことを書くと、「え、いまどきテレビなんて見てるの?ださー」とでも思われそう。私自身も、半分はそう思っている。「いまどきテレビなんて見てるのかよ。観るものなんてネット上に山ほどあるじゃない」と思っている。でもその一方、「テレビふつうに面白いな」と思う自分もいる。実際、面白い番組は面白い。

地元に帰ってきてから、テレビをよく見るようになった。というか、もともと私はテレビっ子なのだった。子供の頃から娯楽と言えば、小説や漫画やアニメや映画よりもまずテレビだった。『めちゃイケ』とか『笑う犬の冒険』とか『とんねるずのみなさんのおかげでした』とか大好きだった。

今でこそテレビがつまらなくなったとよく言われるようになったけれど、私が十代の頃はテレビにまだ勢いがあって、人気番組を見ていないとクラスの仲間に入れないくらいだった。お笑い芸人のモノマネとかずいぶんやったものだ。

下校途中に同級生とバラエティ番組の真似事をして話芸を磨き合っていた記憶がある。ただ友達と馬鹿話をして笑っていたという面ももちろんあったけれど、そんな中にもどこか緊張感のようなものがあって、なんというか、子供なりに「笑い」というものの高みを目指して行かんとするシビアな空気があった。それがまた面白かったのだった。

私の根っこにはそれがある。一言で言えば、大衆的なのだと思う。

学校の成績を鼻にかけていたこともあって、それなりに小賢しい優等生気質のようなものも、子供時代に身に付けたけれども、そこを一枚めくったら、クラスメートたちとお笑い芸人の真似事をして遊んでいた小学生の頃の自分が現れる。当然その頃は、人をイジろうとして不用意に傷付けてしまったり、人からイジられるのが辛くて泣いてしまったり、さまざまなコミュニケーションの失敗があって楽しいことばかりではなかった。今にして思えば、教室という閉鎖的な空間でなんとか自分のポジションを守ろうと必死で、素直に楽しいなんてとてもではないが言える環境ではなかった。

でもその頃の記憶を全否定したいとは思わない。タイプの違う人間と、どう付き合っていくか。そういうことを最初に考え始めたのが、あのときだったのだと思う。