7月15日(木)

また中途半端な時間に寝てしまった。最近、夕飯後に気が付いたら寝ている。そして、夜寝られなくなる。昨日もなんだかんだ深夜四時くらいまで目が冴えていた。

ちなみに昨夜、網戸の力を試そうと窓を全開にして寝てみたら、夜風が信じられないくらい吹き込んできてむしろ寒いくらいだったから閉めた。この夏、冷房は要らないかもしれない。

 

今日の夕食は久しぶりに白米を食べた。白米に「味道楽」というふりかけを掛けて食べた。

「味道楽」ってどれくらい知名度があるものなんだろうか。私は「のりたま」に匹敵するくらい好きなのだが。

ぜんぜん関係ないけど、昔「おとなのふりかけ」というのが流行ったことがあって、私はその明太子味がまあまあ好きだったのだけど、値段の割に量が少ないのと、そんなに好きではない味が一緒に付いてきてしまうこともあって、大人になった今、「おとなのふりかけ」を買うことはなくなった。ていうか今も売っているのだろうか。知らない。眼中にないから探そうという気も起こらない。

どうでもいい話を書いてしまった。ついでにもっとどうでもいい話を書く。

 

このように、私にとってふりかけと言ったら「味道楽」か「のりたま」が王道なのだが、じつは私には「この二つのふりかけを使うときだけは例外的にマヨネーズを白米にかけてもいい」という自分でもよくわからない謎のルールがある。今日も「味道楽」の上からマヨネーズをかけて食べた。

マヨネーズを白米にかけるという行為はどう考えても邪道だ。私も白米にマヨネーズだけをかけて食べようとなんて思わない。マヨネーズと白米、ちょっともう想像してみただけでもありえない。美味しくなるはずがない。直感的に脳が拒否するような組み合わせ。しかし不思議なことに、事実として「味道楽」か「のりたま」をかけたときにだけは、白米とマヨネーズは最高の相性を発揮するのだった。

このことに初めて気づいたのは、私がまだ小学校低学年の頃だったと思う。おそらく最初は、何かの拍子に間違ってふりかけの上にマヨネーズをかけてしまったのだろう。白米の上にマヨネーズをかけるなんてこと、白米にお箸を刺しっぱなしにするのと同じくらいタブー感の強い行為だと、子供ながらに感じてはいた。けれども、その相性の良さに気が付いてからは、ふりかけをかけるときにマヨネーズを組み合わせないではいられなくなったのだった。

 

ちなみに、ヨーグルトにグレープフルーツを入れたり、ベビーチーズに味付け海苔を巻いたりすると最高に美味しいと発見したのも、おそらくこの時期だったと思う。料理の世界には「マリアージュ」とかっていうハイカラな言い方があるらしいが、食べ合わせの面白さというのは小学生でも気が付くものなのだろう。