8月29日(日)

夏が終わろうとしている。窓を開けると虫の音がうるさいくらい聞こえる。秋の虫だ。

八月はいろいろあったはずなのだけど、終わってしまえば何だったのかよく分からなかった。とりあえず忙しかった。あと暑かった。あとは意外と雨が多かった印象。そのくらいなもんで、あとはもう何がなんだかよく分からない。

一週間に一日くらいは何もせずにぼーっとする時間が必要だと再認識する。八月はほとんどそれがなかった。自分を取り戻す時間というかそういうものがないと、なんかもう自分が何をやっているのか分からなくなる。一週間に一日だと少ないかもしれない。週一だと身体を休めるのでいっぱいいっぱい。二日か三日くらいないと精神を自由に泳がせるところまでいかない。八月の間はずっと私にしては大変忙しい毎日だったので、今はもう何が何だか分からなくなってしまった。

九月はまたヒマな時間が多くなる予定。最近は涼しくなってきたし、やりたかったことがいろいろとできるような気がする。でも何かをやるより前に、まずは何もやらない時間を確保したい。とりあえずぼーっとしたい。八月はバタバタ大変だったので、九月はゆるくやりたい。とにかくゆるく。

 

そんな折、数日前に、父から「そろそろ車を買わないか」とのオファーがあった。以前からそんなような話はしていたのだが、数日で一気に話が進んで、今日は父が見つけてきた良さげな車を下見しに中古車屋へ行ってきた。なんだかよくわからないうちに父のペースでどんどん話が進んでいく。

父としては好意でいろいろやってくれているのは分かるのだが、ぜんぜん気持ちが追いつかない。贅沢すぎるくらい色々ありがたい話ではあるのだけれど、私としては、今すぐになんとしても欲しいものでもないし、決断を迫られても何と答えていいかわからない。疲れているというのもある。こういうときほど私は他人の話に流されやすくなるのでよくない。

車を買うことに対してどうして自分がそれほど消極的なのか自分でもよく分からない。地方で暮らす以上、車は必須。それは分かっている。でも車を所有するということは、それに合わせて生活スタイルを変えるということでもある。単純にいえば税金や月々のガソリン代や維持管理費などを支払っていくということ。ジリ貧だった今年の春頃に比べたら多少はマシになったけれど、それでもまだ私の生活は不安定で、さまざまな意味で余裕がない。

それ以上に、車を買うということが、いよいよ本格的に地元に根を下ろして生活していくということの一種の象徴のように思えて、それがなんとなく重い。今の私には「地元を抜け出したい」とか「都会で暮らしたい」とかそういう強い気持ちがあるわけではない。でも、自分でもよく分からないうちに自分の人生の方向性が定まっていってしまうのは怖い。自分は何をやりたいのか。自分はどういう人間だったのか。そんなことを考えたって答えは出ないが、それにしても、そういう根本的なところからきちんと悩みもせずに流れで決めてしまうのは避けたい、というような感じと言ったらいいのか。

何はともあれ、一万円の電子ピアノを買うのに躊躇するような私が、数十万円から百万円規模の買い物に頭を悩ませないわけがない。どうせ買うなら死ぬほど悩んでから決めたい。考えなければならないことは山ほどあるが、今の私にその力は残っていない。とにかくぼーっとしたい。