7月31日(土)

怒涛の一週間が終わった。明日と明後日は回復に努めたい。自分へのご褒美に全力を尽くす。まずはファミリーパックのアイスを買って好きなだけ食べるところから始めたい。

適当なお菓子が家にあると、ひじょうに安心感がある。これは、ドラクエで言うところの、ダンジョンに入る前にとりあえず大量に薬草を買って持たせておく、みたいなことなのかもしれない、とふと思った。

RPGの進め方には性格が出る。子どもの頃から私はボス戦で負けるのが極端に嫌いで、確実に勝つために最善を尽くすタイプだった。

戦いを最高の状態で迎えたい。だからボスにたどり着くまでに出会うダンジョン内の敵になるべくMPを消費しないようにした。回復呪文を覚えていても、なるべく薬草で済ませた。といってもボス戦でMPが無くなって困るというようなことは一度もなかったのだけれど。

そもそもボス戦を迎えるにあたって、ありとあらゆる事前準備を行っている。まずは入念にレベル上げ。それから、その時点で手に入れられる最高の武器や防具を買い揃える。そうやって準備万端の状態になってから初めてダンジョンに挑むから、たいていボスに対してパーティが強くなりすぎて、手応えなくあっさり勝つことが多かった。子どもながらに、本来味わうべき楽しみ方とは違うやり方をしているのかもしれないなと思いながらプレイしていた記憶がある。

 

ところで、今の私にとってボス戦とは何なのだろう。ダンジョンとは何なのだろう。ダンジョンで出会う敵とは何なのだろう。象徴的な意味で。あまりそんな風に考えたことがなかったけれど、考えてみるとちょっと面白いかもしれない。

四月の初め頃、仕事の面接に行ったときは「ボス戦」感があった気がする。一発勝負の、緊張を強いられる場面。成功するか失敗するか全く分からない。失敗すると、精神的に決して無傷ではいられない。あれは今年上半期の山場だった。

思えば、面接の前の私はボス戦前の私のように慎重に慎重を期して、たとえば当日どんな服装で行くかとかどんな言葉遣いで何を話すかとか、さまざまな策略を張り巡らせていた。と言っても、いざ始まれば出たとこ勝負で、空気を読みながら自分の思ったことを誠実に伝える、くらいしかやることはなかったけれど。

職場は、ダンジョンみたいなものなのかもしれない。というか、自分にとって未知の環境が、ダンジョンと言ったほうが適切かもしれない。職場は今まではダンジョンだったけれど、今はもう少しずつ慣れてきて、未知の環境に進もうと思ったら他を見出さないといけない。

緊張を強いられるような経験は、日常生活を送る上ではなるべく避けよう避けようとしてしまうけれど、それがないと日常のルーティンに埋没して、日々が緩慢になっていくような気もする。

なにか自分なりの一歩、成功するか失敗するか分からないような勝負の場面。生きていれば必ずそういう場面には出くわすけれど、いざ出くわしたときに大きく崩されないように、日々研鑽を積んでいくことも必要。そういうことなのかもしれない。

 

 

最近、煮干しをお菓子として食べるのにハマっている。タンパク源として肉より魚を食べるようにしていきたいと思っていたので、ちょうど良い。飴とかも久しぶりに買ってきて舐めてたんだけど、噛んじゃうから、やっぱり煮干しとかそういう噛む前提のやつの方が良い。